2026/01/23号 5面

一人娘

一人娘 グアダルーペ・ネッテル著 八木 寧子  キャリアのためにも、子を産まない主義を共有していたラウラとアリナ。パリで自由を堪能していたふたりだが、三十代でメキシコに戻ってから道が分かれる。ラウラは受精できない永遠の避妊法とされる卵管結束の手術を受けて「産まない」から「産めない」生を意志的に選択。一方、アリナはパートナーと結婚して「産む」ことを望み、不妊治療に励むのだ。  これまでも、「産む/産まない」の差異、裏切りや妬み、あるいは紆余曲折を経ての受容などを描いてきた教訓的な物語はあったが、本作は感触が異なる。アリナの妊娠に戸惑いつつもラウラは心から歓喜し、その自分に驚くのだ。訳者のあとがきによると著者ネッテルの友人の実体験がベースになっているというが、このラウラの感情が、偽善でも寛容でもない噓偽りのないものとして、強く物語を貫いていく。大切な友の変容を微塵も責めず、否定せず、見守り支えるということ。彼女の静かな語りは、様々な困難の底にある、澄んだ水の流れを紡いでゆくかのようだ。  短い章が丁寧に重ねられる。ラウラとアリナの出会い。メキシコに戻ってからの生活。ラウラは文学の論文執筆にいそしみ、アリナは念願叶って妊娠。だが、アリナの胎児は出生前の検査で脳に疾患があることが分かり、出産と同時に死んでしまうと宣告される。妊娠の歓喜から絶望に突き落とされるアリナと、それに寄り添って「産む」ことの意味を思考するラウラ。イネスと名づけた胎児を間に、第一部ではそれぞれにもがく心情が丁寧に綴られていく。  絶望に駆られたアリナに並行して記される、ラウラのエピソードが絶望と救いのあわいに生じる汽水域のように作用する。それは、ラウラの隣家に住むドリスとニコラスの母子が抱える事情と激しいぶつかり。そして、ベランダに鳩のつがいが巣作りをして卵からヒナが孵るが、そのヒナがどうも鳩ではないという謎。イネスの死の約束を受け入れたわけではないが、生誕のための準備をやめてグリーフケアを受けるアリナに対して、ラウラの態度は過剰でも冷淡でもない。だがやがて、彼女自身の見る景色の色合いも少しずつ変わってゆくのだ。  驚くべきことに、第一部の後段で生まれた娘イネスは死ななかった。聴覚や視覚に障害があるとされ長い生存は望めないと診断されたが、無事に生を享ける。続く第二部では、アリナとアウレリオの夫婦がイネスへの向き合い方を変え、娘がよりよく生きるために持って生まれた能力を伸ばそうと奔走し、格闘する。優れたシッター、そして専門家から指導を受けたトレーニングによって、想像を大きく超えて育ちはじめるイネス。一方ラウラは、ドリスとニコラスの葛藤と苦しみにも寄り添い、愛憎をぶつけ合う母子の間で自分にできるケアを始める。  アリナはもとより、ラウラにも新たな出会いがあり、身近な者との関係、自分自身を捉え直す時間が生まれる。「産む/産まない」とは別のところで、イネスやニコラスを愛しく思うこと。そこには、鳩が他種の卵を孵して育てる「托卵」のイメージも重ねられる。やがて、一進一退を繰り返しながらも彼女たちの気持ちが少しずつ、達観に近いような温かな場所に運ばれていく。  「イネスは大事なことを教えるためにこの世に来たんだって」  「で、そうだと思う?」  「うん、もうたくさん教えられた。愛情が思いがけない形でやってくることとか、すべてのことは、いいほうにも悪いほうにもいつでも変わりうることもね」  喪失を意識しながらもがき、揺れ続ける女性たち。メキシコシティの貧困、不平等。フェミニズムのデモも描かれるなか、女であることの歓びと枷が尽きることなく現れる。それは、「産む/産まない」という二元論でジャッジされる社会から完全になくなることはないが、仏教思想や先人たちの言葉も引かれて、より根源的な生きることの本質を問うてもいる。  平易な文章、抑制された冷静な語りが誠実な訳で伝わってくる。短い章の連なりは薄い布が一枚ずつ重ねられていくようだが、終章ではすべてを包む明るい光が射し、温もりの兆しが辺りに満ちる。  「辺獄」から逞しく立ち上がるアリナ。友と自分、それぞれの人生を信じ抜くラウラ。たくさんの女たち。……私たちは、絶えず意志と感情に揺れながら生きている。でも、それでいい。どんな選択も正誤では分けられない意味のあるものだと、この物語が示しているのだから。(宇野和美訳)(やぎ・やすこ=文芸評論家)  ★グアダルーペ・ネッテル=メキシコの作家。著書に『赤い魚の夫婦』(リベラ・デル・ドゥエロ国際短編小説賞)『冬のあとで』(エラルデ小説賞)など。一九七三年生。

書籍

書籍名 一人娘
ISBN13 9784768459836
ISBN10 4768459838