2026/03/06号 1面

防災の倫理 「正しい」災害対策とは何か?

児玉聡インタビュー<哲学的に有事に向き合う>『防災の倫理 「正しい」災害対策とは何か?』(ナカニシヤ出版)刊行を機に
児玉聡インタビュー <哲学的に有事に向き合う> 『防災の倫理 「正しい」災害対策とは何か?』(ナカニシヤ出版)刊行を機に  『防災の倫理 「正しい」災害対策とは何か?』(児玉聡・池端祐一朗編著、ナカニシヤ出版)が刊行された。日本は災害大国。がついつい「自分は大丈夫」だと楽観視してしまう。編者のおひとりで、京都大学教授の児玉聡氏に、防災の要となる倫理についてお話を伺った。(編集部)  ――阪神・淡路大震災から三一年目、東日本大震災から十五年目の今年、本書が刊行されました。  児玉 阪神・淡路大震災以降、ボランティア管理システムやDMAT(災害派遣医療チーム)のトリアージ、ハザードマップなど、災害対策は進歩しています。その一方課題は多く、たとえば能登半島地震から三年目を迎えますが、復興は思うように進まず、「阪神・淡路大震災と同じ状況が起こっている」との声も聞かれました。  阪神・淡路大震災から三〇年目の昨年、防災の観点でまだまだ課題があるということで、神戸の「人と防災未来センター」で本書と同タイトルのシンポジウムを行いました。それを機に、そのときのシンポジストのほとんどが寄稿する形で、本書が刊行されたという経緯があります。  ――私自身「防災」の意味も明確ではないことに、本書を読み気づきました。  児玉 河田惠昭さんは、防災に関する言葉は定義が曖昧で、関係者間でも共有されていないことが問題だと言っています。事例で挙げておられたのは、「複合災害」と「二次災害」の相違。言葉を誤ってメディアが使うことで、災害対応の方針を間違う危険性があるとも指摘しています。  それではまず「災害」とは何かと言うと、大きな被害をもたらす「災害因」――暴風、竜巻、豪雨、豪雪、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、地震、津波、噴火、地滑りなどの異常な自然現象――のほかに、飛行機事故や工場火災など、大規模な火事や爆発も含みます。興味深いところでは、先のコロナパンデミックは、国会で議論された結果日本では災害と認定されませんでした。そのため災害関連の法律ではなく、感染症関連の法律で対処されました。ところがアメリカや、国連ではコロナパンデミックを災害と認定しています。そうした違いが世界規模の対応が必要な際に、方針のズレや判断の遅延に繫がる可能性もあります。  そして「防災」には、「災害の未然防止」「災害発生時における被害の拡大防止」「災害後の復旧・復興」という三つの段階があり、時間的に連続した取組みとして理解されるべきものです。  ――巻末の鼎談などで、日本は「おぞましいこと」を考えるのを避け議論しないので真の防災が進まないのだと、話されていましたね。  児玉 「防災」というと完全防災の「ゼロリスク」を想定しがちですが、災害は必ず、しかも繰り返し起こるものです。防災には、災害自体を発生させないことをめざす「リスク管理」と、災害が起こった際に被害の拡大を防ぐための「危機管理」があります。かつては科学技術による地震予知の研究が盛んに行われましたが、現在は災害の予知は不可能だという理解に落ち着いています。  石破元首相が、防災庁の設置を計画し、「事前防災」という言葉を使いました。防災の定義には「未然防止」が含まれるので厳密に言うと畳語になっているのですが、災害が起きたときにどうするのかをもっと事前に準備すべきだと、強調したかったのだと思います。それは、洪水が起きないように治水や堤防を準備するというだけでなく、災害が起きることを前提して、避難経路を確保しておくとか、高齢者を含む要配慮者の避難を助けるための手配を検討するとか、避難所として利用できる設計を公共施設に持たせるなど、被害を小さくするために備える「減災」の考えです。首都直下地震や、南海トラフ地震が起きれば、必ず被害は出るけれど、それを最小化するための議論を、災害が起きる前に、どこまで突き詰められるか。  日本は危機管理とリスク管理の区別が十分でなく、危機を起こさないようにという方向には考えても、予想外のことが起きたときに最悪の状況の中で被害をなるべく減らすにはどうしたらいいか、その直視の力が弱い。国も市民も現実を直視して、思考したり議論していくことが必要です。その難しさも自覚してはいますが。  ――防災教育や普及啓発を行っても、多くの住民が行動に移してくれないというのを、反省しつつ読みました。科学技術が発展し法整備が進んでも、人々の意識が伴わないと防災はうまくいかないのだろうと。  児玉 「防災の倫理」と言うときに、一つには一般の市民がどういう心構えであるべきか、他方で行政や首長たちがどういう倫理観を持つかという側面があると思います。後者については、倫理を踏まえた上で、法を含めた整備をしてもらう必要があります。  防災教育や普及啓発活動を行っても、多くの住民が行動に移してくれないという問題は、関係者からよく出る話です。災害は国が対策してくれるものだと、公助に甘えすぎていると。「自助・共助・公助」は、本来はそれぞれの役割を果たして、皆で力を併せて防災をめざすものだったのが、今では逆に責任をなすりつけ合うことに繫がってしまっていないかと、京都大学防災研究所の矢守克也さんは書いています。「自助・共助・公助」がどうあるべきなのか、あるいは他の語り方への転換も含め、考えなおす必要が出てきています。  私は防災研究をはじめて十年弱ですが、感じるのは、いかに政府が長い間、様々な取組みをしてきたのかということです。耐震設計やハザードマップ、災害警報の試み……。警察もデジポリスをはじめとするアプリや防犯マップを作っています。そうした取組みがなかなか国民に浸透していかない。私は五〇代ですが、学生のときに防災教育や防犯教育はほとんど受けませんでした。学校教育に組み込むことは大きな意味があると思います。また町内会などでの避難所の体験訓練を、子どもや高齢者などの要配慮者を含めて実際に行ってみることも重要でしょう。避難訓練がどこまで役に立つかという議論もありますが、実際に行って役立つように改善していくということが必要だと思います。  ――補助金では耐震化の全額は賄えない。しかも耐震化したために家が全壊しないと、生活再建支援金も義援金ももらえない。耐震化は損をすると考える。でもそこには命の値段はカウントされていない、という話が印象的でした。  児玉 阪神・淡路大震災のときに地方自治体で災害対策に働いていた高見隆さんが挙げた事例ですね。災害時に多くの決定をすばやく下す行政の判断基準は「最大多数の最大幸福をめざす」功利主義的にならざるを得ない。行政のやれることには限界があるのだと、非常に率直に書いてくださっています。避難指示や耐震化などに従わない「自由」が住民にはある。ただし自由には責任が伴い、防災における責任は命に関わるという話です。しかし老後の備えも必要でしょうし、日々を生きるのに精一杯な人もいる中で、災害対策を日常にいかに組み込んでいけるかは、まだまだ検討課題です。  平時に災害について考える難しさは様々あります。たとえば、助ける命に優先順位をつけるトリアージ、わが身を優先して逃げることを推奨する「津波てんでんこ」などは、災害時に一人でも多くの命を救うために必要な行動指針ですが、他者を助けることが倫理的だとされている平時とは真逆の倫理です。それをどのように教えるのかも課題となっています。  矢守さんは、「津波てんでんこ」の教えの核心をきちんと伝えることが重要だと言っています。  防災は、「死者をどう見送るか」「生き残った者がその思いをどう背負うか」という人間的な営みだ、とは松川杏寧さんの言葉です。  ――児玉さんは平時に災害を考えるための、「有事の倫理の問い」をまとめておられますね。  児玉 予防の倫理は、世界的にもあまり進んでいない分野です。危機管理の発想で、平時に対する「有事」を考えるための問いを用意しました。「有事とはどのような状況を指すのか」「有事に備えて、一部の人々が死傷することを計算に入れた事前計画を立てることは倫理的にゆるされるか」「誰が生き、誰が死ぬかという「命の選別」について指針を作ることは倫理的に許されるか」「それを公の場で議論するべきか」……等々、科学的にではなく、哲学的に災害に向き合うとき、何を考えるべきかを抽出しました。  先ほどの話に重なりますが、災害時の命の選別について公に議論するべきか、という問いもあります。また「津波てんでんこ」などの教育をすると、平時の倫理観まで変わってしまうだろうか、という問いもあります。矢守さんたちの開発した「クロスロード」というカードゲームは、防災の場で起こり得る「おぞましいこと」を自らの問題として事前に考えてみるための教育ツールです。  有事について倫理的に考えることは、事前にできる防災の一つだと考えていますし、今年中にできる予定の防災庁にもこのような問いについて検討していただいた上で、制度設計していただきたいです。  ――災害関連死の予想以上の多さに驚きました。防災には直接の医療や福祉だけでなく、「生き延びた人がどう生き続けられるか」、そのための災害対策、制度設計をする必要があると知りました。  児玉 災害からの復旧・復興とは建物だけでなく、被災者たちがどのように日常に戻ることができるのかを考える必要があります。生き延びた人が、誰かを犠牲にした自責の念や、死者に対する悲しみを背負わずにすむような制度設計を行うことも防災の一つです。  河田さんは災害関連死が増えている理由は、人口動態により高齢者が増えているからだと指摘しています。能登半島地震では被災者の多くが高齢者です。避難生活が長引く中での災害関連死の増加が問題となっています。自宅から遠い施設に二次避難、三次避難をすることで、認知症が進んでしまうといった健康被害の事例も挙がっています。超高齢社会における防災対策という考えも、日本には必要なのです。  ――災害時の防犯、性暴力防止についての具体的な事例も、興味深く読みました。  児玉 樋野公宏さんによれば、東日本大震災では、短期的な避難所の設置を前程としていたのが、結果として長期に亘ることになったため安全対策が十分でなく、火事場泥棒が横行、避難所内でももめごとや家庭内暴力が多発。プライバシー確保の間仕切りを設置できた避難所は一部だったということでした。被災してただでさえ不安なのに、その上犯罪の心配をしなければならないのは、心身への負担が大きすぎますよね。4章では実際に行った防犯対策提案について説明されています。  性暴力は見て見ぬふりをされたり、声を挙げた人が非難されるという二次加害が、平時でも問題になっています。5章ではあんどうりすさんが、ガイドラインや防犯アプリの整備に加え、周囲にいる人の介入「アクティブバイスタンダー」の実践の効果を紹介します。防犯アプリを用いた第三者による行動で、個別の加害を防ぐだけでなく、その存在感が加害の抑止に繫がること、また「性暴力を許さない」という社会合意を平時から作っていく必要を説いています。  これらは「共助」の側面に含まれると思いますが、面白いのは、あんどうさんの講演会では、参加者に防犯アプリを実際に体験してもらうところです。  続く6章では南貴久さんが、我々の身近にあるソーシャルメディアについて取り上げますが、東日本大震災では情報収集や知人の状況確認、物資調達のために有効に働いた半面、「善意」によって発信された誤情報がデマになる加害性も散見されたと。行動するだけでなく、「的確さ」を常に問い続けることの重要性も語られています。  ――要配慮者の命と尊厳を守る「誰一人取り残さない防災」は非常に高度ですが、それを可能にするのが、真の防災だと考えさせられました。平時の社会がどれだけ他者に想像力を働かせ、多様な人々を受け入れられているのか。  児玉 平時に潜在的にある問題、たとえば外国人差別などは、災害時に拡大するかたちで顕れる可能性があります。高齢者や子ども、障害を持つ人、外国人やLGBTQ+の人など、全てを取りこぼさない防災をしていくことは非常に難しいことです。「多文化共生」などきれいごとだと思う方もいるでしょうが、それを守ることができる防災のために、平時からの教育が重要になってくると思いますし、防災庁には、平時からの潜在的問題に取組む姿勢を期待しています。(おわり)

書籍

書籍名 防災の倫理 「正しい」災害対策とは何か?
ISBN13 9784779519154
ISBN10 4779519152