清張が聞く!
松本 清張著
松本清張の昭和
酒井 信著
尾崎 名津子
二冊の松本清張関連本が刊行された。奥付の日付順でいえば、『清張が聞く! 一九六八年の松本清張対談』と酒井信『松本清張の昭和』である。前者は『文藝春秋』誌上で一九六八年の一年間にわたり掲載された対談集、後者は帯文に「初の本格評伝」と銘打たれた一冊である。
清張と同じ一九〇九年生まれの作家は多く、太宰治、中島敦、大岡昇平、埴谷雄高などがいる。花田清輝も同年だ。このように並べると、少々意外の感もないではない。それは、ライフコースの差異に起因する感覚かもしれない。
太宰治が旧制弘前中学に入学した年の夏、芥川龍之介が没した。衝撃を受けた太宰が下宿に引き籠っていたのと同じ頃、清張は給仕として勤めていた川北電気小倉出張所を解雇されている。一方で、文藝春秋が販売した三円もする芥川のポートレートを清張が購入した事実を、酒井の評伝はそっと差し挟む。青森と小倉それぞれに暮らす青年たちは、交わることのないまま、同じ人物に入れ込み、同じ出来事(芥川の死)を体験していた。
これまで諸説あった清張の出生地を、文献や実地の調査と考察に基づき特定するなど、酒井の評伝は検証が手堅く、信頼して読んだ。出生地だけでなく清張の生育環境も、その詳細を具体的かつ総合的に描く著作はこれまでになかった。本書では、清張の父母の姿や小学校の教師からの影響、一二歳の時すでに詩誌に投稿していたこと、広告業界での仕事の様相など、意外な側面が浮き彫りにされる。もちろん、全てが意外ということではなく、既存の作家イメージを補強する部分もあった。
なにせ四〇歳を過ぎてからデビューした作家である。それ以前の様子については手の届きにくい状況があったが、丹念な跡づけを伴う抑制された記述に支えられ、このたび清張の前半生が立体的に明らかにされたことの意義は大きい。
もちろん、作家となってからの約四〇年間も、本書は丁寧に描き出す。それを辿るうちに「思想惑乱の時代」という言葉を繰り返し想起した。これは二〇世紀のはじめに後藤宙外が同時代の思想状況を指して述べたものだ(『新小説』一九〇一年五月)。宗教の混乱や信仰の不在に焦点があった。しかし、この事態は近代以降の日本を貫いてもいる。本書を通読すると、松本清張という作家は「思想惑乱の時代」の惑乱ぶりこそを見抜き、関心を寄せ、生き抜いたことがわかる。清張にとっては、そしておそらく近代日本にとって、一九三〇年代以降もその惑乱は宗教や信仰の問題を超えて拡がり、鎮まることがなかった(し、今日はなおいっそうの感がある)。
ここで、本稿で取り上げるもう一冊『清張が聞く!』の対談相手に、東久邇宮稔彦、池田大作、松下幸之助が含まれていることが注目される。そもそもこの『文藝春秋』の対談企画が、一九六八年の「明治百年」を意識していたことは無論のことで、対談集でも時折話題になってはいる。しかし、清張の関心はそれよりも昭和という時代、アジア太平洋戦争と戦後世界との連関、そして未来に向けられていることが明らかである。
東久邇宮には内閣を組織した敗戦直後のことよりも、東条英機が首相となった経緯を探っている。池田には創価学会が勢力を増すことに成功したその戦略を認めつつ、公明党との関係に切り込み、未組織労働者へのアプローチ法を聞き出している。酒井著には、『昭和史発掘』では二・二六事件のみならず、天理研究会の検挙など新興宗教に関する事件も「広義の昭和維新運動であると清張は考えている」とある。清張は、社会のうねりをもたらすのは一人の英雄や傑物ではなく人間集団の混沌とした運動性であると見ていた。松下を最後の対談相手に選んだのも、人びとを組織する方法と組織の肥大化への関心であったと読める。松下が事業を始めて最初に注文を取れたのが、清張がかつて勤めた川北電気だったことも、何か因縁めいている。
『清張が聞く!』に登場する唯一の作家が大佛次郎であることも意味深長である。二人とも当時のいわゆる純文学雑誌にはあまり書かず、週刊誌や新聞を足場に、社会の混乱とその中で生きる人びとを描いてきた。「日本で一番悪いことは、文学は小説以外にないと思っていることだね」という大佛のひと言に促されてか、五八歳の清張がふと「いま小説……作りごとの小説を書くのがちょっとめんどうくさくなってます」と漏らしてしまったのは、ライフコースが全く交わらないながらも、作家として深いところで共鳴した相手だからだったのではないか。
酒井著が引用するように、松本清張は「日本人の性格」には「急角度にその性格が変わっていく面」があると言い、「日本人の体質」を「もう少し調べ、もう少し検討しなければ、将来またおかしいことになるのではないかと思います」(「世事と憲法」)と述べていた。これが清張にあって消えることのなかった危機意識であり、創作のモチベーションだったのではないか。二冊を併せ読むと、この発言の重さが際立って見える。(おざき・なつこ=立教大学准教授・日本近現代文学)
★まつもと・せいちょう(一九〇九―一九九二)=一九五三年「或る『小倉日記』伝」で芥川賞受賞。一九五六年朝日新聞社広告部を退職し、作家生活に入る。北九州市に松本清張記念館がある。
★さかい・まこと=明治大学准教授・文芸批評・メディア文化論。一九七七年生。
書籍
| 書籍名 | 清張が聞く! |
| ISBN13 | 9784163920528 |
| ISBN10 | 4163920528 |
