2025/05/09号 6面

ダイバーシティポリス宣言

ダイバーシティポリス宣言 久保田 善丈著 松岡 瑛理  著者は東京・武蔵野市にある私立成蹊中学・高等学校で世界史の教諭を務める。本書では同校で約10年間続く「スクール・ダイバーシティ」(SD)という活動を振り返り、この言葉を取り巻く社会の空気が批判的に捉え返される。  「スクール・ダイバーシティ」とは、学校という空間を「マジョリティ仕様」から「多様性仕様」に作り変えるという認識のもと、活動を行うグループ。週に1度のランチミーティングをベースに、人種、LGBTQ、バリアフリーなど幅広いテーマを扱い、トークライブ・ワークショップ・展示などの多様な活動を行っている。構成員はプロジェクトやイベントごとに入れ替わるのが特徴で、在学生だけではなく卒業生や教員も参加する。  活動の開始前夜と回想されるのは、2000年代後半から2010年代前半。この時期、国内ではインターネットを中心に、在日コリアンを始めとするマイノリティへの激しい差別表現が吹き荒れ、「ヘイトスピーチ」として社会的に問題視されていた。状況に危機感を募らせた著者は2013年、同校の生徒手帳に「〝いかなる差別にも反対する宣言〟」を盛り込むプロジェクトを構想する。授業の中でも呼びかけを行った結果、集まった5人の生徒とともに「ダイバーシティ宣言」を起草した。結果的に生徒手帳への掲載は実現していないが、宣言の内容はICカードサイズの「ダイバーシティカード」に記載され、毎年、全校生徒に配布されている。  概要のみを見れば、意識の高い学生たちの、立派な活動に受け取れるかもしれない。しかし本稿ではむしろ、そのような見方が、SDに参加する上でのジレンマとなっている点を強調しておきたい。  筆者は2015年、SDの活動参加者たちに取材を行い、記事にまとめたことがある。このとき、19歳の卒業生男子(当時)から聞いた話を紹介したい。ラグビー部に所属していた彼は高校3年の秋の部活引退後、SDに参加するようになった。それまで部活一色の生活を送っていたこともあり、同級生からは「キャラじゃない(そういう活動をするイメージがない)」「差別のこと考えて楽しい?」とからかわれたと話す。そんな中、「『何クソ』との思いで参加を決めた」という言葉が今も印象に残っている。  一見、文句のつけようがない活動への参加が、なぜ「からかい」につながってしまうのだろうか。その背景として本書で指摘されるのが、ダイバーシティという概念の世間での「陳腐化」だ。ここ10年ほどの間、国内では「組織の人材の多様性が増せば、企業全体の生産性が向上する」といったロジックのもと「ダイバーシティ経営」「ダイバーシティ採用」といった方針を掲げる企業や学校が急速に増加した。言葉の普及には効果的だったものの、社会的な権威が使うようになったことで、概念はかえって「きれいごと」化し、「『ダイバーシティないろいろ』を陳腐化して遠巻きにするような空気」が急速に構成されたと著者は述懐する。  このような認識のもと、SDは権威との距離感にとても自覚的であり、学内の「めんどくさいやつら」(=ポリス)」としての役割を自任する。その一つが「文化祭での異性装禁止」の見直し。同校では「文化祭での異性装禁止」というルールがあった。それを見直すべく「自分のなかの『男性―女性』をあえて問い直してみよう」「自分は100%の女/男?」といった文言を記したポスターを学内の至るところに貼り出し、結果、ルールは撤廃されるに至ったという。  少し補足しておくと、急速に普及したからこそ、「ダイバーシティ」という概念はまだ社会の中で定着したとは言い難い。例えば米国では、トランプ政権の誕生に伴って、企業内の多様性に関する目標を撤回する企業が相次いでいるという。裏を返せば、政治的な翻弄も生まれやすい状況だからこそ、権威との距離の取り方について、SDの姿勢を参照する意義は大きい。  実践活動を基盤としつつも、人文科学の専門用語も散りばめられた本書は、ところどころ難解に感じる部分もあるかもしれない。しかし、ブームが過ぎ去った後の「ダイバーシティな社会」を真の意味で構想するために、是非とも参照したい一冊だ。(まつおか・えり=ライター)  ★くぼた・よしたけ=二〇一三年以来、成蹊中学高校教諭として生徒・卒業生・教員からなる小さなダイバーシティ・グループ「スクール・ダイバーシティ」を運営するひとり。本書が初の著作。一九六六年生。

書籍

書籍名 ダイバーシティポリス宣言
ISBN13 9784907239749
ISBN10 4907239742