2025/04/18号 4面

分離はやっぱり差別だよ。

 北欧を中心に国際的な流れを展望しながら、日本の障害児教育の在り方を問うと同時にその現状を憂うる告発の書である。文科省は現今の特殊学級教育が、現在主流となっているインクルーシブ教育システム内に位置づけられると主張するものの、そのインクルージョン(包容)の内容には彼我にいかに隔たりのあることか。具体的な問題点は本書に委ねたいが、根底には我が国の抱える、より大きな課題が潜んでいるようだ。  副題は「人権としてのインクルーシブ教育」。まず人権意識なのである。ヨーロッパにおける近代以前の社会秩序は神の摂理の表現であった。その後の国王権力にしてもそれに依拠している。近代ヨーロッパは、宗教的世界観から新たに自由な個人を見出し、人民が自分たちの権利を奪取することから始まったのである。  明治以降の日本はヨーロッパをモデルに近代化をはかった。しかし個人という自己の目覚めを欠いたこの出発点の差は大きい。日本人の主体感覚と権利意識の低さはここに由来するのだろう。もちろんヨーロッパをお手本にすればいいというものではない。日本独自の文化、その歴史を考慮した上でなされるべき改革だったはずである。  我が国の近代化は、ヨーロッパ化とナショナリズムに伴う国粋化が繰り返された歴史と言えるだろう。それ自体は自然かもしれない。ただ、両者が相対化されることなく極端に揺れ動いたことが悲劇を招いたのだ。なぜ敗れることのわかっているような戦争を起こし長期間にわたって継続したのか。そして戦争の悲惨は語られても、なぜ戦争責任の追及にはあまり目が向けられないのか。  こうした現代日本の抱える課題と、文科省の掲げるパターナリズム(父権主義、温情主義)は通底しているように思えてならない。分離して暖かく見守るような現在の姿勢を続けるかぎり、我々はいつまでもこれまでの短絡的で視野の狭い自分から脱却できないのではなかろうか。そして、曖昧な近代化の歴史の中でおかしてきたと同様な過ちを繰り返してしまうのではなかろうか。  本書は、戦う弁護士として知られ、昨年十月に亡くなられた大谷恭子氏が同年六月のシンポジウムで行った基調講演をベースにしている。彼女を慕い、共に活動してきた方々によって編集され、関係者も文を寄せている。実は大谷さんと評者は高校の同級生である。文字通り机を並べ「もう、少しは静かにしなさいよ!」と叱られたりした時のテクストが『チップス先生さようなら』だったことまで覚えている。  その後も何度かお会いしてお話しする機会があった。永山則夫が一度無期になりながら再び死刑判決を受けた時の彼女の怒りの言葉は忘れられない。犯罪を犯した者にもそれぞれ背景がある。その罪の責任のすべてを一犯罪者個人が負わなければならないのか。皆が平等な社会などあり得ないし、社会秩序は逸脱を目にすることによって形成されるとも言える。悪の存在しない社会、構成員がすべて同じ価値観を有し同一行動をとるような社会は耐え難い全体主義社会であろう。  障害をもった方々は、一身にその不運、不自由を耐えなければならないのか。この社会にはもっと「ゆらぎ」が必要なのだ。多様性をただその存在を認める在り方と捉えず、幅広く共感し、共生していくこと。マイノリティを切り離し保護しようとする一見の善意が、時に差別の原点と重なっていることを本書は訴えている。  衆目を集めるような様々な刑事事件を担当してきた大谷さんの行きついた先がインクルーシブ教育だったということに深い感銘をおぼえる。裏表のないまっすぐな方だった。「大谷先生さようなら」ご冥福をお祈りする。(ふじばやし・みちお=フランス文学者)  ★おおたに・きょうこ(一九五〇―二〇二四)=弁護士。永山則夫連続射殺事件、地下鉄サリン事件などを担当。著書に『共生の法律学』など。  ★やなぎはら・ゆい=弁護士(アリエ法律事務所)。  ★くろいわ・みはえ=弁護士(南魚沼法律事務所)。

書籍

書籍名 分離はやっぱり差別だよ。
ISBN13 9784768436097
ISBN10 4768436099