2026/02/06号 5面

「つながり」がよむ 近代和歌・短歌の社会史

「つながり」がよむ 近代和歌・短歌の社会史 松澤 俊二著 小松 靖彦  私たちは短歌を最も身近な文学だと思っている。ところが、ヨーロッパからの留学生は、短歌は「詩」とは思えないと言う。彼らは「詩」には思想を展開するための十分な長さが必要と考えている。また、日本の学校教育を受けた者であれば、一度は短歌を作ったことがあると思う。しかし、中国からの留学生によれば、中国では学校で漢詩を作る機会はないそうである。  このような特異な性質をもつ短歌の本質に、「つながり」という視点から迫ろうとしたのが本書である。本書のタイトルの「つながり」とは、「人に「よむ」(詠・読)ことを促し、よむことで新たに立ち上がる、人びとの関係性の様態」(「まとめと展望」)を言う。短歌における「つながり」というとまず、歌人の団体の「結社」が想起される。しかし、著者はむしろ「結社」に組織されていない、短歌を「よむ」人々の幅広い「つながり」に光を当てる。  具体的には、いわゆる「旧派」と「新派」がせめぎ合った一九世紀末から二〇世紀初頭に、その対立の周囲で短歌を「よむ」ことを希求した人々――「折衷派」の落合直文のもとに集った人々、日清・日露戦争期の合同歌集の作者たち、文芸誌「女子文壇」に投稿した女性たち、短歌入門書を求めた人々――、あるいは「新派」中心の文学史では看過されてきたが、大きな勢力を保っていた「旧派」の人々――和歌山歌学協会、大日本歌道奨励会――に焦点を絞り、綿密な資料調査を踏まえながら、その社会史的分析を試みている。  以上に加え、歌会始、源実朝受容、プロレタリア短歌、戦後の堺市における与謝野晶子顕彰にも注目し、これらを結節点として生み出された近代短歌の「つながり」を明らかにする。その際、著者の視線は文学作品を超えて、絵画・写真・絵はがき・菓子・料理・楽曲、また晶子顕彰のモニュメントなど、さまざまな文化現象にまで及んでいる。  既存の「近代短歌史」とは大きく異なる視座に立つ本書からは、近代短歌をめぐる二つの重要な論点を導き出せる。  第一に、近代短歌の「つながり」と出版メディアの関わりの深さである。古典和歌も『萬葉集』以来、儀礼・宴や手紙など「つながり」の中で「よむ」ことが行われている。その「つながり」は中世には都と東国、江戸時代には国学者たちによって全国的なものへと広がるが、あくまでも「対面」がベースであった。  しかし、著者の分析は、近代短歌では、雑誌の投稿欄など、直接に面識のない者同士の「想像的なコミュニティ」が極めて重要な役割を果たしたことを鮮明にする。しかも出版メディアは「つながり」の場を提供するだけではない。著者によれば、「女子文壇」の編集者河井酔茗は、与謝野晶子をロールモデルとしつつ、「和歌と女性の本質的な近親性を仮構、強調」し、女性の読者を「新派」に誘導したという。戦後の堺市における晶子顕彰も、このような誘導の延長線上にあると言える。  本書を機に、近代短歌における出版メディアが作る「つながり」に関する資料収集と理論的研究が盛んとなることが期待される。  第二に、近代短歌の表現する「自己」の問題である。著者は、他者との差異性に基づく「自己表現」の有無・巧拙という「新派」の評価基準によって、「旧派」やプロレタリア短歌を裁断することを批判する。「旧派」には地域の歴史と不可分の「自己」や、「人間の真心」・「誠」、プロレタリア短歌には集団の意志の表現という、「新派」とは異なる評価基準が存在していたと主張する。  この主張は、近代短歌がめざした「自己」とは何かを改めて考えさせる。著者は、日清・日露戦争下、「旧派」が類型的な戦争短歌を詠んだのに対して(「私情」を詠んだ歌の存在も認めつつ)、「新派」が戦争を通じて、かけがえのないものとしての「自我」の意識に目覚めていったと捉えるが、その「新派」の人々が日中戦争・太平洋戦争下では類型的な歌を詠むようになる。また、太平洋戦争末期には専門歌人ではない特別攻撃隊の少年たちが類型的な辞世の歌を次々詠み重ねた。そのありさまは、古典和歌以来の集団性が異様な形で復活したように見える。  戦争下において、近代短歌の「自己」は脆いものであった。それは、「つながり」の上に成り立つ近代短歌が、「私情」と見えるものにさえ、実は集団性を抱え込んでいたからである。  「「近代短歌」が常に「文学」であったのか」と問う著者とともに、短歌の本質をあるがままに捉えることが今私たちに課されている。(こまつ・やすひこ=青山学院大学教授・日本文学・書物学・文学交流)  ★まつざわ・しゅんじ=桃山学院大学准教授・近代日本の和歌・短歌。著書に『「よむ」ことの近代 和歌・短歌の政治学』『プロレタリア短歌』など。一九八〇年生。

書籍

書籍名 「つながり」がよむ 近代和歌・短歌の社会史
ISBN13 9784625454073
ISBN10 4625454077