2026/08/21号 3面

歴史認識問題と現代日本の左右対立

歴史認識問題と現代日本の左右対立 安東 慶太著 木村 幹 「韓国と日本が歴史対立を克服するためには、相手国の歴史認識だけを問題にし、その改善を求めていてはならない。両国民は、自らの歴史認識だけが正しいという固定観念から抜け出し、より柔軟かつ洗練された姿勢を示すべきである。」  時に、日韓間の歴史認識をめぐる対立において口にされる台詞である。そこでは、過去をめぐる両国の対立が、実は歴史的事実そのものに関わる対立ではなく、その理解や解釈をめぐる対立であり、しかもその理解や解釈、つまり歴史認識は、過去の事実そのものの解明によっては必ずしも定まらない、ということが強調される。日韓両国が異なる国民国家であり、異なる社会である以上、そこにおける過去の解釈や意味づけが異なってくるのは、むしろ当然であり、それを無理に調整しようとしても限界がある、というわけである。  とはいえ、そのことは、日韓両国内部に歴史認識をめぐる対立が存在しないことを意味しない。韓国においては、たとえば民族運動や民主化運動、さらには北朝鮮の位置づけをめぐって、保守派と進歩派の間で激しい対立が続いている。そして同じことは、日本についても言うことができる。太平洋戦争や植民地支配をめぐる問題のみならず、旧憲法下の支配体制のあり方や伝統的な家族制度に対する認識をめぐっても、さまざまな相違が存在し、日夜多くの論争が続けられている。  そのことは、人々の間の歴史認識の違いが、単に国民国家としてのあり方や社会の構成員の経験の違いによってのみ生まれるわけではないことを意味している。本書は、そのような、本来であれば他国と比べてきわめて画一的とさえ言える日本社会において、いかにして歴史認識をめぐる対立が生じてきたのかを、主として1990年代以降の歴史教科書をめぐる問題から論じようとする意欲作である。  そこで強調されるのは、日本における左右両派の対立が、単にバブル景気崩壊以降の日本社会の「不安」によって生まれたものではない、という点である。むしろ、冷戦期にはマルクス主義の影響を受けた階級主義的な対立として表現されていた日本社会の左右対立が、冷戦後には日本という国民国家のあり方をめぐる対立へと組み替えられ、そのアイデンティティの主導権を左右両派が奪い合う構造が生まれた、というのである。つまり、著者によれば、そこで進んだのは、単に「不安」の中で右翼的なナショナリズムがイデオロギー的ヘゲモニーを獲得していくという単純な動きではない。むしろ、ナショナリズムへの依存を共に強める左右両派の二つの新しい運動が、相互に競い合う動きであり、構造であった、ということになる。  このような、1990年代以降の日本社会における歴史認識をめぐる著者の説明は、きわめて図式的でありながら、強い説得力を持っている。しかしながら、あえて隴を得て蜀を望むならば、そこにおいて見落とされている点として、次のことを指摘できる。  第一は、そもそも1990年代以降の状況を、それ以前と画然と分かつことができるのか否かである。右派による歴史教科書見直しの早い動きとしては、1987年の『新編日本史』、原書房、出版の試みがある。これを主導したのは、後の日本会議の母体の一つとなる日本を守る国民会議であった。周知のように、この日本を守る国民会議は、1970年代末に始まる元号法制化運動の中から生まれた組織であり、日本の右派的な政治活動の大きな拠点の一つとなった。  同じことは、左派側の教科書をめぐる動きについても言うことができる。家永三郎の一連の著作から明らかなように、冷戦期における左派側の教科書運動を主導したのは、戦前からの「国民史」の流れを引く人々であり、彼らは、当時の歴史学界で全盛を極めていたマルクス主義的な唯物史観に対して、むしろ批判的な眼差しを向けていた。  こうして見ると、冷戦下における歴史認識をめぐる対立も、結局は左右両派による日本ナショナリズムの意味づけをめぐる争いであったように思われなくもない。冷戦期においてすら、西欧諸国に見られたような政権担当能力を持つ労働者政党が育たなかった日本において、はたして冷戦終焉は、それほど大きな契機となったのだろうか。そもそも「歴史認識をめぐる日本の左右両派の対立」を理解するためには、この左右両派が何者であり、彼らのアイデンティティがどこにあったのかを考える必要があるのではないだろうか。優れた才能を有する著者の次なる著作に期待しつつ、この小稿の筆を置くこととしたい。(きむら・かん=神戸大学教授・日韓関係・歴史認識) 〔*1 鄭在貞『日韓〈歴史対立〉と〈歴史対話〉:「歴史認識問題」和解の道を考える』 坂井俊樹監訳、新泉社、2015年。〕  ★あんどう・けいた=立教大学社会情報教育研究センター助教・歴史社会学。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。博士(学術)。一九九二年生。

書籍

書籍名 歴史認識問題と現代日本の左右対立
ISBN13 9784326351558
ISBN10 4326351551