『小学一年生』100年の現代史
野上 暁著
昼間 たかし
小学館。筆者にとって、もっとも馴染み深い出版社である。幼い頃は学年誌を毎月楽しみにしていたし『コロコロコミック(あの頃は三三〇円だったのに、今や七三〇円‼)』には夢中になった。抽選で当たったチョロQ「量産型豆ダッシュ」はまだ持っている。なにより馴染み深いのは、創業者の相賀武夫が筆者と同じ岡山の生まれだということだ。明治三十年、岡山に生まれた相賀は、地元の書店での丁稚奉公から身を起こし(その吉田書店は場所を移転したが、いまだ健在)、大正十一年に神田錦町で小学館を創業する。「日本文化の基礎は小学校教育にあり」との信念のもと、学年別学習雑誌という前例のないジャンルを切り拓いた人物である。以前、拙著でその来歴を調査して書いたこともある。いま取りかえしのつかない問題があるとしても、創業者の偉業は事実だ。
そして小学館という会社の魅力は、何より編集者たちのキャラクターの濃さにある。右翼もいれば左翼もいる。インテリのはずなのに、口で言うよりも手のほうが早い。すでに引退された某氏とは親しくさせていただいたが、名前を出すと大抵の人が「殴られた?」と聞いてくるくらいの豪傑だ。そんなのが当たり前なのが小学館。本書を読むと、そうした出版社の「人間力」の源流がよく見えてくる。
著者の野上暁氏は、元『小学一年生』編集長にして小学館取締役を歴任した人物だ。一九六八年に入社して『小学一年生』編集部に配属され、新米編集者としていきなり手塚治虫の連載『ガムガムパンチ』を担当する。先輩の新婚旅行中に代理で手塚宅に赴き、一週間泊まり込んでようやく原稿を手にしたという。超多忙な手塚のもとには各社の編集者が詰めかけ、原稿の順番待ちが常態化していた。この修羅場を新人時代にくぐり抜けたというのだから、いかにも小学館の編集者らしい鍛えられ方である。
本書が単なるノスタルジックな雑誌回顧に終わらないのは、戦時下の記述に厚みがあるからだ。満州事変以降、子どもの雑誌は急速に軍国主義に染まっていく。情報局の鈴木庫三少佐は用紙配布を武器に出版社を支配し、軍部の意に沿わない雑誌は用紙を削減されて廃刊や統合に追い込まれた。内務省の「児童読物改善に関する指示要綱」は漫画の量やルビ、使用用語にまで細かく口を出す。『セウガク一年生』は『コクミン一年生』へ、さらに低学年誌を統合した『良い子の友』へと変貌を強いられた。五歳児向けの『幼稚園』ですら表紙に軍艦が踊り、「日本ヨイ国、神ノ国」と刷り込む。子どもの雑誌を通じて見る戦時日本は、どんな通史よりも生々しい。
そこから一転、戦後の高度成長期に入ると著者自身の体験が前面に出てくる。怪獣ブームの最中には「怪獣の解剖図は残酷だ」「暴力を助長する」と教育関係者から激しい批判を浴びたが、編集部はユング派心理学者の見解を盾に「子どもの成長に不可欠なエネルギー源だ」と反論した。こうした現場の判断の積み重ねが、学年誌の編集文化を形づくっていったのだろう。
一九七〇年の『ドラえもん』連載開始にまつわる秘話は圧巻だ。藤子不二雄との企画会議で案がまとまらぬまま予告の締切を迎え、机の中から飛び出す「何か」の絵と「出た!」という文字だけで誌面を埋めた。あの国民的キャラクターの出発点が、こんな綱渡りだったとは。やがて学年誌は黄金時代を迎え、一九七一年四月号では実売八十二万部を突破、小学一年生の三人に二人が読者だったという驚異的な浸透率を記録する。「ピッカピカの一年生」のCMコピーが生まれたのもこの頃だ。部数減への危機感からテレビCMを企画し、野上氏が書いた読者向けメッセージを、電通のコピーライターがシェイプアップ。最初にクニ河内がつくったメロディは演歌調だが、それもさらに工夫されて、あのフレーズになった。
編集長に就任した一九八〇年には、学習塾の普及や学研との競合で部数減少が続く「苦難のスタート」だった。付録の組み立てが難しすぎるという苦情で、読者の自宅まで謝りに行ったという編集長時代のエピソードも本書ならではだ。
三七〇余点のオールカラー図版が、こうした記述を強力に裏づけている。戦時中の軍国主義的な表紙と、戦後のドラえもんや怪獣たちが賑わう表紙を見比べれば、この国の価値観がいかに激変したかが一目で分かる。学年誌は、二〇一七年以降『小学一年生』を残して全誌が休刊した。だが本書は、その最後の一誌が一〇〇年にわたって映し続けてきたものの重さを教えてくれる。一雑誌の社史にとどまらない、学年誌という補助線で浮かび上がる日本の近現代一〇〇年の肖像である。(ひるま・たかし=ルポライター)
★のがみ・あきら=日本ペンクラブ副会長・評論家。大学卒業後、小学館に勤務し『小学一年生』編集長、児童図書、一般書籍担当部長を経て、取締役、小学館クリエイティブ代表取締役社長、白百合女子大学児童文化学科非常勤講師などを歴任。一九四三年生。
書籍
| 書籍名 | 『小学一年生』100年の現代史 |
| ISBN13 | 9784846025250 |
| ISBN10 | 484602525X |
