リミナルスペース
ALT236著
木澤 佐登志
B5判という、写真集や画集を思わせる大型の判型に前頁フルカラー。こういう本はページを適当に繰っているだけで楽しい(テキストの分量もそこそこ多いので読み物としても充実している)。しかも、絵画、映画、音楽CDのジャケットから、ゲーム、YouTubeの動画、Instagramなどに投稿された画像、果ては狂った造本で知られる奇書『紙葉の家』に至るまで、掲載されているイメージ群は一見とりとめもないほど多岐にわたる。
しかし、これら多種多様なイメージ群を、「リミナルスペース」という一語によって相互接続させてみたとき、これまでとは異なる風景が暗がりの向こう側から見えてくるだろう。
リミナルスペース。二〇二〇年代のインターネットを土壌にヴァイラル化してきた新たな美学の潮流。たとえば、人の気配のない地下鉄の通路やコンコース、空港のターミナル、場末のホテルの長い廊下、寂れたショッピングモール、廃棄された屋内プール施設、同じ外観の家がどこまでも無機質に並ぶ郊外の住宅地、等々……。
私たちが普段の日常の中で、何気なく通り過ぎたり一時的に留まったりする場所。こうした、一見ありふれた光景の中に、ある種の懐かしさと不気味さや不穏さが入り混じった奇妙な魅力を見て取るインターネット美学に、誰かが「リミナルスペース」という名前を与えた。
本書では、リミナルスペースを理論的に肉付けするために、フランスの人類学者マルク・オジェの「非場所」という概念が参照されている。オジェは、現代における過剰な〈時間・空間・出来事〉に満たされた社会で生まれる、歴史性やアイデンティティが消去された通過的空間を、歴史性やアイデンティティが堆積した人類学的な空間(たとえば遺跡や神社、地元商店街、家など)と対置させた上で「非場所」と名付けた。
「非場所」の典型例としてオジェが挙げるのが、空港や高速道路、ガソリンスタンドやショッピングモール、あるいはホテルチェーンといった、匿名的で均質な消費/交通空間である。すべてが似通っていて、固有の歴史もアイデンティティも持たないような、一過性の空間。そこで私たちが経験するのは、たとえば「孤独」であろう。実際、オジェは著書の中で、「非-場所がつくりだすのは、単独のアイデンティティでも関係でもなく、孤独と類似性だ」と述べている(マルク・オジェ『非-場所』中川真知子訳)。
本書の著者は、リミナルスペースを三十年前に理論化していたとしてオジェの「非場所」という概念を高く評価している。しかし、「リミナルスペース」と「非場所」は、とある一点において、むしろ鋭く対立する。それは、一言でいえば「人の気配の有無」だ。
「非場所」の消費/交通空間は、お互いに似通った匿名的な人々で溢れかえっている。そこは、オジェにしてみれば、一方で人々が固定化されたアイデンティティから束の間解放される、あらゆる偶然と出会いに開かれた、「何かが起こる」空間でもあるのだ(たとえば前掲書一三頁を参照)。
それとは対照的に、リミナルスペースはどこまでも人の気配がない。つまり、そこは無人であり、「何も起こらない」。そこでは逆説的にも、「孤独」すら経験され得ない。というのも、「孤独」を経験する私の存在自体がそこから消去されているからだ。私たちは、常にスクリーンを通してリミナルスペースの「誰もいない」イメージにアクセスするのである。
この点について、コロナ禍の経験がリミナルスペースの想像力にもたらした影響力は決定的に思える。空港をはじめとした交通空間は閉鎖され、ロックダウンは街並みから人々の影を消し去った。そして、私たちはそうした無人の光景を、テレビやインターネットのスクリーンを通じて知覚した。それは、さながら「非場所」の否定(あるいは機能不全)、すなわち「非-非場所」の現前のようでもあった。
現代社会(スーパーモダニティ)が生み出す「非場所」とコロナ禍によって現出した「非-非場所」、これら二つの場所を隔て、時に交錯させる閾=「リミナル(liminal)」にこそ、リミナルスペースに特有の感覚が宿るのではないか(たとえば、「何かが起こる」と「何も起こらない」の閾について想像してみること)。
いずれにせよ、本書はインターネットと私たちの視覚をハックし侵食し続けるリミナルスペースという迷宮を探索するためのアリアドネの糸を読者に授けてくれる。だが、本書は同時に一方通行のウサギの穴(ラビットホール)でもありうる。つまり、そこに落ちた読者は、二度とこの世界をそれ以前と同じようには知覚できなくなるのである。(佐野ゆか訳)(きざわ・さとし=文筆家)
★ALT236=YouTubeチャンネル「Alt236」のクリエイター。動画を通じて超常現象の視覚的シンボルを解読し、ホラーの美学への興味を追求している。チャンネル登録者数四〇万人、再生回数一〇〇万超えの動画も多数。主な著書に『Kodex Metallum』。
書籍
| 書籍名 | リミナルスペース |
| ISBN13 | 9784845924004 |
| ISBN10 | 4845924005 |
