書評キャンパス
かまど、みくのしん『本が読めない33歳が国語の教科書を読む』
山崎 真矢
正直に言わせてもらうと、私は本をスラスラ読んでいた。1ページ目から順番に目を滑らせ「なるほど、こんな技法が使われているんですね」などと、したり顔で情報のパズルを解いていたのだ。
しかし、本書を読んだとき、そんな自分に冷水を浴びせられた気がした。ウェブメディア『オモコロ』のライター・みくのしん氏。彼にとって、読書は情報の摂取なんて生易しいものじゃない。それは対話であり、文字との格闘技だった。本書は、そんな彼の読書の様子を相方のかまど氏が記録したドキュメンタリーである。
みくのしん氏の読書スタイルは、きわめて感情的だ。彼は、文章を前にすると、知らない語彙や漢字に立ち止まり、そのイメージを五感でとらえようとする。そして、登場人物の喜怒哀楽に深く共感し、時には感情を爆発させる。
例えば「やまなし」を読めば、 抽象的な表現に翻弄されながらも、最後は川の世界を自由な世界と捉えて気持ちを高ぶらせ、「山月記」を読めば、虎になった李徴と過去の自分を重ね合わせて、まるで本人に向けるかのように「助けてって言えばいいだろ!」と檄を飛ばしている。
さらに、『枕草子』のような古典作品でさえ、その描写の鮮やかさに心を動かされる様子は、読書が知識習得のものである以前に、感情を揺さぶる原体験であることを思い出させてくれる。
彼は、私たちがどこかで手放してしまった「正解なんて知るか! 俺は今こう感じてるんだ!」という剝き出しの感受性を、33歳にして爆発させている。
では、なぜ、これほど感性豊かな人物が「本が読めない」と思い込んで生きてきたのだろうか。それは、現代の国語教育が正解を求める学習に偏っていたからではないか。
国語の授業、とりわけ小・中学校では「主題は何か」「表現技法は何か」「人物の心情を答えよ」といった正解を求める学習になりがちだ。学習者の多くは、この「正解主義」のなかで、自分の素直な感情や解釈を抑え、用意された答えにたどり着くことを優先してしまう。その意味で、みくのしん氏の読み方は、そうした教育への強烈な「うるせ〜〜〜!」という叫びにも感じられる。
本書は、私たちにこう教えてくれる。本を速く読む必要はないし、難しい批評もいらない。読書は本来もっと自由なものだと。
「紙吹雪のバズーカを撃ったようなキラキラしたエンディング!」
「こいつやりたい放題だな!」
そんな、一文字一文字へのピュアな反応こそが、読書の生きた体験だったはずだ。
かつて授業で「正解」が見つからず本を閉じてしまった人へ。私と同じように文章をスラスラと読んでしまう人へ。本書を手に取り、みくのしん氏と共に、もう一度教科書を開いてみてはどうだろうか。
そこには、テスト用紙には絶対に載っていない、めちゃくちゃなほど自由で、最高に伸びやかな世界が広がっていることだろう。
★やまざき・まさや=大東文化大学文学部教育学科2年。國文學研究会という部活動で幹事長をやっています。教育学科ということもあり、主に児童文学を研究し、小説を書いています。好きな児童文学は角川つばさ文庫の「ようこそ、古城ホテルへ」シリーズ。
書籍
| 書籍名 | 本が読めない33歳が国語の教科書を読む |
| ISBN13 | 9784479394556 |
| ISBN10 | 4479394559 |
