カメラマン高橋清・世界を切り撮る
高橋 清著
鈴木 雄雅
かつて「メディアは社会を映す鏡である」とか、プロフェッショナルなジャーナリストによる「社会の一部を切り取る」などと但し書きがつけられたこともあるが、いまや社会を映すと言われるメディアは何でもありの時代かも知れない。
本書は映像(テレビ)カメラマン、写真家として世界と日本を記録した高橋清(一九三四―二〇二二)の遺稿集である。
その活躍の主戦場はNHK特集(ドキュメンタリー)やルポルタージュであったにしても、アジアの庶民(第2章アジアを見つめる)や旅人として世界を撮り、活字も残している。編者らは高橋の取材力、記録力、そして記憶に感嘆する(第1章座談会「高橋清という人」)。
圧巻は「二十世紀を記録する」と題して高橋の〈ドキュメンタリーアイ〉が見事に描き出した日本社会の様々な人間の葛藤であろう(第1章)。
一言で言うと、高橋のアイとはすべてヒューマンアイなのである。対象となる人物や組織にひるむことなく突き進むエネルギーが本書から十分すぎるほど伝わる。日本への密入国者(密航)や「富谷国民学校」は撮影時が戦後であっても戦前の日本社会から通じるテーマである植民地、戦争などを意識した番組である。
そこから高橋が語る「ヒューマン・ドキュメンタリー」が始まる。熊うち人(青森県)、沖縄の本土復帰にかけた県人会事務局長、老人ホームの嘱託医師と少年院の特殊面接委員(牧師)の夫妻、〈公看〉と呼ばれた公衆衛生看護婦(沖縄)、総会屋、〈うぷしゅ〉と呼ばれた漁の達人(与那国島)など。いずれも日本が戦後の経済復興、成長期にあたる一九六〇から八〇年代にかけての作品である。
ある意味光り輝く、高度経済成長の豊かさに興じる一方、心の豊かさが失われつつある時代ではなかったか。高橋アイはその底辺を支えた人々(影)を映し出している。コンプライアンスが声高に言われる今から見れば、それとは真反対になるような取材を進めている。ジャーナリスト高橋の矜持が森羅万象の輝く瞬間をとらえたとも言えるだろう。
〈ドキュテイメント〉などと呼ばれるようなドキュメンタリー+エンターテイメントを融合した新しい映像ジャンルが登場している昨今だが、高橋アイはあくまでも事実の記録、リアリティと共感、社会問題を深く掘り下げることを実践していたように思う。
そして、もうひとつの高橋アイがとらえたのがアジアと世界の日常(写真+文)である。市井、暮らしの中の一瞬をとらえ、それは風景でなく、まさに人であり、その一つひとつに高橋の人生観が伝わってくる。「私は終生『旅人』なのです」と、高橋は言い残している。
編者らは本書がメディアを志すひとに、森羅万象の輝きの一瞬を見つめる確かな目、自分の中からも消え去ってしまうことを許さない厳しい覚悟、そして世界に注がれる愛が必要であることが伝わることを願っている(二八三頁)。
顧みれば筆者がジャーナリズム教育の中で、写真の使われ方―戦争報道に限らず遺体を写す意味や名高いピューリッツア賞の写真部門の受賞作品の解説が多かった。著名な報道カメラマンに限っては一歩踏み込んでジャーナリズムと写真、映像の意味を問いかけたことも少なくなかったが、本書から一人のカメラマンの生きざまを多く学ばせてもらった。それこそ「ジャーナリズムは人なり」である。(すずき・ゆうが=上智大学名誉教授・新聞学)
★たかはし・きよし(一九三四―二〇二二)=フリーカメラマン・ディレクター・写真家。一九六〇年NHKに入局。特集ドキュメンタリー「富谷国民学校」(一九六九年放送)は昭和四四年度文化庁芸術祭大賞を受賞した。
書籍
| 書籍名 | カメラマン高橋清・世界を切り撮る |
| ISBN13 | 9784871543132 |
| ISBN10 | 4871543137 |
