2026/06/19号 5面

浮かれ騒ぐロシア

ウラジーミル・プロップ 浮かれ騒ぐロシア 坂内 徳明著 石井 正己  ロシア民俗学の研究を進めてきた著者が、『ウラジーミル・プロップ』と『浮かれ騒ぐロシア』の二冊を同時に著した。それぞれ理論と実践なので、かなりの距離があるかに見える。だが、『ロシア文化の基層』(日本エディタースクール出版部、一九九一年)の著者であることを思えば、この振幅は不思議でない。むしろ、それぞれでロシア民俗学をめぐる先鋭な分析を開陳したと見ればいい。  前者の『ウラジーミル・プロップ』は「知の革命家たち」のシリーズの一冊。プロップ(一八九五~一九七〇)は、構造主義の先駆者とされる民俗学者・文献学者で、日本では大木伸一・斎藤君子・北岡誠司らの翻訳で広く読まれてきた。だが、「いずれの著作も刊行後にソヴィエト国内外で賛否両論を含むさまざまな反響を引き起こした」という。それはどういうことなのかという疑問から始まる。  プロップの仕事を再評価するために、一九二八年の『昔話の形態学』、一九四六年の『魔法昔話の歴史的根源』、一九五五年の『ロシア英雄叙事詩』、一九六三年の『ロシア農耕祭』の四冊を取り上げ、それぞれを各章にした。その際、坂内は、各テキストの内容の分析のみならず、彼が生きて、それらが生み出された時代の文化史的背景に言及してゆく。その見通しはまず、「序 プロップの生涯」で概観される。  魔法昔話(本格昔話)に三一個の機能があることを抽出した『昔話の形態学』は、大学を卒業し、ドイツ語教師をしながら独力で完成した。この時期は資料が没収されて不明なことが多いが、個人の創造的な意思が生かされる束の間の時代だったという。その際、アファナシエフの『ロシア昔話集』を読んで、「すべての筋のコンポジションが同じである」と気づいたという逸話がある。これは最晩年の回想で慎重な判断が必要だが、プロップは魔法昔話の規則性を直感したにちがいない。  続く『魔法昔話の歴史的根源』は一九三九年の博士号取得論文だったが、第二次世界大戦時の反ドイツ気運の中で大学から追放されそうになり、発行が遅れた。すでに『昔話の形態学』をまとめる時期に計画されていて、形態学では論じられなかった昔話のモチーフの起源を追究し、加入式の儀礼と他界への旅の観念によるとした。これはスターリン体制下で厳しく糾弾されたが、坂内は伝統との闘いの中でやり抜いた問題提起の一冊として評価する。  プロップは民俗学のジャンル全体を見ようとして、次の仕事に移っていった。口頭で伝承した物語詩ブィリーナに非国家的な戦闘とナロードの英雄像を見た『ロシア英雄叙事詩』、次いで、革命前のロシア農民の祝祭にキリスト教以前の異教があることを見た『ロシア農耕祭』を著した。坂内は、『魔法昔話の歴史的根源』と『ロシア英雄叙事詩』が起源を雄弁に語ったのに対し、論理化する過程を書いた『ロシア農耕祭』は『昔話の形態学』に回帰し、「来るべき本論への序奏」にしようとしたと捉える。  それにしても、プロップの生涯には、ドイツ移民の末裔だったことが常に影を落とす。第一次世界大戦に衛生兵・看護兵として勤務し、ロシア人となる決意をしたが、一九三〇年には逮捕され、第二次世界大戦時には大学を追放されそうになる。坂内は、プロップの仕事を再読しながら「言葉を失うことが何度もあった」という。確かに、プロップは激動の時代を奇跡的に生きぬいたという感慨を禁じることができない。  後者の『浮かれ騒ぐロシア』では、プロップの儀礼と遊戯の研究をさらに展開しようとしたにちがいない。場所もプロップが活躍した帝都サンクト・ペテルブルグである。プロップの時代とは違って、フィールドワークと歴史資料を駆使した新たな人文学研究が始まっていたが、集団的行事としての散策を指すグリャーニエの研究者はわずかしかいなかった。ソヴィエト体制下ではタブー視されたが、体制の崩壊がその研究を進める原動力になったと見ていい。  坂内はサンクト・ペテルブルグ郊外のエカテリンゴフを繰り返し訪ねて、思索をめぐらしたという。エカテリンゴフは、一八世紀初め、ロシア海軍の戦勝を記念して、ピョートル大帝が宮殿を建設して妻エカテリーナに贈呈したことにちなむ。そこでは、五月一日をはじめとする春夏の祭日にグリャーニエが開催された。その政治性と神話性から見ればこれは特殊なグリャーニエだったが、それだけにその消長を詳細にたどる意義は大きい。  そこはフィン系住民の居住地だったが、一八世紀初め、ピョートル大帝はフランスの建築家ルブロンにエカテリンゴフを建設させた。大帝が初めてエカテリーナとエカテリンゴフを訪問したのは、外国要人に妻を披露する意味があったという。しかも、娯楽と休憩の場所であるだけでなく、女性が働く工場もあって、特異なウサーヂバ(貴族屋敷)だったと見る。しかし、ネヴァ川氾濫もあって次第に荒廃し、一九世紀になると一般市民に開放される。  造園好きのミラドヴィチは、フランスの建築家モンフェランにエカテリンゴフを再建させた。一八二〇年代のエカテリンゴフの祝祭が、聾啞画家、長老詩人、気鋭のジャーナリストによって残された。頌詩の言祝ぎや散策記の観察も興味深いが、何と言っても、一〇メートルに及ぶパノラマ版画は圧巻で、あらゆる階層の人々が活写されている。だが、祝祭後のグリャーニエはやはり変質を余儀なくされてゆく。一八二〇年代の熱狂ぶりは貴族文化と民衆文化の大きな《転形期》を意味したという。  坂内は、後者を「「浮かれ遊ぶ」ナロードが社会の主役となる時代が目前に迫っていた」と結ぶが、それはプロップが登場する時代でもあった。一方、前者は「民俗学は「新奇なるもの」や「日常ディテール」に翻弄され、埋没するのか、あるいは過去を憧憬し、伝統文化に拘泥するあまり、ロマン主義に陥るのだろうか」と危惧し、プロップの仕事の意義を説く。我々はロシアの問題にすぎないと語りたがるが、人文学研究の根本理念と存立基盤の脆弱さは「ロシアも日本も完全に同じ状況下にある」という。この警鐘が心に響くのは私だけではあるまい。(いしい・まさみ=東京学芸大学名誉教授・口承文芸学)  ★ばんない・とくあき=一橋大学名誉教授・ロシア民俗学。著書に『ロシア文化の基層』『ルボーク ロシアの民衆版画』『女帝と道化のロシア』など。一九四九年生。

書籍

書籍名 浮かれ騒ぐロシア
ISBN13 9784865200799
ISBN10 4865200797