水の時
【詩人・寮美千子珠玉の詩集】
夢のようなラジオ局があった。
1991年に開局した衛星放送ラジオ局「St.GIGA(セント・ギガ)」だ。
赤道上空3万6千キロの放送衛星から、24時間途切れなく発信された音楽と自然音の「音の潮流」だった。
番組はたった2つ。日の出から日の入りまでの「水の時」と、日の入りから日の出までの「星の時」。
時報もコマーシャルもDJのおしゃべりもない。人の声が流れるのは、日の出・日の入り、月の満ち欠け、潮の満ち引きの告知と、「ヴォイス」と呼ばれる「詩」の言葉のみだった。
「水の時」では「Water Odyssey=地球の自然に関する言葉」が、
「星の時」では「Star Odyssey=星や心の宇宙についての言葉」が語られた。
寮美千子は、セント・ギガ開局当初からの「ヴォイス」の書き手。1991〜7年に、600篇余の詩作品を提供。
詩は声となり、音楽や自然音と共に宇宙から降りそそいだ。
このたびはじめて活字化され「水の時」「星の時」の2冊の詩集に結晶した。
後に長編小説『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞を受賞、奈良少年刑務所で画期的な授業を行い、受刑者の詩集『空が青いから白をえらんだのです奈良少年刑務所詩集』などで話題となった寮美千子のもう一つの顔が、ここにある。
「水の時」には124篇、「星の時」には117篇の詩が収められている。
セント・ギガはすでに存在しないが、宇宙から地球を見詰め、地球の音の耳を傾けようとしたそのスピリットは、世界が混乱を極める今日、一層必要とされているものだろう。
陸のうえの兄弟たちよ
どうしてそんなに哀しい顔をする
愛する者を抱きしめるその腕で
もっと多くをつかもうとし
いつも何かを創りつづけて
どこまでも走ろうとするのは
きっといつも何かが足りないからだ
何を探しているのだろう
いつになったら足りるのだろう
どこまでいったら安らぐのだろう
いつも何かを求めて
なおさみしげな二本足の兄弟よ
できることなら戻っておいで
ここに戻っておいで
(「水の時」だからイルカは微笑みながら泳ぐより)
夢のようなラジオ局があった。
1991年に開局した衛星放送ラジオ局「St.GIGA(セント・ギガ)」だ。
赤道上空3万6千キロの放送衛星から、24時間途切れなく発信された音楽と自然音の「音の潮流」だった。
番組はたった2つ。日の出から日の入りまでの「水の時」と、日の入りから日の出までの「星の時」。
時報もコマーシャルもDJのおしゃべりもない。人の声が流れるのは、日の出・日の入り、月の満ち欠け、潮の満ち引きの告知と、「ヴォイス」と呼ばれる「詩」の言葉のみだった。
「水の時」では「Water Odyssey=地球の自然に関する言葉」が、
「星の時」では「Star Odyssey=星や心の宇宙についての言葉」が語られた。
寮美千子は、セント・ギガ開局当初からの「ヴォイス」の書き手。1991〜7年に、600篇余の詩作品を提供。
詩は声となり、音楽や自然音と共に宇宙から降りそそいだ。
このたびはじめて活字化され「水の時」「星の時」の2冊の詩集に結晶した。
後に長編小説『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞を受賞、奈良少年刑務所で画期的な授業を行い、受刑者の詩集『空が青いから白をえらんだのです奈良少年刑務所詩集』などで話題となった寮美千子のもう一つの顔が、ここにある。
「水の時」には124篇、「星の時」には117篇の詩が収められている。
セント・ギガはすでに存在しないが、宇宙から地球を見詰め、地球の音の耳を傾けようとしたそのスピリットは、世界が混乱を極める今日、一層必要とされているものだろう。
陸のうえの兄弟たちよ
どうしてそんなに哀しい顔をする
愛する者を抱きしめるその腕で
もっと多くをつかもうとし
いつも何かを創りつづけて
どこまでも走ろうとするのは
きっといつも何かが足りないからだ
何を探しているのだろう
いつになったら足りるのだろう
どこまでいったら安らぐのだろう
いつも何かを求めて
なおさみしげな二本足の兄弟よ
できることなら戻っておいで
ここに戻っておいで
(「水の時」だからイルカは微笑みながら泳ぐより)
著者 | 寮美千子 |
出版元 | ロクリン社 |
頁数 | 200頁 |
発行日 | 2025-03 |
ISBN13 | 9784867610299 |
ISBN10 | 4867610291 |