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【特別コラム】 誰も責任を取らないのか、その言葉がいろんなところで聞かれました——東電刑事裁判最高裁判決、株主代表訴訟高裁判決をめぐって:海渡雄一、武藤類子さんインタビュー <佐藤嘉幸氏が聞く脱原発シリーズ#11>
誰も責任を取らないのか、その言葉がいろんなところで聞かれました——東電刑事裁判最高裁判決、株主代表訴訟高裁判決をめぐって:海渡雄一、武藤類子さんインタビュー(聞き手:佐藤嘉幸)
東京電力福島第一原発事故をめぐる裁判は、未だ全国で継続中である。今年三月五日には、「東電刑事裁判」の最高裁決定が、六月六日には、「東電株主代表訴訟」の高裁判決があった。訴訟の被害者代理人・弁護士である海渡雄一さんと、福島原発告訴団団長の武藤類子さんに、判決をめぐってお話を伺った。聞き手は筑波大学准教授の佐藤嘉幸氏にお願いした。(編集部)
東電刑事裁判最高裁決定について
佐藤 今日は海渡雄一弁護士と武藤類子さんに、三月五日の東電刑事裁判の最高裁決定、六月六日の東電株主代表訴訟の高裁判決についてお伺いしたいと思います。いずれの判決・決定も福島第一原発事故当時の東電経営陣を無罪とするもので、これで東電刑事裁判の判決は確定したことになります。武藤さんは福島で暮らす原発事故被害者として刑事訴訟を提起されたわけですが、誰の責任も問わないというこの決定について、まず率直な受け止めをいただければと思います。
武藤 地裁、高裁の法廷をすべて傍聴してきたのですが、その中で、本当にたくさんの証人の方の証言、メールとか会議の議事録といった重要な証拠が出てきて、私たちから見れば東電の旧経営陣の責任は明確だったと思っているのですが、どちらも無罪判決となってしまいました。
ただやはり、最高裁に対しては本当に一縷の望みをかけていたのです。この国の最高裁、最も公正で独立しているであろう最高裁で、何とか地裁、高裁の判決が覆されないだろうか、という願いをずっと持っていたわけです。しかしながら、最高裁では法廷は一度も開かれなかった。私たちはこの決定が出る二日前には、最高裁に行きまして、東電との深い関りが疑われる草野裁判官は審理を回避すべきだという署名を提出して、そして草野さんが退官するからといって拙速な判決を出さないでほしいとお願いしてきました。
三・一一を間近に控えた日にこのような決定を出したということに対して、やはり原発事故の被害者としては非常に踏み躙られたという思いがし、裁判所の冷酷さみたいなものを非常に感じました。とても辛かったです。
誰も責任を取らないのか、その言葉がいろんなところで聞かれました。憤りと落胆が入り混じったような、自分たちがこんな目にあっているのに誰も責任を取る人がいないのかという、そういう気持ちの言葉が本当にたくさんの方から聞かれました。
佐藤 経営陣の責任を一切問わないということはやはり不自然である、それによって新たな原発事故を準備することになりかねない、という声もあったと思います。
武藤 私たちが刑事告訴するときには、自分たちが受けたような被害を他の誰も今後受けることがないように、という思いがありました。二度と同じような事故を起こさないように、そういう思いで告訴して、この裁判を一三年間闘ってきたわけですので、やはり経営者の責任が問われないということにはとても危機感を感じます。また同じような事故が起きて、私たちと同じような悲劇を味わう人たちが出てくるのではないかという危機意識を持っています。
佐藤 海渡先生にも、裁判全体の受け止めについてお伺いしたいのですが、いかがでしょうか。
海渡 東京地裁、高裁で無罪判決が出て、最高裁に上訴された時点では、東京地裁で東京電力の厳しい責任を認める株主代表訴訟判決が出ていたわけです。最高裁判所の中には、我々の事件が係属していた第二小法廷には三浦守裁判官という、福島原発避難者訴訟の六・一七最高裁判決で国の責任を認めるという素晴らしい少数意見を書いてくれていた方もいたわけです。そして草野耕一裁判官――六・一七判決の多数意見を構成していたうちの一人ですが――この方は東京電力と非常に深い利害関係があるということが分かってきていました。彼の所属していた西村あさひ法律事務所が東京電力の事件をたくさん受けているというだけではなく、この事務所に所属していた元最高裁判事千葉勝美さんという方に東京電力が依頼して、東京電力には責任がないという意見書を出させて、それを受け取る側の裁判所に彼はいたわけです。そして、同じ法律事務所のもう一人の弁護士が東電の社外取締役である。そういう何重にも東京電力と深い人間関係があるということが分かり、草野裁判官の審理からの回避を求める署名を刑事訴訟支援団、告訴団で取り組んでいただいて、なんと一万五千人ぐらいの方が署名してくださって、毎月のようにそれを最高裁に持参して、様々な新しい専門家の発言、証拠も持参したわけです。その声はおそらく最高裁の裁判官室に届いていたと思うのです。
我々が草野裁判官は審理を回避すべきだとスピーカーで宣伝行動をやったのは、最高裁の表門の前だったので、その先には裁判官室の窓が見えるし、そこで電灯をつけたり消したりするのも見えていました。そういう状況でしたので、よもや草野さんが関わる形で判決が言い渡されることはないだろうと我々は考えていたのです。三月三日の日に最高裁に行ったときは、あと二週間で草野さんは退任だというタイミングで、ある意味「やった」というか、「ついに草野さんの退任を勝ち取ったぞ」と勝利宣言的な意見書を書き、そして今までの刑事裁判を振り返るような意見書、言ってみると、更新意見のようなものを作って、これを新しく第二小法廷に来る新たな裁判官、高須準一裁判官向けに、まずこの書面をお読みくださいという形で結構力を入れて作ったのです。高須さんは本当に弁護士会が万を持して推薦した、弁護士会出身の弁護士らしい活動をしてきた方です。四大事務所出身とかではなくて、いわゆる町弁と呼ばれているような小さな事務所で仕事をし、弁護士会の活動を重ねてきた方でしたから。
第二小法廷には裁判官は五人いるけれども、一人は今崎さんという最高裁長官ですから、裁判の評決には加わらないのです。三浦さんと高須さんが組めば、二対二になるわけです。草野さんはいなくなっているわけだし、もう一人尾島さんという調査官出身の割と穏健と見受けられていた新しい裁判官もいるから、うまくすれば三対一になるし、そうならなくても二対二になる。そうすると上告を認めるか認めないかが同数になって、そうなると大法廷に事件が回付される。そういう展開の一歩手前まで来ているという認識だったわけです。そういう意味で、希望が見えてきたようなところでした。それをなきものにするような最高裁決定が、ぎりぎりの時点で書かれたのです。
最高裁決定は三月五日に出されている。そしてそれが六日に指定弁護士のところに送られてきた。そして、六日に指定弁護士と告訴団、支援団とで、前後する形で記者会見をやれたわけですが、我々のところに公式の上告棄却の決定が来たのは七日です。指定弁護士の方には特別送達で翌日に着く。我々被害者代理人のところには普通郵便で、それも上告を棄却しましたというペラ一枚の中身も何も書いてないものが送られてきました。こういう差別扱いがされたのです。我々が指定弁護士と緊密に連絡を取り合っていなければ、三月六日に指定弁護士に最高裁決定を見せていただいて、告訴団、支援団、弁護団として声明を作ったり、会見をしたりする、ということはできなかったわけです。そういう意味で、最高裁のやり方は、ものすごく意地汚いというか、我々の発言権自体を奪おうとしたのです。これは昔からそうなのですが、これだけ長い年月かけてやってきた裁判の最後に当たって、武藤さんたちのような告訴人に発言の機会を与えないようなやり方で幕を引かせようとした。私は本当に強い怒りを覚えています。
それは我々の努力で未遂に終わったわけですが、それは我々が指定弁護士と緊密に連絡を取り合っていたからできたことであって、そうでなければ、決定内容だけが報じられるという、大変なことになっていたところです。
三つの判決・決定を比較する
佐藤 判決・決定を読むと、絶対に東電経営陣を有罪にはさせないという強い意志のようなものを感じました。つまり、裁判で強固に積み上げてられてきた有罪の証拠を、屁理屈のようなもので捻じ曲げていっているという感覚です。海渡先生はこの点についてどうお考えでしょうか。
海渡 ここで、六・一七最高裁判決、今回の三・五刑事裁判最高裁決定、六・六株主代表訴訟控訴審判決、この三つを比較して話してみたいと思います。どれもひどい判決だから、同じような判決だったのだろうと一般の方は思われるかもしれないですが、三者はまったく違うことを言っているのですね。これはすごく重要なことだと思うので、分かりやすく説明してみたいと思います。
まず、六・一七判決はどういう判決だったか。東京電力が行った推本[地震調査研究推進本部]の長期評価に基づく津波の高さの計算、一五・七メートルという計算は合理的なものだったと言っている。これはすごく大事な点で、それに対する津波対策を講じる必要はあったけれども、津波対策を講じていたとしてもその完成には数年かかっただろうし、防潮壁を作るとしたらそれは南側にしか作らなかったはずで、原発事故は結局防ぐことはできなかったというのです。専門用語で言うと、結果回避ができなかったというところで原告側を負かしている判決なのです。ところが、今回の三・五刑事裁判の上告審決定というのは、推本の長期評価の信頼性そのものを否定してしまっている。これに対する対策はしなくてよいとはっきり言ってしまっている。ですから、その後の対策についてはまったく議論していない。最悪ですね。
六・一七最高裁判決の少数意見である三浦意見と、株主代表訴訟の一審判決はほぼ似通っているのですが、株主代表訴訟の一審判決は、長期評価に基づく津波対策は必要だった、長期評価には十分信頼性があると言っていて、そして水密化等の対策を講じれば、議論が本格的に始まった二〇〇八年から、三・一一までに十分時間があり、対策は間に合った、だから津波による原発事故は避けることができた、という判断をしている。
ところが今回の株主代表訴訟の高裁判決は、非常に奇妙な理屈で、推本の長期評価は合理的であり、電力事業者としては十分尊重しなければならなかったと言っています。ところが、津波対策としては原子炉を止めて工事を行うしかなくて、そしてなぜだか分かりませんが、水密化等の対策は意味がなかったと言っています。そして、津波対策として防潮壁を建てるために何年にもわたって原子炉を止めなければいけない、そうした対策を基礎づけるほどの信頼性が長期評価にあったかという形で問題を立てて、電力供給義務を負う電力会社が長期に原子炉の運転を止めるまでの信頼性はなかったと結論している。
このように、これらの判決・決定は三者三様で各自が勝手なことを言っている、というのが実情で、一番ひどいのが刑事裁判の決定かもしれません。推本の長期評価自身の信頼性そのものを否定しているのはこのケ鄭ぐらいなのです。論理的には非常に顕著な違いがあって、分かりやすい言い方をすると、六・一七判決は、長期評価に基づく津波高さの合理性を肯定していますから、株主代表訴訟の控訴審判決に基づくと、長期間原子炉を止めて防潮壁を作るしかなかったとすれば、原発事故は原子炉を止めているときに起こったということになる。すると、原発事故は防ぐことができたということになる。
私は、これらの判決・決定がかなり決定的な部分で相反しているという点はとても重要な点だと思います。
佐藤 この判決は、長期評価に福島第一原発の停止を命じるほどの「現実的可能性」がなかった、だから予見可能性がなかったと言っている。しかし「現実的可能性」という概念はとても奇妙な概念で、「現実的(real)」なのか「可能的(possible)」なのかよくわからない。これは、九〇%とか八〇%程度の可能性がないといけないという意味なのでしょうか。そんな確度を持った地震予知は存在しないと思うのですが。
海渡 「現実的可能性」とか、今回の株主代表訴訟高裁判決では「切迫性」という言い方もしていますが、これはある意味で気分的な言葉にすぎなくて、何%といったこととは関係がないと思うのです。そもそも元をたどると、二〇一一年当時の原発の安全規制では、「稀にしか起こらないかもしれないけれども見過ごすことのできないような津波に対しては津波対策をしなさい」と国が命じていた。これは、二〇〇六年に制定された新しい耐震設計審査指針で、石橋克彦先生らも加わって作ったものなので、その文言は割にきちんとしている。「稀に」となっていますから、通常で考えると、一万年に一度程度の地震を指している。しかし、当時の推本の長期評価は、東北の日本海溝沿いで四〇〇年間に三回非常に重要な津波地震が起きているので、三〇年間で計算すると各地域ごとに六%の確率で津波地震が起きる、としていたのです。
原発が一万年に一度の地震に備えなければいけないとすれば、三〇年間で六%というのは相当高い確率です。これを考慮しなくていいということは、どこからも出てこない結論なのです。
お笑いなのは、今回我々が負けてしまった株主代表訴訟の控訴審判決では、「三〇年で六%というのは低い確率ではない」とも認定している点です。けれども「切迫性がなかった」と言っているのです。刑事事件の最高裁決定では「現実的可能性がなかった」と言っていますが、これらは同じことです。なぜ三〇年間で六%の確率があると国が言っているのに対策をしなくていいのか、論理的な考察は何もない。指定弁護士の先生方も、決定後の記者会見でこの部分を一番強く批判されていました。六・一七判決ともその部分では矛盾している、と強く言われていました。最も正しい判断は、六・一七判決の三浦意見と、ほとんど相似形のような判断構造になっている株主代表訴訟の一審判決(朝倉判決)だと思います。
武藤 六・一七判決で最も正しい判断をした三浦さんが、刑事事件の最高裁決定では審理を回避されていました。この謎については何かわかりましたか。
海渡 新聞などでは、三浦さんが刑事事件の捜査に何らかの形で関わったのではないかと思われる、と書かれていたのですが、「何か根拠はあるのか」と新聞記者に問い詰めると、「わからない、最高裁からも何の説明もない」と言われました。調べてみると、この刑事裁判の捜査が行われている時点で三浦さんは、法務省の矯正局長をやっていた。これは刑務所の管理部門のトップで、捜査とはまったく無縁な部署です。最後の一時期くらいには、最高検察庁の監査部門にいたようですが、いずれにしてもこの刑事裁判の捜査に関わるような部局ではない。彼がなぜこの事件から回避したのかは謎と言うしかない。六・一七判決の三浦少数意見の影響力があまりにも大きかったので、「君は捜査機関の一員だった人だから、刑事事件の審理から退いてくれ」とでも言われたのではないか。そうとしか私には思えないですね。
三浦さんが退官されたら、絶対にお友達になってその事情を全部聞き出そうと思っています。私は三浦さんとは喧嘩していた仲なのです(笑)。喧嘩というのは、彼は法務省が総力を挙げてやっていた通信傍受法の導入の際に法案策定の責任者である参事官をやらされていて、私は当時、弁護士会でこの法案を反対する急先鋒に立っていたのです。いろんな場で出会って、怒鳴り合いまでにはならなかったけれども、激しい意見のやり取りをしたことがある。最高裁判事になられてから、三浦さんはジェンダー関係の判例などでも大変良い判決を出されていて、人物を見誤っていたかなと思っているのです。退官されたらぜひ仲良しになりたいものだと思っています。
津波対策はどのように先送りされたか
佐藤 刑事裁判では、最高裁決定に至るまでにかなり綿密に証拠を積み重ねた上で、一旦決まっていたはずの津波対策を先送りしたというプロセスが綿密に証明されました。それは株主代表訴訟に引き継がれ、経営陣に対する一三兆円の支払いを命じるという地裁判決に至ったのですが、それほど綿密な証明をしていたがゆえに、それをひっくり返そうとすると、「現実的可能性」、「切迫性」といった無理難題のような概念で反論するしかなかったのではないか、という感じさえ受けるのですが、いかがでしょうか。
海渡 この刑事裁判で我々は告訴代理人でしたが、犯罪被害者代理人にもなっていて、法廷で指定弁護士の後ろに並んでずっとメモを取りながら審理を聞くことができました。はっきり言うと、検察官側、つまり指定弁護士側の立証には驚きの連続でした。
東京電力の内部で津波対策が綿密に詰められていたという点、そして、二〇〇八年二月の段階で推本津波の予測に基づいて津波対策をやるという方針が一旦は御前会議[勝俣恒久社長の参加する経営会議]で了承を得ているという点がはっきりしています。
そして、二〇〇八年六月の段階で、津波の高さが一〇メートル盤を超える可能性のあることが分かったので、より大規模な津波対策の工事をやりたい、と東電の土木グループが武藤栄さん[当時、原子力部門副本部長]に上申します。この会議は二時間かかっています。大変たくさんの資料をつけた稟議文書みたいなものが出されて、その場には、土木グループと武藤さんだけではなく、吉田昌郎さん[当時、地震津波対策を担当する原子力設備管理部長]もいたし、山下和彦さんという原子力グループのナンバーツーもいたし、広報部長までいる。そして工事を担当する部局の代表まで呼ばれている。この場の設定がすごく重要だと私は思っています。武藤さんがこの場で「よしわかった、少しお金はかかるがそれで進めてくれ」とだけ言えばよかったのです。広報部長がいたのは、津波対策をやるということを広報して、運転を継続することができるかかが、大きな問題だったからだと思います。
しかし、武藤さんは津波対策を決めないで、その場で宿題を出した。その宿題の中には対策にかかる宿題もかなり含まれていたので、対策をやるかやらないか、そこでは決められなかったと思うのですが、それが六月一〇日です。
七月三一日に二回目の会議が開かれるのですが、二回目の会議は五〇分です。参加しているのは同じメンバーです。その場では土木グループの人たちが、宿題の説明をずっとする。その間、武藤さんは何も言わないで聞いているだけで、終わる数分前になって「研究をしよう」と、要するに、対策をするのではなくて研究をしようと言って、津波対策の検討を電力会社がお金を出している土木学会に先送りしてしまう。その場にいた土木グループの人たちはみんな、この会議をきっかけに対策が始められると思っていたわけですから、びっくりしてしまって、高尾誠さん[当時の土木グループ津波担当課長]は「力が抜けてしまって、その後のことは何も覚えていない」とまで言っている(https://shien-dan.org/soeda-20180410/)。
非常に罪深いなと思うのは、部下たちは、津波対策を進めるという方針を日本原電、東北電力、JAEAに言ってしまっていた。「対策するということで進めていましたが、方向転換です」というメールがすぐ送られている。東電社内全体が対策を始めるという方向になっていたものを止めたのです。止めたことの妥当性が問題となっているので、推本の津波評価の信頼性がどうかとかそういうレベルの問題ではなく、「対策に数百億円のお金がかかる、またそれだけのお金のかかる津波対策を始めたら、少なくとも応急対策が終わるまでは原子炉を止めなきゃいけなくなるだろう」と慮って津波対策を先延ばししたと考えられるのですね。
そういう意味では、残っている証拠から見ると、今回の最高裁決定も株主代表訴訟の控訴審判決もまったく的外れです。なぜ対策が先送りされたかといえば、原子炉の停止を恐れ、そして、中越沖地震で柏崎原発の運転が止まっている中で、対策工事にお金がかかることを恐れただけのことなのです。やらなければいけないことが分かっている対策を怠っただけのことなのですね。
佐藤 現実的可能性、切迫性がなかったと二つの判決・決定が述べているわけですが、二〇〇七年には柏崎刈羽原発が、中越沖地震に直撃されて大きな火災を起こしています。そのことを考えると、日本の原発の中で最も津波に脆弱だとされていた福島第一原発では、事故の現実的可能性、切迫性は明らかにあったと考えるべきですね。
武藤 証言の中で一番鮮明に残っているのは、高尾さんの「力が抜けた」という証言や、検察官面前調書での山下和彦中越沖地震対策センター長の証言です(https://shien-dan.org/yamashita-201809/)。「赤字を恐れて対策を先延ばしにした」とあそこまで明確に証言している。こんな証言が出ているのに、なぜこれが認められないのか、と本当に愕然たる思いがしました。
海渡 山下さんという方は、本当に正直な方だったと思うのですね。はっきり言うと、山下さんの調書は自白調書です。自分たちがどこで間違ったのかということを正確に述べている。他の役員たちが否定していることをすべて正直に喋ってしまった調書なわけです。東電刑事裁判ではこの調書には信用性がないと言っている。非常におかしいと思うのは、彼らは逮捕されたわけじゃなく、任意調べを受けていただけだという点です。こういう会社であれば、取り調べがあるたびに絶対に本社に呼ばれて、どういう供述をしたかということを全部付き合わせさせられていたはずなのですね。山下調書は一通じゃない、何通もあるのです。すごく時間を置いて、結局同じことを繰り返し言っている。山下さんという方が証言に出てきていれば、判決の結論は変わったかもしれないと思うのですが、結局彼は一度も公判に姿を表さなかった。東電側の説明では健康を害しているというのですが、疑わしいなと私は思っています。
山下さんという方は、原発事故当初の記者会見でも中心的に話されていた方です。また、日本国民のほとんどが覚えていると思うのですが、安倍総理がブエノスアイレスで東京オリンピックを受けたときに「福島はアンダーコントロールです」と言いましたね。それを受けた東京電力の会見で「福島はアンダーコントロールではありません」と言った人なのですね。時の総理が言ってもそれを否定するだけの胆力を持っている人でした。言わなければいけないことについては真実を言う人だったのです。
もちろんこの事件の発生について、山下さんには責任があります。吉田さんと山下さんは、原子力部門のナンバーワンとナンバーツーだったわけで、大きな責任があるのですが、自分がそこできちんと判断できなかったことが原因でこの事故が発生したということをはっきり認めていた。結局最後までこの刑事裁判一審も二審も、我々株主代表訴訟の控訴審でも、この人に法廷に出てもらおうと思って一生懸命動きました。株主代表訴訟の木納裁判長も出せないかということで詰めてくださったりもしたのですが、結局出てこなかった。吉田さんは早く亡くなり、山下さんは病気とされ、この刑事裁判で二人とも証言できなかったことは本当に心残りですね。山下調書は、もっと皆さんに読んでもらいたい調書だと思います。
株主代表訴訟高裁判決について
佐藤 次に、六月に出た東電株主代表訴訟の高裁判決に移りたいと思います。経営陣に対する一三兆円の支払いを命じる画期的な判決が、なぜこうした支離滅裂な判決によって覆されてしまったのか。そうした判断に本当に必然性があるのか。まず武藤さん、この判決を聞いてどのようにお感じになったでしょうか。
武藤 刑事訴訟が敗訴で確定してしまったので、株主代表訴訟では、一審の素晴らしい判決が出ているので、きちんと経営陣の責任を確定してほしいとすごく思っていたのですね。それが被害者にとっての希望、本当に一筋の希望だったと思うのですが、それが覆されてしまったことに、本当に怒りを感じました。なぜ朝倉さんの一審判決がここでひっくり返ってしまったのか、こんなに簡単にひっくり返されるものなのか、と悔しく思いましたね。
再び被害者の人たちからは、なぜ誰も責任を問われないのかという言葉がたくさん聞かれました。ただ、メディアからは、これで経営陣の責任が免れたわけではないという、判決に対する批判的な意見も出ていたのが、それが救いだったかなと思っています。
海渡 この判決は、我々の述べていたこと、朝倉判決が述べていたことを引き継いでいる部分がかなりある。これは驚くべきことで、少しまとめてみたいと思います。
判決は最初に、「原発事故は国を崩壊させかねないほど大きな被害をもたらすので、万が一にも事故を起こさせないために高い経営上の責務を負っている」とはっきり認めている。これは六・一七判決や、刑事裁判の最高裁決定にはなかったことで、この部分は三浦意見、朝倉判決と共通している。
また、長期評価については、これを十分に尊重しなければならないと言っている。ところが、ここが非常に不思議な部分ですが、ここから長期評価には原子炉を停止させるだけの信頼性があるかという問題を立て、そこまでの信頼性はないと結論するのですね。そして、停止以外の対策には意味がない、水密化などの対策は議論する必要がない、と言ってしまっている。
そして、長期評価は尊重しなければならないと言ったそばから、切迫感、現実感がないから原子炉を停止する必要まではなかった、という詭弁を述べている。それによって経営陣の責任を免責してしまった。しかし免責した後で、高裁判決は最後に、「福島原発事故の後では、経営者の責任はより過重されている。だからもっときちんとした判断をしなければいけない。過酷事故は二度と起こしてはならない。そして、原子力発電に頼るやり方についても再検討しなければならない」とまで述べているのです。非常に不思議な判決ですね。週刊文春などはこれを評して「大岡裁き」と書いていて、つまりはどっちつかずの判決なのです。
もちろん、全員一致でこういう判決を書いたということもあり得ますけれども、あまりにも論理が支離滅裂で破綻しているので、私は裁判官三人の中で意見が対立したのだと思います。
判決言い渡しの際に、東電の責任を強く認める内容を述べるときだけ、裁判長の木納さんの声が一オクターブ高くなったのですね。大きな声になって一オクターブ高くなった。裁判長自身は、本当は東電の責任を認めたかった。しかし二対一で敗れて、でも原発事故を繰り返してはいけないという思いで、ここだけは書かせてもらうと言って書いたのではないか。それによって論理的破綻を来している、と私には見えました。
武藤 最後のところで、木納裁判長の声が変わったというのは確かなのです。大きい声になったのですね。だから、彼が言いたかったのはこんな部分なのかなということは私も思いましたが、ならなぜこの判決なの、とも思って頭にきたのも事実ですね。
海渡 恐らくこの裁判体は、元判決を維持する方向で三人まとまっていたと思うのですよ。ところが、そこに右陪席の伊藤裁判官が送り込まれてきて、合議体の雰囲気がすごく悪くなった。私たちは福島第一原発の現地まで彼らと一緒に行って、一日一緒に過ごしたのですが、裁判長と右陪席は何か意見が食い違っているな、という感じは強く受けました。現地に行くのも、裁判長は絶対に行きたいと言ったのですが、右陪席は行きたくないと言っていました。考え方が分裂しているということを感じる局面は随分あって、その結果が判決の論理破綻につながっている気がします。
佐藤 判決の論理破綻は明確で、例えば、判決は最初に、原子力事業者には「最新の科学的、専門技術的知見に基づいて、過酷事故を万がーにも防止すべき社会的ないし公益的責務がある」としながら、長期評価だけでは原発に運転停止を求めるほどの「切迫性」がなかったとして経営陣の責任を免除しています。もちろん、裁判体の中でいろいろな意見の食い違いがあったことが反映されている、と言えばそれまでなのですが、やはり判決自体が矛盾しているということは非常におかしいですね。
海渡 今回の上告に当たって出したアピール(http://tepcodaihyososho.blog.fc2.com/blog-entry-451.html)の中でも、この判決は論理矛盾を犯していると述べています。論理的整合性のなさという部分が上告理由を構成できるとすれば、最高裁は論理性を持って判決を下さなければならないということになる。最高裁の場合、一人一人の意見が書けるわけですから、最高裁の判事の中に意見の分裂は必ず引き起こせるのではないか。
佐藤 さらに言えば、判決は最後に、「本件事故を経験した現時点においては、予見可能性の具体性の程度をより抽象化(厳密化)する必要があり、取締役にもより重い責任を課す方向で検討されるべき」と述べていますが、原発事故前と後で法規範が変化するのはおかしいのではないでしょうか。
海渡 佐藤さんが言われる通り、その部分は法的にまったく根拠がないのですよ。原発事故については、稀にしか起きない津波にも対応しなければならないという規範、耐震設計審査指針がきちんとあったわけで、それは何も変わっていないのに、原発事故が起きたことによって規範が上がるというのはまったく理屈にならない。
佐藤 もう一つ、東電が予定していた津波対策工事は耐震バックチェックのためであって、経営陣は地震津波の切迫感は感じていなかったとも言っています。しかし、耐震バックチェックを通すためには津波対策工事が必要なのに、やらなかったのであればこの原発は危険なのではないでしょうか。
海渡 耐震バックチェックというのは、新しい耐震設計審査指針を作って、これに適合しているかどうかを事業者に確認させる、そして、そのことがちゃんとできているかどうかをチェックする、というものですが、それが満たせていなければ原子炉を止めて満たす、ということが分かってから運転を認めるという対策(バックフィット方式)にすべきだったのですね。福島原発事故後はバックフィット方式になったわけですが、バックチェックにおいても、耐震設計審査基準の適合がないと、原子炉は危険だと見なされていました。
保安院は二〇〇六年に、三年以内に地震や津波の対策工事を終えろ、と言っていたわけです。二〇〇六年から三年以内にすべての対策を終えていれば、この事故は確実に防げていたはずです。そこがすごく重要な点です。でも、これは焼け太りというべきか、東京電力は二〇〇七年に中越沖地震のために柏崎刈羽原発で事故を起こして、その対策のために工事が大規模化している、などと言って、バックチェックの時期をどんどん伸ばしていったのです。東電が保安院に対して圧力を加えて対策を先延ばしさせていき、「規制が電力の虜になった」局面なのですが、少なくとも耐震設計審査指針を作った二〇〇六年の段階では保安院は、三年以内にすべての地震津波対策工事を終わらせろ、それができなければ原子炉は停止だとまで言っていたのですね。
株主代表訴訟の判決がおかしいと思うのは、バックチェックをちゃんと通るようにすることは、原子炉の安全性は関係がないと思っている節がある点です。しかし、まさに耐震バックチェックは、耐震基準に沿ってやらなければ危険だからこそやっている。しかも、耐震バックチェックは三年以内にやらなければ原子炉は停止だと言っていた点は、完全に忘れ去られていると思います。この耐震バックチェックの位置づけも、株主代表訴訟の上告審の大きな争点にできると思っています。
佐藤 耐震バックチェックは二〇〇九年までに終わらせる必要があったわけですね。にもかかわらず東電は、二〇一一年三月七日まで津波高さ一五メートルという予測を保安院に報告しなかった。経営陣は無為無策状態で、その中で原発事故を迎えたわけですから、なぜ責任がないのかまったくわからない。判決は無理に事実を捻じ曲げているような印象があります。
国にも東電経営陣にも責任はないのか
佐藤 最後に、お二人にお聞きしたいのですが、原発事故に関する国の責任を免除した二〇二二年の六・一七最高裁判決以来、すべての原発避難者訴訟の判決がこれと同じ方向に流れています。今回の二つの判決・決定も、その大きな流れの中に位置づけられるのでしょうか。つまり、国にも東電経営陣にも責任がない、という大きな流れが作られている。こうした流れに対して私は怒りしかないのですが、武藤さんはいかがでしょうか。
武藤 そうですね。私も怒りを感じますけれども、やはり国はこんな事故を起こしても原発を推進したいとか、電力会社としてはなるべく賠償を少なくしたいという思いがあるとか、そうしたことを感じています。そのために様々なことを免責していくというか、原発事故についても、福島でも起きているように、いかに原発事故の被害はなかったかという方向で様々な宣伝がされたり、政策が行われていたりするのですね。
本当にきちんと東電経営陣の責任を問うことができていれば、今柏崎刈羽原発の再稼働といった話には、簡単にはならなかったのではないかと思うのですが、そのためにも何とか裁判で食い止めたいという思いが、ものすごくあったのですね。
まだ株主代表訴訟の上告審が残っているので、東電経営陣の責任をきちんと認めさせて再稼働の歯止めになりたいという思いがあります。結論ありきで屁理屈を使ってそういう流れを作っていっている、しかもブルドーザーのようなものすごい力が今かかっている、そういうことをすごく感じますね。でも、絶対にこれに抗いたいと思います。
佐藤 国の原発再稼働政策とも関係した、一連の流れの中にある判決・決定ですね。海渡さんはいかがでしょうか。
海渡 もちろん私も武藤さんと同じような感想を持ちますが、角度を変えて言いたいことは、この裁判がもしも開かれなかったらどうだったかということです。その可能性は十分あったわけです。検察官は刑事裁判を不起訴にしましたが、不起訴にしただけではなくて、事件を福島地検から東京地検に移送した。これは、福島の検察審査会だったら絶対に強制起訴になるだろう、東京だったらそうはならないと踏んでやったことなのですね。
最初の段階では、今我々が手にしている証拠は政府事故調と国会事故調の報告書以外にはまったくない状態で、検察審査会の申し立てをせざるを得なかった。そういう意味で、第一回の検察審査会で起訴相当という議決が取れたことは奇跡だと思っています。その時に我々が根拠にしたのは、ドイツ連邦行政裁判所の判決でした。ドイツでは、10のマイナス6乗の確率で地震の恐れがあるというだけで、裁判所が原発の廃炉を決めていた。それくらい原発の安全審査というものは厳しくなくてはいけない、という論理で攻めて、それが第一回検察審査会決定で認められた。第二回では、刑事裁判で明らかになったような証拠類を審査員の市民の皆さんたちがすでに読んだ上で審査会が決定を下してくれたのです。そして、実際に刑事裁判が開かれ、その証拠が明らかになったことはとても有意義なことだった。株主代表訴訟の朝倉判決、三浦少数意見は、この刑事裁判の証拠がなければ絶対に出なかったものです。
この裁判の今のところ、我々は刑事裁判で負け、株主代表訴訟の控訴審で負けた状態ですが、歴史上に残る真実としては、我々が明らかにしたものの方が勝つと思っていますし、そのために最も重要なことは、株主代表訴訟の上告審で間違った判断を覆すことです。
また、我々が手にしたこの刑事裁判の証拠そのものを世の中に広く知ってもらう、そのための努力もしていきたい。私はNHKの朝ドラぐらいにしてもらいたいと思っているし、そこまでいかなくても半沢直樹シリーズみたいなものでもいいのですが、そういうほとんどの国民が見るようなテレビドラマにして、この真実を知らせたいですね。どういうことがあったのか、これだけの証拠があり、証言も取れているので、それに基づいてやり手の脚本家が書けば素晴らしい会社ドラマになるだろうと思うのですね。
私は負けたとは思ってない。これだけの証拠を手にすることができたし、そしてこの事故の真実が何だったのかを訴える主導権は市民の側が握った。その先鞭をつけたのが、武藤さんたちの取り組まれた福島原発告訴団の告訴だった。それを引き継いで、株主代表訴訟で朝倉判決を勝ち取った。その片鱗は、支離滅裂な高裁判決の中にも残っているのです。事態は複雑な局面になっていますが、私は決して敗北局面だとは思っていないのです。
また、報道はしごくまともで、刑事裁判、株主代表訴訟の判決・決定後、明らかになっている事実をきちんと書いてくれている新聞が多かった。それは読売新聞のような保守的な新聞でもそうでした。
武藤 やはり原発事故の被害を、もう一度思い出してほしいですね。今も事故は終わっていないし、どれだけの人の人生が狂わされていったのかを社会全体、そして裁判所はしっかり見てほしいな、と思います。
(おわり)
(二〇二五年六月二二日、オンラインにて収録)
★かいど・ゆういち=弁護士。
★むとう・るいこ=福島原発告訴団団長。
★さとう・よしゆき=筑波大学准教授・哲学。
