ピアノと暮らす
本間 千尋著
下山 静香
日本はピアノ熱の高い国だ。ピアノにまつわる世界を描く漫画や小説がヒットし、四年毎に開催されるショパンコンクールが大きな注目を集める。日本人出場者たちの活躍もあり盛り上がった前回(二〇二一年)の余韻冷めやらぬなか、今年もまた、多くのピアノファンが心躍らせて、画面の向こうのコンテスタントたちの演奏に聴き入ることだろう。
西洋音楽がこの国に移入されてから約一四〇年が経った。現在のクラシック界において、「日本人であること」はもはや不利でも損でもなくなっている。それは、ここ二〇年で急速に進んだグローバル化、ボーダーレス化も追い風としつつ、日本のピアノ文化が成熟した一つの証といえる。高度経済成長期にピアノを始め、バブル期に音楽高校・大学に通い、ミレニアム前後にヨーロッパ留学という道をたどった筆者は、まさにその頃まで、「日本人と西洋音楽」というテーマと常に向き合っていたように思う。そしてよくも悪くも、日本のクラシック業界が〝ガラパゴス的〟であると実感し、そのことに興味をひかれてもいたのだった。
そんな日本の「ピアノ文化」に焦点をあてた本書は、社会学的考察のもと、その特殊性の背景をつまびらかにしてくれるものである。内容は二部に分けられ、第Ⅰ部は「文化資本としてのピアノ文化」「ハイブリッドモダンとしてのピアノ文化」の二章で構成される。第Ⅱ部では、日本におけるピアノ文化史を萌芽期、普及期、成熟期と時代を追って考察する。インタビュー調査も重視し、ピアノ文化の担い手である生身の人間も忘れてはいない。
明治前半、一つのモジュールとして日本へ空間移転した「規格化されたモダンであるピアノ文化」は、富裕層からやがて新中間層へと広がり、高度経済成長期に入って急速に大衆化するに至る。大衆化のきっかけとして「ヤマハ音楽教室」(一九五四年開設)を挙げ、この画期的な情操教育システムの普及がピアノ文化に決定的な変化をもたらしたとする。また、この時代にピアノを習う子供が激増した背後には、「差異化」と「均質化」を同時に望む親たちの複雑な心理があると分析しているが、特に「均質化」志向は非常に日本的なメンタリティといえ、この国のピアノ文化の独自性にもつながっていると考えられよう。
第七章では、日本のピアノ文化を大きく変えた次なるトピックは「ピティナ・ピアノコンペティション」(一九七七年創設)であると述べる。年代を問わず挑戦でき、全国各地で予選が開催されるこの一大コンペティションの参加者は膨大な数に上り、プロ顔負けの「高級なアマチュア」が多数出現している。長じて世界的なスターになったケースもあり、「ピアニスト」への道は必ずしも音大進学が必須ではないことを証明する役目も果たしている。誰でも演奏を楽しめるようになったが、「身体化された文化資本」を獲得した高級なアマチュアによって、日本のピアノ文化がヨーロッパとは異なった文脈で再び階層文化になっていく可能性があるという著者の見解は興味深い。
時代が移れば、必然的に音楽をめぐる状況も変化する。二〇二〇年から数年にわたり世界を覆ったコロナ禍中には音楽を享受する「リアルな場」が奪われ、インターネットの世界が一気に存在感を増すことになった。そして、演奏系人気ユーチューバーがひしめく今、ピアノ文化は新しいフェーズに突入しており、誤解を恐れずに言えば、プロアマ入り乱れる戦国時代の様相を呈している。しかし、閉鎖的だったクラシック業界に風穴が空き、より多くの人々に扉が開かれたという意味では喜ぶべきこととも思う。本書は二〇一三年から一六年の間に発表された論考がベースとなっており、主に扱われているのは「コロナ前まで」の世界である。成熟期の次には、果たして何が来るのか。著者・本間千尋のさらなる研究考察を楽しみに待ちたい。(しもやま・しずか=ピアニスト)
★ほんま・ちひろ=二〇一七年~二〇一九年慶應義塾大学理工学部准訪問研究員。
書籍
書籍名 | ピアノと暮らす |