宮廷芸術家
今井 澄子・田中 久美子・木川 弘美・新保 淳乃・望月 典子・金沢 文緒著
宮下 規久朗
本書は、近世ヨーロッパにおける宮廷芸術家についての論文集である。「宮廷芸術家」といえば、美術史学徒なら誰しもドイツの美術史家マルティン・ヴァルンケの名著『宮廷芸術家 近代芸術家前史』(一九八五年初版、英訳あり)を想起するだろう。そこでは、中世のギルドに縛られていた芸術家が宮廷に迎えられ、報酬や特権を付与されることで社会的地位を向上させてより自由な制作が可能となり、それが近代的で創造的な芸術家につながったことが論じられている。
芸術家の仕える宮廷が創造的で自律的な制作の舞台となったというのである。都市の市民社会よりも前に、宮廷という特殊な社会空間が芸術家の自律性を生み出す契機となったというこの観点は、現在では定説となっている。宮廷画家といっても、ベラスケスのように王宮内に起居してもっぱら王の用命に従う芸術家だけでなく、ティツィアーノやルーベンスのように皇帝や王に仕えながらも故国の工房から離れずに自由な制作を行う芸術家もいた。
本書も基本的にこうした見方に沿って、六人の美術史家がそれぞれの専門分野に近い事例について、宮廷と芸術家との複雑な関係やそこから生まれる創造性や評価の問題を論じている。
今井澄子氏は、ブルゴーニュ公国の宮廷画家であったヤン・ファン・エイクによるフィリップ善良公の失われた肖像画をめぐって考察する。君主の肖像画は権力の視覚化でもあった。ファン・エイクは一四二九年ポルトガルに赴き、ポルトガル王女イザベルの肖像画を描いたという記録が残るが、写真のなかった時代、宮廷画家は君主の妃候補の肖像画を描くことも大きな役割であった。フィリップ善良公の肖像は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの描いたものが広く流布したが、「部屋付侍従」であったファン・エイクも描いたと思われ、写本や宗教画にその姿を描き込んだ可能性が高いという。
田中久美子氏は、フランスのカトリーヌ・ド・メディシスの宮廷画家アントワーヌ・カロンの《三頭政治下の虐殺》を分析する。古代ローマの三頭政治下でキケロらが殺された虐殺事件になぞらえ、ギーズ公ら同時代のカトリック強硬派の三大貴族によるユグノー虐殺を描いたものだと思われている。そして、この惨禍と混乱を国王とカトリーヌ・ド・メディシスが収束させ、平和を実現するという希求を表したものだという。
木川弘美氏は、ザクセン選定侯に仕えたルーカス・クラーナハがボスの《最後の審判》を模写したことに注目し、その意味や受容について考察する。クラーナハがネーデルラントで目にしたボスの作品はカトリックのハプスブルク家の君主に好まれ、ウィーンやマドリードに運ばれたが、クラーナハの属するプロテスタントは「最後の審判」という主題を批判したため、クラーナハの模写も日の目を見ることがなかったのだという。
新保淳乃氏は、カトリックに改宗して一六五五年に華々しくローマに来て芸術を愛好し、ベルニーニらと交わったスウェーデン女王クリスティナの宮廷について考察する。この女王は学芸の庇護者として名高いが、フランス王と共謀してナポリの王位をねらうなど物騒な面もあった。そして、ローマのパラッツォ・リオリオ(現コルシーニ美術館)において古代彫刻を並べ、太陽神としての自らのイメージを形成したという。
本書の編者である望月典子氏は、ローマで活躍していたニコラ・プッサンが一六四〇年にルイ十三世の招聘で帰国し、二年足らずでローマに戻った事情、しかしその後ルイ十四世紀治下でアカデミーの成立とともに古典主義の規範として名声を高め、革命後のルーヴル美術館開館後は国民的画家に祭り上げられたという経緯を分析する。末尾の総論では、プッサンのこうした「不在の宮廷画家」としての成功は、ベラスケスと好対照をなすという興味深い指摘がなされる。
金沢文緒氏は、ザクセン宮廷に仕えたヴェネツィアの景観画家ベルナルド・ベロットが、単なる景観画から、注文主の肖像を点景として風景画に描き込み、また舞台芸術や宗教画に接近するようになったことなど、宮廷画家にふさわしい歴史画家を志向したことをあきらかにする。その背景にはドレスデンの美術アカデミーとの関係もあったという。
以上のように、ギルドの制約から解放された宮廷芸術家は、十七世紀以降はアカデミーという新たな権威とも関係を深め、またそれと対立することもあった。宮廷芸術家を通して近世の西洋美術のあり方を考えるための示唆に富んだ一冊である。(望月典子責任編集、石井朗企画構成)(みやした・きくろう=神戸大学教授・イタリア美術史・日本近代美術史)
★いまい・すみこ=関西大学教授・初期ネーデルラント美術史。
★たなか・くみこ=文星芸術大学教授・学長・フランス中世・近世美術史。
★きがわ・ひろみ=清泉女子大学教授・近世ネーデルラント美術史。
★しんぼ・きよの=立教大学全学共通兼任講師・イタリア近世美術史。
★もちづき・のりこ=慶應義塾大学教授・フランス近世美術史。
★かなざわ・ふみお=岩手大学教授・イタリア近世美術史。
書籍
| 書籍名 | 宮廷芸術家 |
| ISBN13 | 9784756626998 |
| ISBN10 | 4756626998 |
