- ジャンル:経済・産業・ビジネス
- 著者/編者: 柳田芳伸、原伸子
- 評者: 小峯 敦
経済学者たちの女性論
柳田 芳伸・原 伸子編
小峯 敦
過日、「白い巨塔」を鑑賞した。還暦を迎えた書評士は、田宮版(一九七八)も唐沢版(二〇〇三)もこよなく愛すのだが、岡田版(二〇一九)も十分に楽しめた。山崎豊子の作品はいまだ魅力的だが、驚いたのは、教授選の行方を左右する曲者・野坂教授(演者・市川実日子)が、岡田版では初めて女性に変身していたことだ。愛人・妻・娘としての役割しか描かれなかった本作に、初めて職業人としての女性が登場する。時代の流れを感じた。
ディケンズやカーライルが一九世紀中葉に苛烈な批判を着火して以来、経済学は強欲な守銭奴、陰鬱な科学とレッテル貼りされる。また、モノの生産、集合体の市場や国家が前面に出る代償として、ヒトの再生産、単体の家族が隠された領域となる。『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(K・マルサル、河出書房新社)という盲点もある。本書はこうしたレッテルや暗黙の前提を、経済学者自身の言説から覆そうとする試みである。
市場と家族は、どのように資本主義社会を構成するのか。具体的には、一八世紀後半から二〇世紀初頭にかけて、資本主義が成立・発展した時期(第Ⅰ部)や福祉国家への脱皮を準備した時期(第Ⅱ部)に、経済学者は女性問題をどう捉えたのか。アメリカの群像を描く第九章を除くと、一一名(うち女性四名)のイギリス思想家に焦点が当たる。日本の男性経済学者も四名登場する(第Ⅲ部)。全一二章を敷衍する序章は、単なる要約を越えて、各章の意義を積極的に評価する。
四〇〇頁に迫る大部な論文集なので、読者ごとに三つの読み方を示唆することに留めよう。
第一の読者層として、性に関する歴史的素養を吸収したい者。男色・売春・同棲・離婚など、極めてラディカルな思想を展開した功利主義者ベンサム。古典派経済学と小説を融合させた職業婦人マーティノゥは、無償労働が共同体を支えるため、家事労働の市場化は低賃金と貧困の連鎖を女性にもたらすと喝破した。同じく寓話によって経済学の普及に努め、盲目の夫(ケンブリッジ大学経済学教授)を支えたフォーセットは、同一労働同一賃金の実現可能性を模索した。「家族手当の母」ラスボーンは家族賃金(男性稼ぎ主モデル)の非現実性に気づき、無償労働を正当に評価して女性の経済的自立を促す戦略を採った。河田嗣郎(教師)と高田保馬(学生)の自由闊達な婦人論が、国家にとっては危険思想、女性運動にとっては反動思想という挟撃によって潰えた。市川房枝の「婦人経済会」設立を後押しして、女性の社会参画を力強く推進した石橋湛山。このような傑出した人物の生き様はそれだけで魅力的だ。
第二の読者層として、ジェンダー論・フェミニスト論の研究者。本書は必ずしも女性論の専門家ではない執筆者を多く含み、「歴史上の経済学者」に注目する点で、ジェンダー平等やケアの正当評価といった喫緊問題に新たな視点を与える。まえがきで現在のジェンダー秩序が整理され、序章でウルストンクラフトの二面性(男女平等論と母性保護論の葛藤)を出発点に、本書の全体像が描かれる。二〇世紀初頭「革新時代」アメリカに誕生した「家政学」は、家事労働の評価、利潤原理によらない消費論という二点でフェミニスト経済学の前史となる。人口問題の政策論に大きな影響を与えた永井亨は、婦人問題を社会問題と捉えながら、母性保護を強調し、産児調整という政策を矛盾の解消点と見た。
第三の読者層として、特に経済学の歴史に興味を持つ者。丹念なテクスト分析は思想史研究の手本となる。第一章は、社会的分業は家庭内分業(性による分業)を前提とするという果敢な読みから、ヒューム・スミスを含む古典的な言説を再構成する。第二章はマルサス『人口論』の版異同を辿って、階層ごとの女性観・結婚観の重層性を厳密に分析する。第四章はJ・S・ミル『経済学原理』を貫く男女平等論があるという大胆な仮説を、二〇年におよぶ改訂や草稿に跡づけて論証する。第七章は無差別曲線・契約曲線で知られるエッジワース。この正統派経済学者は女性を低く見る「性の貴族制」の立場を変え、不当な慣習(賃金の不平等)を手当などで緩和すべしという穏和な保守主義者になった。
特筆すべきは、一線で活躍する若手・中堅の研究者をわずかな期間で集結させ、鮮烈な論考に練り上げさせたベテラン編者二名の力量である。分厚い研究書だが、三層の読み方を参考にして、ぜひ手に取って欲しい。(執筆陣:山尾忠弘・板井広明・小沢佳史・舩木惠子・松山直樹・上宮智之・赤木誠・吉野浩司・杉田菜穂・牧野邦昭)(こみね・あつし=法政大学教授・経済思想)
★やなぎた・よしのぶ=長崎県立大学名誉教授・人口論・経済思想史(とくにマルサス)。著書に『マルサス勤労階級論の展開』など。
★はら・のぶこ=法政大学名誉教授・大原社会問題研究所名誉研究員・社会経済学・フェミニスト経済学。著書に『ジェンダーの政治経済学』など。
書籍
| 書籍名 | 経済学者たちの女性論 |
| ISBN13 | 9784812224274 |
| ISBN10 | 4812224276 |
