- ジャンル:科学・技術
- 著者/編者: デイヴィッド・サムソン
- 評者: 森田理仁
分断と排除の人類史
デイヴィッド・サムソン著
森田 理仁
トロント大学人類学部の准教授で、睡眠と人類進化研究室を主宰するデイヴィッド・サムソン博士により執筆された本書の原題は、『Our Tribal Future: How to Channel Our Foundational Human Instincts into a Force for Good』である。訳本の副題にあるトライバリズム(tribalism)は読者の多くにとっては馴染みのない用語かと思われるが、本書評では「ある集団に所属したいという意識」という意味とする。個人によって程度の差はあれども、このような意識の存在はおおむね認められるだろう。では、所属したいと思うのはどのような集団だろうか? 本書は進化生物学や自然人類学の知見に基づき、トライバリズムを広く探究する。本書では進化は主に適応進化の意味で用いられており、進化生物学でいう適応とは、生物が生きているそれぞれの環境における生存と繁殖にとっての有利性を指す。平たくいえば、生物の性質の多くは、次世代に自分の遺伝子のコピーをより多く残す方向に変化するという説明・予測である。
先程の、どのような集団に所属したいか?という問いに対して、まず思い浮かぶ集団の一つは家族だろう。家族内の繫がりを支える進化生物学の中心理論は、血縁淘汰である。家族の構成員と血縁関係がある場合、彼・彼女らは自分と同じ遺伝子のコピーを多く共有していることになり、他者にとっての生存や繁殖上の利益は、自分にとっての利益にもなるというわけだ。一方で、所属意識が向く集団は家族にとどまらず、自分とは血縁関係がない構成員から成る集団も含まれる。非血縁者との結び付きによりもたらされる利益は何だろうか? また、特定の集団を選好することは、別の集団を嫌悪することと表裏一体でもある。専門用語でいえば、前者を内集団への協力、後者を外集団との対立という。私たちはどのような情報を頼りに、内集団と外集団を区別しているのだろうか? 本書は、トライバリズムに関するこうした疑問を紐解いていく。
非血縁者と結び付くことによって、遺伝的な利益を直接的に得ることは期待できない。そこで著者は、社会的な利益を介した遺伝的な利益の増加に注目する。自分がある社会の一員であるということを、他者と社会的な繫がりをもっている状態とし、社会的な繫がりは、(1)メンタルヘルスや免疫力の向上といった健康効果をもたらすこと、(2)愛情と友情の両面で社会的パートナーとの絆を強めること、(3)子どもの心理的発達を促進すること、(4)経済的状態の違いによる健康格差を和らげ生活の質を改善すること、(5)人間関係資本としてのネットワークを強化してさまざまな個人的成功の確率を上げること、(6)外発的モチベーションとなり人生に意味と目的を与えること、等が多くの先行研究をまとめる形で示される。これらの中には生存や繁殖に直接的には影響を与えないものも含まれるが、回り回って遺伝的な利益に帰結し、社会性は人類の進化史の中で獲得・維持されてきたと考えられる。
次に、内集団と外集団をどのように見分けるのかについてだ。著者は自身が所属する集団とそのメンバーを識別するのに役立つシグナルとして、言語、音楽、宗教、哲学、職業、衣服、食べ物、身体的特徴、振る舞い等を挙げている。これらが単独で、あるいは複数が組み合わさってシグナルとしてはたらくことで、私たちは内集団と外集団を効率的に見分けることができるようになる。先の段落で書いた遺伝的あるいは社会的な利益はトライバリズムの機能(生物学の用語では究極要因に相当)で、ここで書いたシグナルはトライバリズムの機構(生物学の用語では至近要因に相当)となる。刑事が密室殺人事件を捜査する推理小説でたとえるならば、前者は犯人の動機、後者は犯人が用いたトリックに該当するだろうか。いいたいことは、ある現象に対して排他的ではない複数の見方があり、その現象を深く理解するためには多角的な視点が必要だということだ。このような点において、本書の構成からも学ぶことは多い。
著者の主張の重要な拠り所がもう一点あり、それは進化的ミスマッチである。これは、進化の過程で備わった人間の性質が、現在の環境ではうまく適応していない状態を指す。ポイントは、進化には時間がかかるということだ。進化とは生物の遺伝的な性質が、世代の経過とともに累積的に変化する過程のことである。つまり、個人の一生の間に生じる変化のことではない。人間の場合、生まれてから実際に繁殖できるようになるまでには数十年の時間がかかる。子どもが生まれればそれで終わりということではなく、子どもを育てることが必要だからだ。つまり、人間は世代交代にかかる時間が長い生物であるため、進化が起こる機会は限られる。それに対して、私たちを取り巻く環境は進化と比べると格段に速く変化し得るため、進化速度と環境変化の間にはズレが生じる。このズレが、進化的ミスマッチをもたらす。著者は現代人の食生活を例として挙げ、かつての食資源が不足しがちな環境では摂取した貴重な栄養を体内になるべく多くとどめることが適応的であったが、今日の飽食環境ではその性質が肥満による不健康状態の蔓延に繫がっていると説明している。
このような進化的ミスマッチもあわせて考えると、トライバリズムに関する今日の課題にさらに迫ることができる。社会的な繫がりをもつことには多くの利益があるが、それを現代で実際にもつことは容易だろうか。不安定な国際情勢のもとで、内集団と外集団を見分けるシグナルの発信や受容に誤作動は生じていないだろうか。最近のニュースを見ていると、訳本のタイトルにある「分断と排除」について考えさせられることが非常に多い。本書は、生物学や人類学の理論や研究例の解説書(第一部 トライバリズムの科学)にとどまらず、現代社会を生きる私たちの営みについての実践的なガイド(第二部 トライバリズムの実践)でもある。著者はトライバリズムの暴走に立ち向かい、「トライブ・ウイルス」や「トライブ・ワクチン」といったたとえも用いながら、今日の我々の生き方についての示唆を与えてくれる。
最後にもう一点。進化生物学の理論について馴染みのない方は、他の書籍も参照されると本書の理解や自身での考察がより一層深まると期待される。進化生物学の理論、そしてそれを人間の行動や心理に適用するアプローチについて、わかりやすく、かつ正確に解説されている二冊を紹介しておく。なお、この行為は本書の不足を指摘したり、内容を批判したりするものでは決してない。
長谷川寿一ほか著『進化と人間行動 第3版』東京大学出版会、2026年。/大坪庸介著『進化心理学』放送大学教育振興会、2023年。(赤根洋子訳)(もりた・まさひと=滋賀大学准教授・人間行動生態学・進化人類学)
★デイヴィッド・サムソン=カナダの進化人類学者。トロント大学ミシサガ校准教授。人類進化における行動学・生理学的変遷を学際的に研究。
書籍
| 書籍名 | 分断と排除の人類史 |
| ISBN13 | 9784105074715 |
| ISBN10 | 4105074717 |
