2026/07/24号 8面

民俗学と現代社会

民俗学と現代社会 佐野 賢治著 島村 恭則  二〇二四年、奈良県立民俗博物館に収蔵された民具をめぐり、知事が「価値の乏しいものは廃棄処分も検討する」と発言したことが大きな波紋を呼んだ。学術的な観点からすると、民具は、微細な差異を含んだ同じ種類のものが大量に存在してこそ地域差や技術の変遷を証明する学術的価値があり、「一点だけ残してあとはゴミ」というわけにはいかないからだ。結果的にこの騒動は、安易な廃棄を規制し、教育などへの活用を優先する建設的なルール作りに着地したが、予算やスペースが逼迫する現代において、「民具、そして民俗博物館とはそもそも何か、どのような思想のもとに存在すべきなのか」が改めて問われている。その根源的な問いに対する大きなヒントを与えてくれるのが、本書である。  日本資本主義の生みの親・渋沢栄一の孫であり、実業家にして日本の常民研究の先人でもあった渋沢敬三。著者の佐野賢治氏は、渋沢が創設したアチック・ミューゼアム(屋根裏部屋の博物館)の系譜を引く神奈川大学日本常民文化研究所を主な舞台に、日本の民俗学・民具学を牽引してきた。仏教が民衆の暮らしに溶け込んだ「仏教民俗」の解明や、日中を中心とする比較民俗学の調査に力を注いできた研究者として知られるが、同時に、氏が長年心血を注いできたのが民具と民俗博物館に関する実践的な研究である。  著者は、民俗学は過去の遺物を懐かしむためのものではなく、現代社会の課題に向き合う「経世済民」の生きた学問であるべきだと強く主張する。民具を単なる古いモノではなく「身体技法としての物質文化」として捉え、人々の生活の中で作られ、使われ、修理され、「転用」されるという「一生」を持つものとして見つめている。そこには「ブリコラージュ」(ありあわせのものを組み合わせる技法)の知恵や「モッタイナイ」という考え方が息づいており、大量消費社会に対する「反消費思想」の提示ともなっている。  一方で、民具は生活から切り離されて博物館に収蔵されると、一度「死んだ」状態になる。だからこそ、これからの博物館は単に不要なモノを納める「墓場」や「ハコモノ」であってはならず、資料を展示や研究、教育を通じて「再生」させ、地域の記憶を未来へ伝える「現代のクラ(倉・蔵)」としての役割を担うべきだと説く。  本書で展開されるこうした主張は、決して評論家のそれではない。その言葉は、山形県米沢市の「農村文化研究所」における、地元の人々との協働という泥臭い実践に裏付けられている。同研究所のルーツは、一九六七(昭和四二)年に地元の篤志家・遠藤太郎氏が始めた手作りの「民具館」にある。佐野氏は学生時代にここで数千点に及ぶ膨大な収集品を整理して以来、約五〇年にわたりこの資料館に関与し続けてきた。一九七九(昭和五四)年には、同館を発展させた「置賜民俗資料館」のスタートとともにその母体である農村文化研究所の所長に就任。以来、地元での「農村文化ゼミナール」を手弁当で三八回も継続開催するなど、自らの手と足を動かして地域の歴史と知の保存を実践してきたのである。その根底には、日本中を歩き庶民の生活向上を目指した宮本常一ら先学の精神も息づいている。  大学生の時に活動を開始した米沢での郷土研究から出発し、著者がたどり着いた境地は「世界常民学」という壮大な構想である。これは、まず自身の足元であるローカルな郷土の生活文化を深く知り、それをナショナル、リージョナル、そしてグローバルへと接続していく理念だ。世界中の庶民(常民)の暮らしの根底にある共通性や多様性を互いに理解し合うことで、国や民族を超えた連帯を生み出し、平和や多文化共生社会の実現に繫げることをめざしている。モノを通して人を見つめるその視座は、現代の課題に直結しているのだ。ローカルな実践とグローバルな視座を無理なく往復する著者の民具・民俗博物館論は、渋沢敬三の常民文化論を、現代、そして未来へと力強くつなぐ架け橋となっている。(しまむら・たかのり=関西学院大学教授・現代民俗学)  ★さの・けんじ=神奈川大学名誉教授・民俗学・民具学。比較民俗研究会主宰。編著書に『虚空蔵菩薩信仰の研究』『星の信仰』『現代民俗学入門』『西南中国納西族・彝族の民俗文化』『ヒトから人へ』『宝は田から』『現代民俗学考』など。一九五〇年生。

書籍

書籍名 民俗学と現代社会
ISBN13 9784868161257
ISBN10 4868161253