2026/01/16号 7面

久高島祭祀論

久高島祭祀論 吉成 直樹著 須藤 義人  「神の島」である久高島は、琉球の創世神アマミキヨが降り立った地とされ、沖縄の精神文化において特別な位置を占め続けてきた聖地である。この島が、単なる一地方の聖地であるに留まらず、琉球王国という国家体制の根幹をなす祭祀の「古層」を、今に伝えるタイムカプセルであったとしたら──。吉成直樹氏の新著『久高島祭祀論』が挑むのは、沖縄本島東方に浮かぶ久高島が、琉球国王の「てだこ(太陽王)」の霊的権威を更新するための、失われた国家祭祀の舞台であった、という壮大な仮説の論証であった。文献史料に乏しい「失われた儀礼」をいかに復元するか。本書は、その難題に対し、三つの柱からなる緻密な論理体系を構築する。  第一の柱は、久高島に現存(又は最近まで伝承)された地方祭祀を、国家祭祀の「古層」として徹底的に読解する点にある(第Ⅰ・Ⅱ部)。著者は、久高島の祭祀組織が、王権によって公認されたノロ(祝女)体系と、それ以前の地方的伝統を汲むソールイ(男性神役)集団によって構成されていることに着目した。特に、琉球の基層信仰である「オナリ神信仰」(姉妹が兄弟を霊的に守護するという信仰)が、久高島の祭祀に色濃く残存していることを指摘している。さらに、八月行事(ソールイマッカネー等)の分析から、島外の理想郷ニライカナイから豊穣をもたらす「マレビト(来訪神)」を迎える儀礼構造が、今なお息づいていることを論証する。これにより、久高島が「オナリ神(女性の霊威)」と「マレビト(外部の霊威)」という、琉球の霊的パワーの二大源泉を制御・受容する、非常に古い祭祀基盤を保持していると主張している。  第二の柱は、この「古層」の上に、いかにして王権の「国家祭祀」が築かれていたかを復元する、本書の核心部である(第Ⅲ部)。著者は、史料に断片的に残る「国王の久高島行幸」を、単なる地方巡幸ではなく、国王が「てだこ」としての霊的権威を更新・再生するために不可欠な国家的儀礼であったと推論する。そして、この国王の再生儀礼を霊的に保証する存在が、国家の最高神女「聞得大君」であった。国王のオナリ神たる聞得大君が、その就任儀礼「御新下り」において、王都・首里から久高島への巡礼を行った経緯に、著者は着目する。これは、聞得大君が国家祭祀を司る資格を得るために、久高島の「古層」に宿る根源的なオナリ神の霊力を自らにチャージ(更新)する必要があったからに他ならない。かくして、久高島の地方祭祀は、国王の復活儀礼という国家祭祀の「受け皿」であり、その「原型」として機能していたという、本書の中心仮説が導き出される。  第三の柱は、この儀礼が「なぜ久高島でなければならなかったのか」という問いに、地理学的な視点から最終的な解答を与える点である(第Ⅳ部)。著者は、久高島の東端に位置する「てだが穴(太陽の穴)」という特異な「トポス(場所)」に着目する。この洞窟は、一年で最も太陽の力が弱まる冬至の朝、水平線から昇る太陽が穴を貫き、そこから新たな太陽が「再生」するかのような劇的な光景を現出させる。これこそが、国王「てだこ(太陽の子)」の霊的な「死と再生」を具現化する、完璧な「儀礼装置」であった。そして、抽象的な東方聖地「ニライカナイ」とは、まさにこの「てだが穴」から再生する冬至の太陽によって具現化される、王権の霊的源泉となっていった。  以上のように、本書は「地方祭祀(古層)」の分析から「国家祭祀(儀礼)」を復元し、それを「地理(トポス)」と「宇宙観(ニライカナイ)」によって位置づけるという、見事な論理の円環を完成させている。久高島を、王国の周縁にある聖域の島から、王権のイデオロギー的源泉を担保する「中心」へと再定義した本書は、今後の琉球王権論、祭祀論において、避けて通ることのできない金字塔となるであろう。(すどう・よしひと=沖縄大学教授・映像文化論・民俗芸能論)  ★よしなり・なおき=元法政大学教授・地理学・民俗学。著書に『マレビトの文化史』など。一九五五年生。

書籍

書籍名 久高島祭祀論
ISBN13 9784909544445
ISBN10 4909544445