粘菌哲学
唐澤 太輔著
橋爪 博幸
冒険心あふれる一冊が世に出た。粘菌という生物をもとに、宇宙を語ろうというのだ。無謀とも思えるこうした試みは、かつて紀州の博物学者・南方熊楠も手掛けたということで、本書では熊楠の人生観や世界観もたびたび登場する。秋田公立美術大学に勤務する著者は、新型コロナ禍の時期に奉職してまもなく、たまたま構内にあった朽ち木で黄色い変形体(粘菌の生活環の一形態で、スライム状をしたもの)を発見する。著者はそのときインスピレーションを得たのであろう。それまで粘菌をまじまじと眺めることのなかった著者は初めて、「完全に粘菌が『見える』ようになった」(まえがき)という。長らく南方熊楠の研究を続けてきた著者にとって、そこからこの生物の虜となるのに、それほど時間はかからなかった。著者は構内で二十種類もの粘菌を採集している。さらに粘菌の色彩や形態、質感から着想を得て、美術大学の学生や美術家・間瀬拓人氏とのコラボレーション作品を制作したほか、ワークショップや空間演出にも取り組んでいる。これらは本書における見せ場のひとつとなっている。
本書は粘菌と熊楠を視野に、芸術思想を論じたものである。ここに仏教の華厳思想が連結する。「粘菌は、極めて華厳的な生物である」(八三頁)と著者はいう。さらにドイツの文豪にして自然探究者であったゲーテの「根本現象」が入ってくる。台湾産植物の研究を開拓した早田文藏が思い描いた「動的分類体系図」も、考察に加えられる。著者の思考は、粘菌の変形体のように、四方八方へ自在に展開していく。あるところでは、「変形体の艶かしく這う動態」(六六頁)と心臓の鼓動リズムとが、またあるときは「触覚」と「タクト(tact)」(鋭敏な感覚)とが類比される。終章では、「タクト」から「生命のリズム」にまで書き及ぶ。一見難解に思えるその展開は、中沢新一氏が手がけた独創性あふれる熊楠論に通じている。著者はこの点を強く意識しており、じっさい中沢氏の論調との連続性が認められる。なお、中沢氏の主著に『森のバロック』(せりか書房、一九九二年)がある。
熊楠は一九〇六年、英国の粘菌研究者アーサー・リスターに、後には娘のグリエルマ・リスターに粘菌の鑑定を依頼するようになった。この経緯は本書でも触れられている(五一頁)。ところで両者の英文書簡を粘菌分類学の泰斗・山本幸憲氏が『南方熊楠・リスター往復書簡』(南方熊楠邸保存顕彰会、一九九四年)にまとめている。しかし、この書簡集が本書では引用・参考文献で見当たらず、残念に思われる。というのもそこには、南方が田辺町近郊の神社林などに足しげく通い、おもに隠花植物(花を咲かせない植物群)の目録作成を目指し、それら数多くを採集した時の逸話がユーモラスに、生き生きと描かれているからだ。そのなかには粘菌の生育にとくに適した基質(粘菌が生じる朽ち木など)があること、そこには未成熟のものから成熟したものまで、多いときには十二種も共存していることなどが記されている。加えてアーサーから、おそらく熊楠の標本に新種が含まれていることを確認したうえで、「新種を命名し記載する権利と義務は、それを発見した人物にある」、「それでもこちらで新種の記載をするのでよろしいか」と確認する手紙を送られてもいる(『南方熊楠・リスター往復書簡』四九頁)。熊楠はこうした文面をどのように捉えたのか、といった分析も興味深い。脇道に逸れるかのようなこうした裏話も視野に入れるとき、本書の魅力がいっそう増すであろう。
熊楠は途方もなく広範で奥妙な内面世界を持っている。生物の世界も多様で、色彩や形態、行動や様態が不思議なものが、無尽蔵にいる。熊楠も記すように、世界は不思議に満ち溢れている。著者はキノコにも興味を持ち始めていると記しているが、次作ではさらに幅広く、奥深くまで熊楠や生命現象を論じてくれることを期待したい。(はしづめ・ひろゆき=ぐんま未来大学短期大学部教授・哲学・環境思想)
★からさわ・たいすけ=秋田公立美術大学准教授・哲学・文化人類学・南方熊楠研究。著書に『南方熊楠の見た夢』『「裏日本」文化論』、共著に『南方熊楠と岡本太郎』など。一九七八年生。
書籍
| 書籍名 | 粘菌哲学 |
| ISBN13 | 9784753106011 |
| ISBN10 | 4753106012 |
