2026/09/04号 7面

中上健次

中上健次生誕80年を迎えて(四方田犬彦)
中上健次、いまだに文学を揺るがす 四方田犬彦 中上健次は今年で生誕80周年を迎えた。毎年、八月の命日前後になると熊野新宮で開催されているシンポジウムは、今年も盛会のうちに幕を閉じた。この持続は重要なことだと思う。いくつかの雑誌が特集を組んだ。『枯木灘』の自筆原稿が突然発見されて話題を呼び、新しい研究者が陸続と現われている。死せる中上健次、いまだに文学を揺るがすという警句は、やはりその通りだったのだ。  中上研究では新旧交代が喧しい。かつて柄谷行人は中上との友情を神話化し、若手評論家の間に一大権威を確立した。今にして思えば、彼は植民地統治下のイギリス人がインド人を眺めるように中上を眺めていたのだとわかる。今年はその柄谷が、過去の「盟友」への関心を喪失したことが明白となった年である。そしてその間隙を縫うかのように、渡邊英理が全世界的な再開発計画を切り口として斬新な読みを提供し、内藤千珠子がミソジニーの問題に焦点を当てることになった。以前は失敗作だと見なされていた『異族』と『軽蔑』に精緻な読みが施されるようになった。本稿ではとりわけ渡邊英理の『中上健次 路地のビジョン』(岩波新書)と渡部直己『中上健次論』(読書人)について書いておきたい。ともに刮目すべき書物である。    *  渡邊英理は中上文学をその死後、全集で読み、中上を主題に博士論文を執筆した世代である。それに対し渡部直己は、葬儀の席上で弔辞を読むほどに中上と深い親交を持ち、全集刊行に際し編集委員を務めている。両者はあらゆる点で対照的である。渡邊が研究者ならば、渡部は独白する戦友である。  渡邊は初期中上の「路地」表象を分析するにあたり、佐藤春夫から司馬遼太郎までを軽々と批判。中上の出現が不可逆的なものであったことを確認している。彼女は軽快な口調でNHKの朝ドラからゴダールまでに言及し、中上の昭和天皇観に眼差しを向ける。過剰な遠心力が働くことになるが、それゆえにエクリチュールが空中分解する事態は避けられている。ある地点まで逸脱すると、論述はキチンと大筋に収斂する。その心地よい反復がテクストに、豊かにして多孔的な印象を与えている。  渡邊の中上論の美点は、それが重力の魔から解放されていることだ。わたしは最近になって中上の『鳳仙花』と『風と共に去りぬ』が、戦後の混乱期の女丈夫の奮戦記としてきわめて酷似したプロットのもとにあることを発見し、啞然としてしまった。あらゆるメロドラマはメロドラマであるかぎり、どこかで互いに反復と模倣を重ねるものである。ピーター・ブルックスの『メロドラマ的想像力』を導きの糸として、最晩年の中上の長編が再解釈の対象とされるのはすばらしいことだと思う。    *  渡部はどうか。今や日本のセリーヌと化した感のあるこの文芸批評家は、中上をめぐる記憶の重力に懸命に耐えながら書いている。深い海の底にあって深海魚が身体を蝕む水圧を受けとめるかのように、今一度、『枯木灘』の主人公へと接近を試みている。渡部はこの数年、漢籍から馬琴逍遥までを渉猟。『日本小説批評の起源』『『水滸伝』と金聖嘆』と、東アジアにおける「小説」の起源をめぐって著述を発表してきた。まさに鬼気迫る著作である。今回の中上論もしかり。副題「小説という出来事」からも如実なように、中上文学を近代小説史の発展途上に突然生じてしまった事件、しかもけっして馴致できない巨大な事件として論じようとしている。  「中上健次には詩も演劇もついに似合わなかった。(…)彼は根っからの小説家だったからだ。」と、渡部は書きつける。強引な暴言である。中上の〈初期〉の詩作のなかにいまだに開示されるべき謎を探求してやまない筆者のような者には、いささかカチンとくる発言だ。  若き日の中上は、入沢康夫の『わが出雲、わが鎮魂』の熟読が契機となって、熊野という巨大な物語の表象可能性を期待するに到った。入澤が詩学として説いた「うつろ」「うろ」の像がヒントとなって『宇津保物語』の翻案に取り組み、本来は流入の激しい空虚空間としての「路地」を観念として練り上げることに成功した。こうした文学的系譜を重視する者からすれば、渡部による詩の排除は惜しまれてならない。思い出してみよう。そもそも中上は『文學界』に詩人としてデビューしたのではなかったのか。  とはいえもし渡部の新著に擁護すべき点があるとすれば、それは長年にわたりこの怪物的作家に向かいあってきた著者が、知らずと中上のテクスト深層に横たわる強引さ、言語の過剰なまでの暴力を、わがこととして引き受ける覚悟を示していることだ。渡部は中上に憑依されることを切望している。そして中上のなかに散文家しか見ようとはせず、〈詩〉を徹底的に排除してしまう。渡部はご意見無用の姿勢において、みごとに中上を擬態している。  現下の中上論は、渡邊英理と渡部直己を両極として、その間で百家争鳴の呈をなしている。昨年の三島由紀夫生誕百年の際には、生前の三島を知る数少ない者が特権的な発言を披露するばかりで、かかる構図は成立のしようがなかった。中上と三島の文学的継承の違いが、ここにおいて明らかとなる。  渡邊の均衡のとれた多孔性に対し、渡部は中上への、なりふり構わぬ「近さ」を説いている。だがその近さに共感を覚えつつも、筆者は一抹の憂鬱な印象を抱かないわけではない。中上健次を「小説」という一文学ジャンルの現象として認識し、それを連呼するだけで、はたして中上の裡に潜む混沌を馴致させたことになるのだろうか。    *  ちなみに今回、中上を特集した雑誌を散見すると、執筆者の大部分は小説の評論家であり、歌人はもとより、舞踏家や俳優、写真家や映画監督の寄稿はほとんど皆無である。生前に深い親交のあった吉増剛造を別とすれば、現代詩の最前線に立っている者たちの沈黙が目立つ。生前の中上が携えていた芸術的文化的拡がりを想起させる論考がないのだ。この希代の文学者を無理やり小説という狭い枠に閉じ込めてしまった印象がある。これは編集者の狭量と勉強不足として笑ってすむ問題とは違う。渡部の論考がかかる傾向をイデオロギー的に促進させているとは考えたくはないが、いずれにしてもそれは幸福な事態ではない。  生前の中上健次はわたしに向かって、自分たちは幸運だ、天皇のために挽歌を詠むことができる世代だからだと語った。にもかかわらず、現実に昭和天皇裕仁が崩御したときには何も書き記すことができなかった。歌会始の召人である岡野弘彦と対談をし、昭和天皇における和歌のあり方について語り合っただけであった。  中上のこの沈黙、発語の欠落をどのように解釈すべきだろうか。それは怯懦の表れではない。散文では表象不可能なものを唯一「謳いあげる」器としての伝統的定型詩という問題に思念を廻らせていたとき、彼は予期もしなかった不可能性の壁に突き当たってしまったのだ。その内実は見えない。だが散文の徒であるとみずからを認識しているかぎり、中上は死せる天皇裕仁を「語りえぬもの」(ヴィトゲンシュタイン)に留めておくことしかできなかった。わたしは彼が山中智恵子と交渉をもたないままに逝去したことを残念だったと考えている。他ならぬ山中こそ、裕仁に雨師としてのシャーマンの後裔を見ようと努めた歌人であり、短歌の内側に留まりながらいかにして天皇制を廃絶へ導いていくかという問題を、生涯の課題としていた歌人であったからだ。  三島由紀夫は東京オリンピックの開会式のときを除いて、生涯にわたりエッセイでは昭和天皇に言及することがなかった。皇太子明仁(現在の上皇)に関しては、洋行にあたって公開書簡を発表し、祝婚の詩を献じ、あたかも自分の年少の分身に語りかけるような文章を執筆した。三島が憂慮していたのは、天皇が戦後日本において「週刊誌天皇」の域に堕してしまうことである。もし彼が百歳の齢に到達していたら、現在の愛子内親王をめぐるゴシップ報道を知って深い絶望に捕われることだろう。  1992年に逝去した中上健次は、天皇明仁の時代をほとんど体験していない。ましてや自民党政権の手で皇室典範が弄られ、令和の時代に象徴天皇という制度がいかなる辱めを受けるかなど予想したこともなかった。彼がもしまだ生きていたとしたら、現在の「愛子ちゃん」騒動に対し、どのような発言をしただろうか。  世界が加速度的に劣化を始めて、すでに短くない時間が経過した。世界の地政学が次々と塗り替えられていっている。『異族』や『日輪の翼』の物語を荒唐無稽だとして嗤うのはたやすいが、今こそ、こうした不吉で謎に満ちた長編小説を読み直す時節が廻って来たのではないかと思う。(よもた・いぬひこ=映画誌・比較文学研究家)  ★なかがみ・けんじ(一九四六―一九九二)=作家。「岬」で芥川賞受賞。著書に『枯木灘』『鳳仙花』『千年の愉楽』『地の果て 史上の時』『奇蹟』『熊野集』など。

書籍

書籍名 中上健次
ISBN13 9784004321170
ISBN10 4004321174