2026/07/24号 3面

アラン・コルバン

アラン・コルバン 小倉 孝誠著 弓削 尚子  今では懐かしい話なのだが、私が史学科の学部生だった頃、教員が黒板にフランス語文献の書誌情報を書き続け、学生はひたすらそれを書き写すという授業があった。教員は時々振り返って私たちにこれらの研究書の意義を説明するのだが、記憶に残っているのは黒板を埋め尽くしたフランス語と教員の背中、そしてノートし続けた手の痛みだった。  1980年代後半のその小さな教室には、日本の歴史学界をも席巻したアナール学派の興奮の一端が伝えられていた。板書された本の数冊は、その後、翻訳され、私もまた、家族やソシアビリテ、心性、セクシュアリティ、身体といった従来の歴史学がおよそ触れることのなかったテーマに惹かれていった。アナール学派との出会いがなければ、私などが歴史家を目指すことは困難であったろう。とくにアラン・コルバンについては、テーマ選びのセンスと歴史研究の手法に毎回度肝を抜かれた。  そんなコルバンの評伝が、翻訳者にしてフランス文学者である小倉孝誠氏によって執筆された。コルバンの著作を数多く翻訳し、『感情の歴史』、『雨、太陽、風』などの監訳も複数手がけ、日本で最も精緻にコルバンの研究に向き合ってきた人物である。  本書の第一部はコルバンの生い立ちについて語られる。印象的なのは、彼が50歳でソルボンヌ大学教授に就任するまで、パリの人間ではなかったということだ。ノルマンディーの「奥深い田舎」で生まれ育ち、故郷の新設大学で学び、歴史家としてのキャリアを地方ではぐくんできた。地方や自然に対する強い愛着があるからこそ、近代社会の周縁に追いやられ、あるいは注意を払われることすらなかった存在へと関心が向かうのだろう。  第一部で印象に残るもう一点は、古典から現代までの文学作品を史料として活用するコルバンの「文学通」の顔である。文学史家としても遜色がないと小倉氏は評している。コルバンは文学のほか、医科学書や司法文書、教会資料、自伝や日記、書簡など多様な史料を渉猟することでも知られるが、感性の歴史家・コルバンの数々の著作の翻訳が、歴史家ではなく、もっぱらフランス文学者の手によるものであることに合点がいった。  第二部は、コルバンのあまたある研究に肉薄する。小倉氏がそのために選んだキーワードは、「感性と感覚」、「身体と性」、「感情」、「自然と人間の関わり」、「地方へのまなざし」である。これらの多くは、「そこに歴史性があるなどと誰も想像しなかった」ものである。  たとえば『音の風景』(1994)では、教会の鐘の音についてその歴史が紐解かれる。聖職者の権威を象徴する鐘の音は、フランス革命期にきびしく制限されたが、各地の町村住民はこれに抗い、共同体の絆と秩序の象徴として鐘の音を守った。時刻を伝え、結婚式の喜びを分かち、天災や戦争の危険を警告した鐘の音は、教区民の人生とともにあった。聴覚の歴史は、20年以上の時を経て『静寂と沈黙の歴史』(2016)に結晶する。  「身体と性」においては、『娼婦』(1978)の焦点の一つであった「男たちの欲望」が、『身体の歴史』(2005/06)、『快楽の歴史』(2007)、そして『男らしさの歴史』(2011)へと多面的かつ複層的に考察が重ねられていく。  このように小倉氏は、長期的な時間軸をあてて、コルバンの研究のエッセンスを有機的に手繰り寄せ、紡いでいく。邦訳されていない論稿にも踏み込み、コルバンが提示した問題視角を引き継ぐ後続の歴史家たちの研究をもすくい上げる。「知の革命家」コルバンに長年、翻訳者として伴走した小倉氏もまた、碩学の人である。  コルバンの広く多様な研究テーマとは対照的に、彼がとりあげる地域はフランスに留まり、それも「辺鄙な地方」であることが多いと小倉氏は指摘する。だが、フランス史研究に限らず、これほどまでに歴史研究を豊かにし、そこに「生きた人間」を感じさせるコルバンの功績は計り知れない。日本におけるコルバン受容に寄与した小倉氏に謝意と敬意を申し上げたい。(ゆげ・なおこ=早稲田大学教授・ドイツ史・ジェンダー史)  ★おぐら・こうせい=慶應義塾大学名誉教授・フランス文学。著書に『「フランス文学」はいかに創られたか』『〈女らしさ〉の文化史』『ボヘミアンの文化史』『歴史をどう語るか』、共訳書に『感情の歴史Ⅱ』『静寂と沈黙の歴史』など。一九五六年生。

書籍

書籍名 アラン・コルバン
ISBN13 9784801009806
ISBN10 4801009808