転落男性論
西井 開著
周司 あきら
別に男らしさを志向しているわけではない。にもかかわらず、「男らしさから降りる」ことができない。男性たちがそうなる理由は、ある一定の基準から転げ落ちないように必死で現状に縋りついているからかもしれない。仲間はずれにされないために。「普通」ではないと思われないように。そこにあるのは、何かを達成したいという欲求ではなく、転落に対する恐怖だ。本書は、男性学のマクロなアプローチと臨床心理学のミクロなアプローチの両方からこぼれ落ちてきた実践と理論を、臨床社会学の立場から丁寧に紡ぐ。
まず第一章では、著者も携わる「ぼくらの非モテ研究会」の語りから、男性が社会的孤立に至るプロセスを描く。たとえば、ある人は女の子と遊んでいたら「ダサい」といじられた。熱い友情を求めすぎて、関係を育てる発想を持たなかった。発達障害の特性もあり、「実は良いヤツ」的な男性のノリに適応できなかった。自身も所属するオタクグループのことを内心では馬鹿にしていた。一見すると個々の語りには、性別関係なく共感しうる経験が見られる。しかし、それらが特に男性に対する分析として有効となるのは、そうした経験が男性集団の序列化と密接に関わっており、また性的マジョリティの男性ほど「転落」への恐怖に直面しやすいからだ。本来「普通の男性」でいられるはずの自分がそこから転がり落ちるのは耐えがたい。集団から排除されるくらいなら、嫌でも現状にしがみつくしかない。そのプロセスを本書は丹念に描き、新たな解釈枠組みを提示する。
興味深いのは、男性集団内でヘゲモニー(覇権)を持つ男性が、相手を完全に排除しきらないことで支配を容易にするということ。そして軽視や無視をされる男性側も、完全に集団から排除されるよりマシだからと、みずから自虐キャラになるなど従属的な立場を引き受けていくことだ。あるいは、ヘゲモニーを持たない男性が「一人でいるからこそ自分は優れている」「障害や貧困ゆえに特別な経験をしている」といったストーリーを遵守するかたちで、自らの周辺性を男性性の資源とすることもあるという。そうした実践もまた、暴力やアルコールの過剰摂取など旧来の「超男性的な」実践のイメージとは相容れない。男性集団の権力関係を第三者が容易には読み解けない理由がよくわかる。
「転落」を恐れて現状を守り抜こうとする姿勢は、もう少し特権的な立場にいる男性にも同様に見受けられる。本書の中盤からは、「マジョリティ研究」としてのメンズリブ/男性学の本領発揮である。これまでマジョリティといえば無徴化される存在だった。しかしマジョリティ男性は、#MeToo運動で加害者として名指されたり、直接的な加害行為がなくともただ存在するだけで特権を持つ者だと理解されたりするようになった。逆説的だが、マジョリティとして他者から加害者認定されることは、「普通」「正常」な地位からの転落を意味する。だからこそ彼(もしかしたらあなたや私)は、加害を隠したり反発したりする。言うなれば、マジョリティの定義は変わったのだ。無徴化されたままではいられず、もはや普遍的な存在でもない。そうしたときマジョリティの特権とは、都合よく移動や変化ができることなのである。性別の話がされているときに、自分はたしかに男性だが障害がある、労働者である、などと話を逸らすのは最たる例だ。
一方で、加害者臨床も担当してきた著者は、加害行為をした人を「加害者」として他者化し、個人の心理の問題に回収することを諫める。それは個々人が責任を引き受け、社会を変えるには逆効果だからだ。転落が怖いのなら、そう感じさせる社会や文化を少しずつ解体していく必要がある。運動・学問・臨床の三領域を統合する本書は、「これだから男はこうなのだ」という従来の言説に違和感があった人にこそ読まれてほしい。(しゅうじ・あきら=作家・主夫)
★にしい・かい=立教大学特任准教授・一般社団法人UNLEARN理事・臨床心理士・公認心理師。著書に『「非モテ」からはじめる男性学』『モテないけど生きてます』『名著でひらく男性学』など。一九八九年生。
書籍
| 書籍名 | 転落男性論 |
| ISBN13 | 9784772421645 |
| ISBN10 | 4772421645 |
