2026/06/12号 3面

世界の意味

世界の意味 ジャン=リュック・ナンシー著 小田 麟太郎  本書は1993年のナンシーの著作(底本とされているのは2001年版だが大きな変更点は見られない)である。1960年代から哲学者としての活動を始め、1983年の論文「無為の共同体」で名が知られるようになったジャン=リュック・ナンシーであるが、彼の遍歴において1990年代は大きなターニングポイントになっている。「訳者あとがき」でも述べられているように、1991年の心臓移植を境に、身体や芸術に対する言及が増えていったほか、2000年代以降中心的なものとなる「キリスト教の脱構築」の名がおそらく最初に確認されるのも本書『世界の意味』である。1980年代前半頃までのヘーゲルやカント、デカルト、プラトンに対する脱構築的読解から、論文「無為の共同体」におけるバタイユ論を経て、ナンシーは1980年代後半ごろから「意味」、「有限性」、「エクリチュール」などといったモチーフをめぐる独自の思考を練り上げていくのであるが、本書においてはそれらのモチーフが引き継がれつつ、2000年代以降中心的なものとなる「エコテクネー」、「世界」、「キリスト教の脱構築」、「絵画」、「音楽」についても豊かに語られている。本書を境にナンシーの思想を大きく前期と後期に分けるのであれば、本書はそれら二つの時期の流れが強く重なり合い、波が高くうち上がった潮目ともいえる著作であり、理論的頂点と呼ぶにふさわしいものである。多くの哲学的モチーフがふんだんに現れている本書は、節ごとの緩やかなつながりを保ちつつも断片的な形式で書かれているため、読者は気の向くままに好きな節を読むことで、自らの思考のためのヒントを得ることができるだろう。ナンシーの哲学全体に関心のある方も、本書を読めばナンシーの全体的な哲学的傾向をつかむことができるだろう。訳文にもナンシーの独特なフランス語的表現を日本語でも追えるような工夫がなされているが、とくに、充実した「訳者あとがき」や訳註は、読解の心強い手がかりとなるはずである。  そうした多様なモチーフを通して本書を貫く全体的なモチーフは、タイトルの通り「世界」の「意味」であり、究極的な価値基準が失われたかのように思われる現代において、一なる根拠、目的からの意味づけといった仕方で(~のためにこそ私は、世界は存在しているといった仕方で)「意味」を考えるのでもなく、もはや世界には何の意味も見いだせないといった(何のために生きているのか分からないといった)ニヒリズムに沈み込むこともなく、いかにして複数の、動的な、現れては消え、消えては現れる、諸々の「意味」に触れ、考えるかということであるといえよう。この極めて現代的ともいえる課題は、実のところ、ナンシーの多くの著作に見て取ることができる。ただ、本書の特徴的な点は、そうした「意味」をなす言葉と「政治的なもの」との関係が緊張感をもって描かれているということであろう。以下、本書をナンシー哲学全体の流れの中で読まんとする読者のために、ナンシーの哲学の変遷を検討してきた筆者の立場から、若干の補足をすべきと思われる点を記しておきたい。  先に、本書を境にナンシーの思想を大きく前期と後期に分けると述べたが、その境は、より厳密には、本書と1995年の論文「文学的共同体という概念をめぐって」の間にあたる1994年に引けるかもしれない。というのも、本書の「政治的エクリチュール」の節で特に示された立場、論文「無為の共同体」においてもすでに見てとれるような、「エクリチュール」(書くこと)の本質に直ちに「政治的なもの」を見てとる立場が、論文「文学的共同体という概念をめぐって」においては自己批判されているからだ。本書『世界の意味』においては、「意味を一なるものから一なるものへと無限に結び合わせていく営みとしての政治」〔*1〕が思考され、言葉による絆の結びつけ(nouage)に「政治的なもの」が看取されている。しかしながら、論文「文学的共同体という概念をめぐって」においては、まさにそうしたこれまでの自身の主張に留保が加えられているのである。そこにおいても、「意味」をなす言葉、「文学」が、まったく政治的でないとされているわけではない。しかしながら、それを直ちに「政治的なもの」と呼ぶことに対して、慎重な態度がとられている。ナンシーは例えば次のように述べている。「それゆえ私はここで、私が発表したいくつかのテクストのなかで、絆の結びつけから政治を演繹する可能性、あるいは政治を継続的に派生させることについての思考に直面させすぎてしまったかもしれないものをずらしているのです」 〔*2〕。本論文以降、特に『脱閉域』(2005)や『デモクラシーの真理』(2008)において、ナンシーは「意味」の領域に「政治的なもの」を看取するよりも、その「政治」との微妙な距離をこそ探究するようになる。  つまるところ、「世界」の「意味」は政治的なものなのだろうか。本書で述べられているように、共同体を一なるものの内に同一化せんとする政治と手を切らんとする限りにおいて、「意味」をなす言葉は政治的な争点を有していると言わざるをえない。しかしながら、私たちが互いに「意味」をなすのは、政治のためではないだろう。それは、様々な仕方で「意味」をなすことそれ自体のためであり、「~のため」というような、一なる目的に向かうものとして「意味」を捉える思考からこそ、『世界の意味』という著作は身を離さんとしているはずだ。だからこそ、本書においても、「絵画」、「音楽」など、これ以降の著作において「政治」の領域とは区別される「意味」をなす複数の身振りが、それとして描かれているのだろう。本書はまさに、前期と後期の思想が重なり合う、ナンシー哲学のクライマックスに位置しているのである。(伊藤潤一郎・横田祐美子訳)(おだ・りんたろう=立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員・哲学)  *1 本書204-205頁。 *2 《Autour de la notion de communauté littéraire》,Tumultes,n。6,1995,p.28.(「文学的共同体という概念をめぐって」小田麟太郎・山根佑斗訳、『Limitrophe』、第5号、東京都立大学西山雄二研究室、2024年、98頁)  ★ジャン=リュック・ナンシー(1940―2021)=フランスの哲学者。著書に『無為の共同体』『哲学の忘却』など。

書籍

書籍名 世界の意味
ISBN13 9784588011979
ISBN10 4588011979