2026/09/04号 3面

核兵器をめぐる相克

核兵器をめぐる相克 石本 凌也著 武田 悠  戦後日本外交にとって、核兵器をめぐる軍縮・軍備管理は常に難題であり続けてきた。核兵器の削減や全廃を目指す軍縮、そして一定の規制や信頼醸成を目指す軍備管理は、戦争被爆国として核軍縮を唱えつつ、安全保障上はアメリカの核の傘に頼っているという日本の現実を顕在化させてしまうからである。本書は、アメリカとソ連が核兵器の軍備管理に本格的に取り組みはじめた1970年代に、日本がそのようなジレンマにどう取り組んだのか、アメリカが日本にどう対応したのかを明らかにする外交史研究である。  1970年代、米ソの核戦力がおおむね均衡(パリティ)に達し、1964年に核実験に成功した中国も核戦力を構築しつつある複雑な状況下で、米ソは戦略兵器削減交渉(SALT)を開始した。それが1972年にはSALTⅠ、1979年にはSALTⅡに結実し、弾道ミサイルやそれを迎撃するミサイル(ABM)、爆撃機といった戦略兵器に制限を設けるにいたる。そうした超大国間の軍備管理と米国から同盟国にさしかけられた核の傘の維持をどう両立させようとしていたのかが、本書第Ⅰ部では日本の視点から、第Ⅱ部ではアメリカの視点から描かれる。  第Ⅰ部では、主としてSALTⅠの時期には、戦略問題に関心を持つ一部の外務官僚が「同盟国」日本の安全保障に米ソ交渉が悪影響を及ぼさないよう要求したこと、同時に日本政府としては「被爆国」として米国に核軍縮への努力を求め、それがSALTⅡの時期には顕著になったことが強調される(第1章、第2章)。またこれらの主張の背景として、米ソの対話による緊張緩和(デタント)への日本の認識も検討されている(第3章)。  第Ⅱ部では、SALTを中心とした米ソ交渉、そして米中間の協議において、米国が「客体」、つまりコマとして日本を使う姿が描かれる(第5章、第6章)。日本との協議では核の傘を確認するなどして安心を供与しつつ、ソ連や中国に対しては核武装の可能性を含めた日本の脅威を強調して交渉を前進させようとする。政権ごとに登場する人物や論理は変化し(第7章)、SALTⅡは最終的に頓挫するものの、この構図は1970年代を通じて続いた。  このように日本はアメリカに対し、状況によって重点は変わりつつも、自らの安全保障と核軍縮の必要性を共に唱え続けた。それは東アジアの安全保障環境が厳しさを増し、核をめぐる軍備管理や軍縮が機能不全に陥っている現在も変わっていない、という現代への示唆で本書は締めくくられる(終章)。  以上のように本書は、最終的に頓挫する米ソ軍備管理交渉をめぐる日米関係という、クライマックスのない物語を描く難しい課題に挑戦した意欲作と言えよう。また個別の指摘にも興味深いものが多い。例えば日本は、中国の脅威などを念頭に、SALTをめぐる日米協議や核の傘の信頼性向上を求めたが、それは特定の外務官僚によるものであり、「政策」と言えるほど体系化はされていなかったという。戦略問題で受動的な日本という通説を一次史料によって修正しつつも慎重に留保をつける、バランスのとれた分析と言えよう。 ただ、より視野を広げた分析を見たい点も残されている。例えばアメリカが自らをコマとして扱ったことを日本は察していなかったのか。察していた場合に反発はなかったのか。それはアメリカの対応に影響を与えたのか。これはあくまで仮定の話だが、SALTをめぐる日米間の相互作用は、日本と米国の対応を二部に分けて検討したために見えにくくなったのではないか。  あるいは日本への言説による安心の供与は言説だけで成立していたのか。例えば米ソ交渉で議題となったアメリカの前方基地システム(FBS)には、在日米軍基地も含まれていたとされる。その在日米軍基地は、日本側の要請もあり、沖縄を中心に1970年代のベトナム戦争終結や沖縄返還の後も維持され、海兵隊はむしろ強化された。こうした行動もあってこそ、言説による安心の供与が効果を発揮したのではないか。  いずれにせよこれは、戦略問題という広がりのあるテーマを扱った書籍へのないものねだりであろう。本書は、戦後日本外交が初めて戦略問題に向きあいはじめた時の経緯を明らかにした、重要な歴史研究であるように思われる。(たけだ・ゆう=広島市立大学准教授・日本政治外交史)  ★いしもと・りょうや=北海道教育大学講師・国際政治学・アメリカ政治外交史。

書籍

書籍名 核兵器をめぐる相克
ISBN13 9784910590363
ISBN10 4910590366