宗教学15講
宮嶋 俊一著
佐藤 壮広
宗教は歴史・文化的厚みのある営みであり、それゆえにまた課題も含んだ現象である。1970年代の日本では「新新宗教」ブームが起こり、大小の宗教教団の活動が盛んとなった。同時に「霊感商法」や「マインドコントロール」などが社会問題となり、宗教教団への批判も出はじめた。現代日本社会に限らず、人類の歴史を概観すれば明らかなように、宗教は完全に正義でもまた完全に悪でもない、極めて人間的な営みなのである。
そのような宗教という現象について学術的な立場から研究してきたのが宗教学であり、本書はこの宗教学という視点から宗教現象へとアプローチするための待望の入門書・教科書である。15章にわたる記述のなかで、キリスト教や仏教、イスラームなど主要な宗教の基礎の概説はもちろんのこと、宗教の起源、諸宗教の死生観、神話や信仰の諸相、儀礼の様態、宗教教団の類型、スピリチュアリティ、そしてカルト問題まで、宗教について押さえておくべきトピックが過不足なく網羅されている。
特筆すべきは、「宗教について考えるための基本」と題されたセクションで、宗教学とは何か、宗教の定義、宗教の起源という宗教学の基礎項目について解説し、宗教と宗教学を峻別している点である。1995年に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、マスメディアや学術界からの宗教諸教団への批判が相次いだ。そして「宗教とは何か」をあらためて問う機会も増えた。しかしながら、ホンモノの宗教とニセモノの宗教を見分けるなどという単純化した言説も多く、宗教に関する議論は迷走している。
先にも述べたように、宗教という人間の営みは多様である。そこに明確な正解や不正解などは存在しない。本書がとるアプローチは、「第三の道としての宗教学」(12頁)である。これは宗教肯定論でも宗教否定論でもなく、事実にもとづいて実証的に宗教を探究する立場である。たとえば、自分と異なる宗教を信仰する人が目の前にいたら、その人がなぜ・どのようにその信仰世界を生きているのかを理解しようとするのがこの宗教学のアプローチである。文化人類学や社会学では他者の合理性を理解することが異文化理解の基本とされているが、宗教学においても同様である。宗教学のユニークなところは、死生観(死後のイメージや世界像)まで含めた人間の営みをトータルに理解しようとするという点である。本書には「宗教学は人間学である」(6頁)とある。
この「人間学としての宗教学」という論点は、本書の核をなしている。喜怒哀楽、艱難辛苦、悲喜劇で彩られた人生のなかで、われわれ人間は苦しみ悩む。この「悩み」への向き合い方を示しているのも、宗教である。本書ではM・ヴェーバーの「苦難の神義論」にふれながら、宗教は正解を示してくれるものではなく「むしろ「悩み方」すなわち「なぜ」という問い方を教えてくれるもの」(68頁)と考えるべきではないかと述べられている。宗教がいわゆる単純な課題解決型の営みではなく、問いを生きる営みであり、それを学術的に探究するのが「人間学としての宗教学」だというわけである。
翻って、宗教を研究する宗教学者もまた人間である以上、「なぜ」という問いを手放すことなく宗教について探究することが求められる。宗教の礼賛でも否定でもなく、人間は宗教という営みをなぜ続けてきたのかを問うことが、本書が誘う宗教学のアプローチのポイントである。
高齢化が進む日本社会では、それだけ人生について考え、悩む機会も増してきている。そのような時代のなかで、本書は宗教について考える視点を得るための恰好の入門書である。(なお、評者は比較文明学の観点から本書を評する別稿も準備中である。)(さとう・たけひろ=山梨学院大学准教授・宗教人類学・人間学)
★みやじま・しゅんいち=北海道大学大学院教授・宗教学。著書に『祈りの現象学』、共著に『媒介物の宗教史』『〈宗教〉再考』など。一九六六年生。
書籍
| 書籍名 | 宗教学15講 |
| ISBN13 | 9784832969100 |
| ISBN10 | 4832969102 |
