受験戦争のメディア史
佐藤 卓己著
小林 哲夫
大学受験生の実態、「受験戦争」の歴史について、合格体験記、通信添削、受験雑誌、参考書、予備校などからアプローチする試みはこれまでなかった。それは本書の参考文献欄に先行研究がほとんど記載されていないことからもわかる。研究者はたいてい大学受験を経験している。早慶、関関同立などの附属校や系列校を経た研究者はいるが少数派で、大半は「受験戦争」の「戦士」だった。50歳以上であれば浪人経験者もけっこういる。それなのに「受験戦争」と正面から向き合った研究はあまりなく、この分野で専門書、啓蒙書が出されていなかったのは、教育学者、社会学者の怠慢ではないか思ってしまう。
著者の佐藤卓己さんは長く教育学部で教鞭をとっていたが、専門はメディア史である。教育学者、教育史家として大学入試の歴史、政策に取り組んできたわけではない。佐藤さんは本書で大学入試のあり方を通信添削や受験雑誌など受験に関わるメディアから考察している。なかでも「合格体験記」の分析は実におもしろい。大学入試のシステムを文科省役人、大学教員、高校教師からの目線で説明する資料はいくらでもある。だが、合格不合格にかかわらず受験生の声から「受験戦争」を描き、大学入試がかかえるさまざまな課題に挑んだものとして本書は画期的だ。その方法論の1つに、オリオン社の通信添削の機関誌から受験生気質が時代によってどう揺れ動いたかを解明している。
朝日新聞記者の山中季広氏は受験生時代、オリオン社で学び東京大学に合格した。彼は受験勉強に疑問を抱き苦悶していた様子をこう綴っている。「世の親も、教育者も、そして学生自身も狂奔しているこの点取りgameが本質的にバカげたものであるからことを実感した時から、僕も受験界に入ってやろうと決心した。(略)…この悪弊はいつまでもたっても是正されず、点数と東大以外何ものも見えない不幸な人間の量産は終わらない。バカバカしいことをバカバカしいと知りつつ徹底的にやり抜いてはじめて、制度を批判する資格が与えられると思う」(オリオン社の冊子「合格体験記録集」1984年)。
かつて受験生に重宝されていた合格体験記があった。エール出版刊行の『私の東大合格作戦』『私の京大合格作戦』である。医学部、早慶、女子大なども作られた(現在は休刊)。この合格作戦シリーズには、「受験戦争」勝ち組による自慢、自己陶酔、承認欲求が少なからず見受けられる。勉強への取り組みを飾っている、盛っているところもなきにしもあらずで、自分がいかにダメかを綴った露悪的な内容もあった。だがこのように「受験戦争」終了直後の「戦士」がつい口にする言葉からは、尋常ではなかった精神状況を見ることができる。大学入試が青年期の精神形成にとって、良い意味でも悪い意味でも影響を与えている様子は興味深い。佐藤卓己さん自身もかつて『私の京大合格作戦』に寄稿しており、それは本書で再録されている。40年以上経って「私は受験戦争で善悪の彼岸に立っていた」と振り返っている。佐藤さんと同年代(1979年入試 共通一次試験1期生)のわたしには、痛いほどよくわかる。
本書に登場する「無名戦士」からやがて功成り名を遂げていく人物が現れる。1967年、オリオン社作成の大学合格名簿には鳩山邦夫(国会議員、東京教育大学附属)、舛添要一(東京都知事、龍野)、上野千鶴子(東京大学教授、金沢二水)などの名前がある。
わたしの手元にオリオン社のライバル、増進会出版の1964年大学合格者名簿があり、仙石由人(国会議員、城南)、平沢勝栄(国会議員、福島)、船橋洋一(朝日新聞記者、灘)、堀紘一(経営コンサルタント、東京教育大附属駒場)、小西隆裕(赤軍派、小石川)、長谷川和彦(映画監督、広島大附属)〈オリオン社、増進会出版の合格者名簿では肩書きは元職、故人を含む。出身校〉などが並んでいる。受験戦争の「無名戦士」はさまざまな世界で、有名な「戦士」になっていた。(こばやし・てつお=教育ジャーナリスト)
★さとう・たくみ=上智大学教授・京都大学名誉教授・メディア史・人文社会情報学。京都大学大学院博士課程修了。著書に『「キング」の時代』など。一九六〇年生。
書籍
| 書籍名 | 受験戦争のメディア史 |
| ISBN13 | 9784140913017 |
| ISBN10 | 4140913010 |
