2026/09/04号 7面

マインドフル・ムーヴメント

監修者から読者へ=『マインドフル・ムーヴメント』(村川治彦)
監修者から読者へ 村上治彦  二十二歳のとき、大学を卒業したばかりの私は、カリフォルニアのエサレン研究所にいた。大学では宗教学を学び、人間とは何か、意識とは何か、悟りとは何か、そんなことばかり考えていた。  エサレンでのある日、「How do you feel?」と聞かれた。私は一生懸命に英語で答えた。「I think I feel sad.」すると、「feelを聞いているのに、なぜthinkなんだ」と問い返された。答えられなかった。  いま振り返ると、あれが私にとって「からだ」を考える出発点だったように思う。それまで私は、本を読み、知識を身につけ、頭で理解することで世界に近づこうとしていた。しかし、「あなたはいま何を感じているのか」という単純な問いに答えることができなかった。  エサレンでは、毎朝六時に起き、二キロの道を歩いて朝のミーティングに出た。仕事は大きな芝生に水を撒くこと。一人で太平洋を眺め、波の音や鳥の声を聞いているうちに、不思議なことに、小学校五年生で受験勉強を始める前の自分を思い出した。頭で考えるより先に、走ったり、笑ったり、怒ったり、世界に触れながら生きていた自分である。  それから四十年近く、私は気功やソマティクスを研究し、実践してきた。そのなかで大切にしてきたのが「一人称のからだ」である。  医学や科学が扱う身体は、多くの場合、外から観察され、測定される「三人称の身体」である。それに対して「一人称のからだ」とは、「私がいま、ここで感じているからだ」だ。息苦しい。心地よい。誰かといると緊張し、別の人といると緩む。それは数値になる以前の、生きている私の経験である。  マーサ・エディの『マインドフル・ムーヴメント』を日本に紹介したかったのは、彼女がこの「からだ」の可能性を、健康や自己探求の中だけに閉じ込めなかったからだ。「からだ」を感じることは、自分の内側へ閉じこもることではない。足の裏を感じれば大地に出会う。呼吸を感じれば、外の空気が自分の内側へ入り、また世界へ戻っていく。他者の声を聞けば、自分のからだも変化する。  「私のからだ」は、私だけのものではない。近代社会は、心と身体、理性と感情、人間と自然を分けてきた。しかし、「一人称のからだ」から世界を感じ直してみると、その境界は思っていたほど確かなものではなくなってくる。  AIが瞬時に答えを与えてくれる時代だからこそ、もう一度、自分自身に問いかけてみたい。「How do I feel?」その答えを頭で探すのではなく、からだに聴いてみる。すると、そこで感じていることが、自分の内側だけで完結しているのではなく、目の前の人、暮らしている地域、さまざまな生きもの、そして大地へと、幾重にもつながっていることが見えてくるかもしれない。  四十年前、エサレンで投げかけられた小さな問いは、いまも私にとって、自分と世界とのつながりを問い直す問いになっている。「ソマティック・アウェアネスによって私たちは、人生のあらゆる部分に触れることができます。それは、生きていることを意識すること、そのものです」。マーサ・エディのこの言葉を、いまあらためてかみしめている。世界が大きく揺れ動く時代に、本書が、読者それぞれの「一人称のからだ」から世界を感じ直す小さな入口になればと思っている。(村越直子・橋本有子訳)(むらかわ・はるひこ=関西大学教授・身体教育学/ソマティクス)

書籍

書籍名 マインドフル・ムーヴメント
ISBN13 9784909862488
ISBN10 490986248X