ピアノから聴くマイルス・デイビス
マイク・モラスキー著
大谷 能生
本書のテーマは、モダンジャズというジャンルを牽引したトランペッター、マイルス・デイビスのバンドに参加した歴代の「ピアニスト」の個性の異なりを中心に、ジャズにおける「リズムセクション」の役割を浮き彫りにすることである。取り上げられているピアニストはレッド・ガーランド、ビル・エヴァンス、ウィントン・ケリー、ハービー・ハンコックの四名、時期は一九五五年から六八年までの一三年間。つまり、主題と対象は(新書というメディアにふさわしく)極めて限定的であり、ここに描かれているのは二〇世紀に生まれた音楽の中でもおそらくもっとも特殊な条件を充たすことで生まれた、狭く、そしてそれだけに深く潜り込むことが可能な世界であるだろう。
「モダンジャズ」以前の「ジャズ」の基本路線は、オール・アメリカンを対象としたダンスと歌の芸能である。移民の国であるアメリカ合衆国は、その青年期とも言える一九二〇年代において、自分たちを統合し、代理的に表象し、そのライフを物語ってくれる娯楽をあらたに強く必要とし、その成果としてミュージカル・レヴューとジャズ・ミュージックを生み出した。この発明品は映画とラジオとレコードにパラサイトしながら第二次世界大戦の遂行を「国民的娯楽」として支えるほどのポピュラリティーを得ることに成功したが、戦後、この巨大な果実をギュギュっと絞りあげ、圧縮し、加速させ、もっぱら個人の意志と力量によって演奏される「近代的芸術」へと導いていったのが、「バード」ことチャーリー・パーカーを代表とする「ビバップ」のミュージシャンたちなのである。
マイルス・デイビスはこのバードの一番弟子であり、「モダンジャズ」とはこのような、ポップスに大圧力を掛けて生み出したエキストラ・ヴァージン・オイルのような音楽なのだ。この本の著者マイク・モラスキー氏は、マイルスがこのような抽出作業をおこなうために組み上げた、ジョン・コルトレーンをテナー・サックスに、そして、ピアノにレッド・ガーランド、ベースにポール・チェンバース、ドラムスにフィリー・ジョー・ジョーンズを迎えた最初の「黄金クインテット」の作動具合をきめ細やかに観察してゆく。
ビッグバンド・ポップスをわずか五人のサウンドに圧縮した「モダンジャズ」は、本書の序章に「ジャズを聴く耳を作るために」という項があることからも分かるように、聴きなれないリスナーにとってはどこに注目すれば良いのか判別しがたい、きわめて抽象度の高い音楽である。ピアニストとしても活動するモラスキー氏は、マイルスが演奏するソロをバックアップする「リズムセクション」――ピアノ、ベース、ドラムス三者の組み合わせとそのやりとりの変化を時系列的に辿ることで、この「抽象芸術」がどのような筆致でもって楽曲の一画一画を仕上げてゆくのかを具体的に明らかにしてくれる。
作動している機械の形式が同じであるからこそ、ピアノの和声の押さえ方、ベースの一音、シンバルの一発などに込められた音楽的意味の異なりも際立ち、微細な差異を聴き取る耳の喜びも充実してくる。著者が本書で対象としている「五五〜六八年」のマイルス・ミュージックとは、このような形式化と抽象化が最高度にまで高められた、まさに「モダン」な芸術としての「ジャズ」を堪能できるものであるだろう。この時期が世界的な政治的動乱の年である「六八年」で断ち切られているのは興味深い偶然である。この前後からジャズと世界はまたあらたな「形式」を求めて、混沌と直情と直接行動の時代に入ってゆくのであった。(おおたに・よしお=音楽家・批評家)
★マイク・モラスキー=早稲田大学名誉教授・戦後日本文学および文化史・ジャズ史・日本の飲食文化。著書に『戦後日本のジャズ文化』(サントリー学芸賞)、『新版 占領の記憶 記憶の占領』『ジャズ喫茶論』など。一九五六年生。
書籍
| 書籍名 | ピアノから聴くマイルス・デイビス |
| ISBN13 | 9784004321132 |
| ISBN10 | 4004321131 |
