2026/08/21号 4面

今敏 未完のアニメーション

今敏 未完のアニメーション 宮本 裕子著 藤田 直哉  世界的に高い評価を得ながらも夭逝が惜しまれている天才的なアニメーション監督・今敏を、精神分析的なジェンダー理論や、クィア理論などを用いて分析した一冊である。今敏の作品『パーフェクト・ブルー』や『千年女優』では、アイドルや女優などの表象化される女性を主題化しており、これらの理論を用いることには内容的な必然性がある。理論による裁断ではなく、作品を内在的に読むことによって理論的な更新をも行いうるようなアイデアが随所に展開しており、刺激的な一冊だ。  筒井康隆の影響を強く受けた作家である今敏は、メディア・テクノロジーへの鋭敏さと、それをメタフィクショナルに作品に織り込む手付きを受け継いだ。小説家である筒井と違い、漫画家・アニメーション作家である今は、「像」の表現によりこだわり、展開していった。インターネットによるメディア環境が変化する時代を背景に、アイドルや女優などを題材に、増幅する「像」と、観る・観られることの問題系を扱っていったと宮本は読む。作品中の鏡や写真や映像のイメージなどへの精緻な分析が、本書の白眉である。  本書が示唆する、今敏作品を論じることによる理論的な展開の方向のひとつは、インターネットなどのメディア・テクノロジーによる人格やアイデンティティの分裂や複数化というシェリー・タークルらの議論と、ジェンダー的なアイデンティティの流動性の関係の考察であろう。ジェンダー・アイデンティティの流動性、複数性、多様化それ自体に、メディア・テクノロジーや、アニメなどの表現が影響している可能性が、第五章などでスリリングに展開している。思えば、アニメやゲームなど自体が、八〇年代の、現実や実体から切り離されたポストモダン的な気分の中で発展した、生身の身体や物質的現実を忌避するジャンルである。そして、映画もまた、観客のジェンダーに限定されず、様々な存在に次々と自己同一化しながら観ることを要求する芸術ジャンルである。これらとジェンダー・アイデンティティやセクシャリティの変容には、関係があるのではないかと本書は示唆している(ように評者は読んだ)。  たとえば、ジャック・ラカンの「鏡像段階」論が引用されているが、その延長線上で、我々はネット上に分散する様々なイメージやアバターなどを「鏡像」と感じ、結果としてアイデンティティや自己イメージは散乱し、流動的で、切り替え可能なものに構築されるのかもしれないし、物質的な条件を超えて複数化・可変化しやすくなるのかもしれない。  さらには、メディア上のデジタルデータ(写真、アバター、ゲームの操作キャラ)などを「鏡像」とすることが、セクシャリティを変容させるだけでなく、デジタルや物質(AIやキャラクター)を自己(人間・生命)の一部として感じさせ、「生殖」のあり方を変える可能性を、今敏は考えていたのかもしれない。未完の遺作『夢見る機械』について、著者が「生殖に伴うものではない形で子供を描き出そうとしている」(278頁)と解釈している箇所を読んで、評者は勝手にそんなことを思った。  第三章で、『東京ゴッドファーザーズ』を、再生産=生殖未来主義の外部であるクィアたちを描きながら、彼らを家族や赤ん坊の生存と成長と結び付ける内容であることを著者が(批判的に)指摘しているのを読み、本作がクィアvs再生産=生殖未来主義という二項対立を脱構築し、別種の未来や家族のあり方へと接続する可能性を探った話だったのかと目から鱗が落ちた。『夢見る機械』は、その延長線上に、機械の疑似家族や生命の継承の物語があったのかもしれないという読解は刺激的で、説得力がある。  夢見る機械としての今敏のアニメーションは、鑑賞者の脳と協働し、様々な夢の断片を生成する。宮本氏の解釈を通じた多くの夢が、本書を通じて、改めて現代において世界に広がっていくことを、期待したい。(ふじた・なおや=日本映画大学准教授・批評)  ★みやもと・ゆうこ=明治学院大学准教授・映画・アニメーション研究。著書に『フライシャー兄弟の映像的志向 混淆するアニメーションとその空間』、共著に『クィア・シネマ・スタディーズ』、論文に「イメージ・ファンタジー・労働の二層性」など。一九八八三年生。

書籍

書籍名 今敏 未完のアニメーション
ISBN13 9784791777792
ISBN10 4791777794