2026/10/02号 4面

科学から見た人間の〈多様性〉とは何か

科学から見た人間の〈多様性〉とは何か ジョナサン・マークス著 一色 真理子  文化と遺伝は、しばしば対立する二つの原理として語られる。「氏か育ちか」という古い問いがその典型だろう。しかし人間においてこの二項対立は正しくない。私たちは遺伝と文化、そして環境の絶え間ない相互作用によって形作られている。本書はこの前提に立ち、人類遺伝学がいかに誤解されやすく、また誤用されやすい学問であるかを丁寧に解きほぐしていく。  身近な例を挙げよう。現代に生きる私たちは、SNSを通してさまざまな情報に日々晒されている。その中には誤ったものも少なくはない。例えば先日見たSNSのリールには「身長は父親の遺伝が8割」といった投稿が流れ、驚くほどの「いいね」を集めていた。子が親に似るのは遺伝の影響であることは間違いない。しかし人間の子供は父母それぞれからおよそ半分ずつの遺伝情報を受け継ぎ、そのどの部分を受け継ぐかは基本的にランダムである。一卵性双生児でない限り、同じ親から生まれた兄弟姉妹でも遺伝的一致は半分程度に過ぎない。しかも身長のような形質は、無数の遺伝子上のアリルの組み合わせによって決まる、人類遺伝学の中でも最も多遺伝子性の高い形質のひとつだ。では「8割」という数字はどこから来たのか。おそらく身長の「遺伝率」が8割を超えるという事実の誤読である。遺伝率とは、親の形質が8割受け継がれるという意味ではなく、集団内の身長のばらつきのうち8割が遺伝で説明できるという意味だ。本書はこうした用語の誤用について、明快に説明してくれるだけでなく、人類遺伝学に関わる、私たちが気をつけるべき多くの事実を教えてくれる。数年前、米国では自分のルーツを調べる遺伝子検査サービスが流行った。日本でも近年、さまざまな遺伝子検査サービスが登場し、「自分は何者なのか」を知りたいという欲求に応えてくれる。だが、これらは「娯楽としての遺伝学」であり、科学としての遺伝学ではないことに気をつける必要がある。  しかし、本書において、ジョナサン・マークスが最も読者に伝えたいことは別にあるだろう。第4章、5章、7章、9章の4章にわたり、人類遺伝学がいかに人種差別や性差別を助長してきたかが、歴史的事実に基づいて詳細に語られる。ナチスの優生学は有名だが、それを一部の狂信者によるものと考えるのは誤りだ。第二次世界大戦前、人類遺伝学は優生学とほぼ同義であり、多くの遺伝学者たちが精神薄弱なアリルをもつ遺伝的に愚かな人間が存在し、貧困と結びついていると本気で信じ、断種政策を支持していた。人間には違いがある。しかしそれは優劣とは無関係だ。「人は皆同じではないが、平等である」。この単純な事実が、科学の名のもとにいかに繰り返し踏みにじられてきたかを、本書は突きつけてくる。  個人的な話になるが、米国でポスドクをしていた頃感じた、日米における最も大きな違いの一つは、人種やエスニシティへの意識だった。研究室でも日常生活でも、それらは慎重に扱われる話題であり、多様な背景をもつ人々が共に暮らす社会では、当たり前の教養でもあった。一方、歴史的に大規模な移民社会ではなかった日本では、人種やエスニシティ、そして遺伝的多様性が日常的に意識される場面は比較的少ない。そのため、人種やエスニシティを、遺伝によって明確に区切られた生物学的集団であるかのように理解してしまうことも少なくない。  しかし、日本社会は確実に変化している。今年、日本に暮らす外国人の数は初めて400万人を超えた。この数は今後もさらに増えていくだろう。人間の遺伝的多様性について正しく理解することは、生物学の知識にとどまらず、多様な人々が共に生きる社会において他者を理解するための教養でもある。そして、遺伝学が差別を正当化するために利用されてきた歴史を繰り返さないために必要な教養でもある。疑似科学の地雷が転がる情報化社会において、本書は確かな道しるべとなる一冊である。(桐谷知未訳)(いっしき・まりこ=東京大学大学院特任助教・集団遺伝学)  ★ジョナサン・マークス=アメリカの人類学者・進化遺伝学者。著書に『科学は差別主義的か?』(未邦訳)『98%チンパンジー』『元サルの物語』など。一九五五年生。

書籍

書籍名 科学から見た人間の〈多様性〉とは何か
ISBN13 9784867931547
ISBN10 4867931543