戦後文学の相続者たち
梶尾 文武著
川口 好美
熟議すべき数多くの争点が隠蔽された選挙によって、高市早苗の自民党が圧倒的多数の議席を手に入れた。その帰結として、たとえば殺傷能力のある武器の輸出が解禁される。アメリカはイスラエルと協力してイランを攻撃する。わたしたちはすべてを正しく予期した上で、破局をあるがままに受け容れるつもりで待ち受けている。われわれが決めたことなのだ、と自分に言い聞かせながら。これが無気力な隷従以外のなにものでもないということも理解している。パセティックな自己劇化を馬鹿馬鹿しいと思えるくらい、わたしたちは醒めている。奴隷根性という言葉では把捉しきれないこの状態をいったいどう考えればよいのだろうか。
少なくとも文芸をめぐる言説はそうした集団的心性を背景に、読まれ、書かれなければならない。個が個であることを否認する何か――中野重治の顰にならってそれを「最大のかなしみ」と言ってみてもかまわない――との揉み合いの痕跡を文学言語の中から注意深くすくい上げること。それがクリティカル(危機的=批評的)ということであり、そうでない内輪褒めやマーケティング的現状認識に文芸としての存在価値は一切ない。そしてその揉み合いへの意識から書き出された文章が、結果として文芸評論であるか、文学研究であるか、はたまたエッセイであるかは、なんら重要な問題ではない。
『戦後文学の相続者たち』「序論」末尾付近の重要な一節を書き写そう――「本書が考察対象とする戦後第二世代の思想と文学のパラダイムは、一九五〇年より隆起し、六〇年前後に第一世代からの覇権交代を遂げたのち、七〇年半ばをもって沈降した。時代は概ね高度成長期と重なる。(中略)ただしその記述にあたり、第三世代以降の知、たとえば構造主義やポストモダニズムによってもたらされた理論的水準に立ち、それに即してこの世代の通念の誤謬を遡及的に裁断するような態度を取ることを、本書はできるだけ回避したい。むしろそのような知によって沈降を余儀なくされ、今日では忘却された「闇」の奥行きを歴史的対象として捉え直すことが、本書の課題である」。
いっぽう「おわりに」には収録された文章はすべて「研究論文」であるという旨の断り書きがある。とはいえ、著者はこう言い添えている。「だが、批評的な閃めきを欠いた研究は退屈」だ、と。先ほどのクリティカル云々は、忘却に抗して「「闇」の奥行き」の歴史性を記述する本書の細心かつマッシブな文章が放つ「批評的な閃めき」に触発されて書いた。その閃光の在り様は、今後、憲法の批評的読み直し、書き直しを迫られるであろうわたしたちにとってきわめて示唆的である。
「戦後第二世代の思想と文学」は、当たり前だが第一世代との差異において結晶したものだ。たとえば吉本隆明は、野間宏、椎名麟三、埴谷雄高ら「第一次戦後派」と分類される年長世代の文学を「転向者または戦争傍観者の文学」だと厳しく規定した。この強烈な批判的距離は、皇国少年として敗戦を迎え、戦後革命の可能性と挫折を生身のからだでくぐり抜けることで自覚された「闇」の昏さの感触にもとづくものだ。さらに言えば、同じく戦後第二世代に位置付けられる江藤淳もまた、吉本とは別種の世代的経験を元手に自身の「闇」を隈取る独特の批評文を書き綴った。
そうした「闇」が当初孕んでいたなまなまとした衝迫力と共同性は、しかし、消費社会の相対的な安定にしたがって陳腐化せざるをえなかった。この「沈降」のなりゆきに批判的な意味付けを行い、「闇」のイメージが帯びる文学主義的観念性に終止符を打ったのが、柄谷行人や蓮實重彥らによる〝反文学〟としての批評であった……。
たとえば本書をこのように整理し、戦後を必然的な頽落の歴史=物語として理解することは間違いではない。だが他方で本書の魅力は、あえて「闇」を現在に呼び戻すという動機によって戦後文学史が複層化される瞬間――〝あったこと〟の動かし難さを注視するまなざしの死角に、〝ありえたこと〟のポテンシャルが取り憑く瞬間である。そこに浮かび上がるものこそ、イメージならぬ、具体的なモノとしての言葉たちの抗争の場としての文学(史)にほかならない。その瞬間を浩瀚な本書からもれなくピックアップするのは短い書評では不可能であるが、わたしとしては、詩言語をめぐる問いをとおして国家の起源への遡行を試みた吉本隆明ら「自立派」の批評家を論じた、第13章を挙げておきたい。〝想像の共同体としての国家〟という見方に慣れ切ったわたしたちの思考の不徹底がみごとに照らし出されている。(かわぐち・よしみ=文芸批評家)
★かじお・ふみたけ=神戸大学准教授・日本近現代文学。日本学術振興会特別研究員PD、韓国西江大学校助教授を経て、現職。凡庸の会(『文学+』編集)同人。一九七八年生。
書籍
| 書籍名 | 戦後文学の相続者たち |
| ISBN13 | 9784791777624 |
| ISBN10 | 479177762X |
