- ジャンル:哲学・思想・宗教
- 著者/編者: ジョナサン・グラバー
- 評者: 田中智彦
子どもを選別するということ
ジョナサン・グラバー著
田中 智彦
20世紀はじめに「遺伝学(genetics)」の名づけ親となったW・ベイトソンは、遺伝に関する事実が一般に知られるようになれば、人類は遺伝に干渉し始めるに違いないとも語っていた。遺伝学の誕生からDNAの二重らせん構造解明まで約五〇年、それからゲノム編集技術の登場までも約五〇年。技術的に可能なものは何であれ開発され、開発されたものはどんなものでも必ず用いられるという「社会動力学の法則」が、人間の生命の操作・選別にも妥当するとしたら、次の五〇年間に、つまり今世紀半ばにもなれば、「遺伝の選択」が当たり前になり、「遺伝のデザイン」が実用化されていても不思議ではないかもしれない。またそのときに、私たちの社会が「すばらしい新世界」のようになっていないとも限らない。ではそうした未来に向かってとるべき針路とはどのようなものか。2004年のオックスフォード上廣講義で著者が取り組んだのもそのような問いであった。
本書の議論の道具立ては「人間の豊かさ(human flourishing)」「よい生」「自律」「自立」「危害原理」のように、リベラリズムや生命倫理になじみ深いものばかりで特に目新しさはない。だがそれは本書の特徴でもある。著者は共感をこめてオークショットを引用する。「海は敵であると同時に味方であり、シーマンシップとは、あらゆる敵対的な機会を味方につけるために、伝統的な行動様式の資源を活用することにある」。遺伝の選択とデザインの可能性は、「人間」の何が守られるべきか——何は変えたり捨てたりしてもよいか——という問いを提起し、そのために私たちの価値観や信念は否応なく修正を迫られる。この修正のプロセスを市場や個人の選好に委ねるのは「『すばらしい新世界』戦略」であるとして著者は否定する。それは大海原で船を航行させながら作りなおすような、終わりなき反省的プロセスでなければならない。そう語る著者自身の「シーマンシップ」の実践例が、本書であるといってよいだろう。
他方でそのことは、本書の議論を一見わかりやすくはないものにしてもいる。たとえば著者は、障碍(disorder)のある人びとへの平等な尊敬を欠くことは許されないが、障碍は「人間の豊かさ」を損なうものであるから、障碍のない子どもを望むことまで否定されてはならないとする。また、それ以上に重い障碍があれば生きるに値しない人生になりうるから産むべきではない「ゼロ・ライン」があるとしながら、それは「しばしば巨大なグレーゾーンのどこかに隠されている。そこでは、自意識の怪物でもなければ、誰かの人生がそのラインより上か下かを簡単には、あるいはまったく判断できない」とも語る。遺伝の選択とデザインを論じるのに切れ味のよさや明解さを期待するなら、本書の議論はどこか生温く、煮え切らないと感じられるかもしれない。だが著者にしてみれば、「すべてのケースに当てはまる唯一の答え」があると考えるのはむしろ浅薄であり、傲慢でもある。そしてそのことは、障碍者を前にしながら「彼は砂糖を入れるのか?(Does he take sugar?)」と同伴者にたずねるような姿勢を捨て、障碍者やその親たちの一人称的経験に耳をかたむけるときにいっそうはっきりする。「人によって豊かさは異なる。たったひとつの設計図があるはずはない」。著者にとって終わりなき反省的プロセスとは、終わりなき人間どうしの「会話」でもある。私たちはいつしか結論を急ぐことに慣れ、「会話」をとおして熟慮することを忘れてはいないだろうか——そう気づかせてくれるのも、本書の効用のひとつであるだろう。
このように本書は、遺伝の選択とデザインの是非についてよりも、その是非を考えるには何をどう考える必要があるのかについて学ぼうとして読むときに、本来の豊かさを開示してくれるように思われる。その機会を日本語で得られること、翻訳の文化と担い手のあることの有り難さをあらためて感じる。ただそれだけに、誤植が散見されるのは残念であった。改訂の機会があることを期待したい。(戸田聡一郎・吉良貴之訳)(たなか・ともひこ=東洋英和女学院大学人間社会学部教授・倫理学・思想史)
★ジョナサン・グラバー=イギリスの哲学者・倫理学者。著書に『未来世界の倫理』など。一九四一年生。
書籍
| 書籍名 | 子どもを選別するということ |
| ISBN13 | 9784779519130 |
| ISBN10 | 4779519136 |
