2026/10/09号 3面

加藤晴久文集Ⅰ・Ⅱ

加藤晴久文集Ⅰ・Ⅱ 加藤 晴久著 倉方 健作  『加藤晴久文集』の刊行を心から喜んでいる。収録された文章のうち比較的最近のものは初出時に、古いものは掲載誌を探して読んだことがあったが(コピーして同業者に配ったこともある)初見のものも多かった。1935年生まれの著者の思索と行動が「文学・思想篇」「語学教育篇」の2巻にまとまったことは、フランス文学・思想研究、フランス語学教育に関わるすべての者にとっての僥倖である。「はじめに」によれば本書は自費出版であるという。著者および編集・刊行を引き受けた版元への感謝は尽きない。同時に、この文集の刊行によって、とりわけ同業の私たちは、著者が示してきた研究への対峙の姿勢、ときに耳の痛い指摘と現実的な提言を、もはや気づかないふりをしてやり過ごすことはできなくなった。一層身を引き締めなくてはならない。  ピエール・ブルデューの翻訳者として知られる著者の、そこに至るまでの歩みを知るという点でも「文学・思想篇」は興味深い。まず目を引いたのは、20世紀フランス文学研究において脱落しがちな「クラルテ運動」に関する未発表の文章、また1970年代に書かれたアンリ・バルビュスと日本の関係を示した論考である。フランスにおける共産主義の歴史的展開に関する著者の確かな把握は、マルクス主義社会学者アンリ・ルフェーヴルへのインタビューに存分に発揮される。異国の学者を賓客扱いにし、形式的な質問を連ねて話を傾聴するばかりのそれらとはまったく別次元であり、インタビュアーが深い理解と知性、さらに卓越した語学力を備えていれば「インタビュー」は豊かな「対話」となり、新たな知見が生成される場ともなりうることを示した好例と言えよう。  著者はフランス国立高等師範学校で1961年からの3年間を過ごしている。「植民地戦争のさなかのフランスで、フランツ・ファノン『地に呪われたる者』にサルトルが寄せた序文やニザンの『アデン アラビア』『番犬たち』の衝撃にもろに晒された時期でもあった」と書き、また「一九六四年に出たブルデューの『遺産相続者たち』は自分のそれまでの一〇年間の”Anywhere out of the world”の渇望の意味を理解させてくれた」とする著者の思想的遍歴は、やがてブルデューその人に向かって「自分はかつてポール・ニザンに自己同一化した時期があった。しかし自分を理解できるようになったのはあなたのおかげである」と告白するに至る。  「文学・思想篇」を通読すれば、著者の動力がこうした「渇望」や自身を「理解」することと不可分に結びついていることが強く感じられる。ある意味で個人性に深く根ざしていながら、すべての文章が明晰さと論証性、複層的な視点に貫かれている背景には、例えば1961年10月から(したがって留学当初から)『ル・モンド』を読み続けるといった著者の不断の姿勢がある。だからこそ、「専門家」「研究者」とされる者が手に届く範囲の資料と個人的な経験のみに立脚し、断片的な情報をつなぎあわせたパッチワークの如き放言的論考を発表するなどということは、著者にとって言語道断である。これについては収録の「幻視的フランス像」を一読されたい。1998年にある「専門家」が発表した「日仏の左翼知識人の三〇年」と題する論説が「あまりにも一眼的で偏った仮想現実」であることに著者が「驚愕し困惑」して書かれたという文章は、著者の矜持を示して余りある。だが、反論として書かれたこの文章は雑誌に掲載を拒否され、また人を介して申し入れた別誌でも断られた、という経緯が末尾に記してあった。掲載が保証されない執筆への全き注力は誰にもできることではない。  「語学教育篇」では、1996年に慶應義塾大学で開催された国際フランス語教授連合第9回世界大会に関する「大きな遊び」が心に残った。1000人からの参加者が集まる4年に一度の大会の招致の夢想から7年、周囲の人々を次々に感化しつつ、研究者間の連携をとり、文化人や財界人の協力も得て成功裡に大会を終えるまでの記録である。大学の教員なるものはいかに狭い世界のなかに閉塞して暮らしているものか、「フランス文学者」が知仏派、親仏派は自分たちだけだと考えているとしたら思い上がりも甚だしい、あるいは卑屈にすぎると言うべきであろうという、「大きな遊び」を経た著者の感想は至言である。  『加藤晴久文集』から、著者の訳書と単行本に向かう人々が多いことを願う。まずは、著作権が切れたとたんに世に溢れた「新訳」の訳文を検証した『憂い顔の『星の王子さま』 続出誤訳のケーススタディと翻訳者のメチエ』(書肆心水、20007年)だろうか。『加藤晴久文集』と同じく、私たちに襟を正すことを迫る、同書中の文章を引用したい。「自分から出版社に企画を持ち込んだのか、それとも出版社から話を持ち込まれたのか、いずれにせよ、コドモ向けの話、たなぼた式に実入りが得られるくらいにあなどって引き受け、サン=テグジュペリの他の作品もろくに読まず、勉強もせず、いい加減なやっつけ仕事をしたとすれば、足もとをすくわれる羽目になる。長年、サン=テグジュペリに「取り組んで」きた成果を見せたいと張り切っても、学力・知力に限界があれば、やはり惨めな結果になる。世の中、みくびらずあなどらず、しっかりと真面目に、愚直に渡っていきたいものである」。  個人の名を掲げた文集を紹介する文章の最後に、私の個人的な記憶を添えたい。私は小学生の頃、そうとは知らず著者の訳文に親しんだ。「いまフランスで大人気の4コマ漫画」という触れ込みで作品を集成したC・アルナル『日仏対訳ピフ』(エンタプライズ、1981年)を、私は日本のマンガと同様に読み耽ったのだったが、これはセリフの翻訳が自然であったがゆえだろう。この本を通して私は「ポワソン・ダヴリル」(4月馬鹿)、復活祭、バカンスなどの風習を知った。それからずいぶん経ち、広い意味で著者の「同業者」になってから同書を再び手に取った。以前は読み飛ばしていた「訳者のことば」で、「ピフ」が共産党機関紙『ユマニテ』に連載されていたこと、またカトリック系と共産党系の児童向け雑誌が市場を二分しているという当時の構図を知るとともに、実際の漫画では、フランス語と日本語のセリフの見事な対応に驚かされた。まさに、「コドモ向け」とあなどらない、ごまかしのない仕事であったのだ。(くらかた・けんさく=九州大学言語文化研究院教授・ヨーロッパ文学)  ★かとう・はるひさ=東京大学および恵泉女学園大学名誉教授。フランス文学者・翻訳家。東京大学大学院修士課程修了。日本フランス語教育学会会長、国際フランス語教員連合副会長を歴任し、フランス共和国政府より芸術文化勲章(シュバリエ)と教育功労章(オフィシエ)をそれぞれ受章。著書に『ブルデュー闘う知識人』『「ル・モンド」から世界を読む2001-2016』など。一九三五年生。

書籍

書籍名 加藤晴久文集Ⅰ・Ⅱ
ISBN13 9784864883474
ISBN10 4864883475