2025/04/18号 5面

徳田秋聲探究

 松本徹著『徳田秋聲の時代』、紅野謙介・大木志門編『徳田秋聲』、大木志門著『徳田秋聲と「文学」』など、近年、八木書店版『徳田秋聲全集』の編集・協力を担った研究者を中心に、全集の成果を背景として、秋聲研究の新しい収穫が相次いでいる。『徳田秋聲探究』の著者小林修氏も、全集の編集委員で、秋聲の書簡や徳田家資料などの調査・翻刻に尽力された。現在、秋聲のテクストと資料に最も精通している一人である。  その著者が、「徳田秋聲についての旧稿を中心に、その後断続的に発表した拙文を一本にまとめてみた」(「あとがき」)という本書は、「金沢という地霊」「『縮図』の諸相」「日露戦争・関東大震災・学芸自由同盟」「通俗小説への意欲」「全集・原稿・代作・出版」の五章十七編から成る。各章のタイトルからうかがえるように、秋聲の人とテクストと時代とジャンルとメディアと、――つまりは今日における秋聲の問題系をことごとく取り込んだ一冊である。  ただ、本書の大きな特色は、そうした先鋭な問題意識が、実に手堅い資料の調査と発掘に裏付けされている点にある。二〇一七年に、『南摩羽峰と幕末維新期の文人論考』で幕末維新期の文人の事跡を追尋・考証した著者は、ここでも資料を博捜しつつ、これまで見過ごされてきた秋聲の義母(父雲平の第二妻女)の実像や、叔父たち(父の弟)の足跡に光を当てている。さらに、日露戦争に取材した全集未収録の作品「将軍出づ」を発掘して、その意義を明らかにするとともに、学芸自由同盟幹事長就任挨拶文・日本文学報国会小説部会長就任挨拶原稿など、調査の過程で明らかになった多くの資料が紹介されている。  また全集では、いわゆる通俗小説に全四十二巻のうち十二巻(二十一編)を振り当て、従来の自然主義作家としての秋聲像を更新する契機となったが、こうした通俗小説の問題、および代作の問題について考察を深めている点も、今日の秋聲研究としての強い問題意識をうかがわせる。久米正雄『螢草』や菊池寛『真珠夫人』に通俗小説の成立を想定する通説に対して、より早い秋聲の『誘惑』に一つのエポックを見出す「『誘惑』の試み」には私自身も教えられたし、代作として全集に入らなかった『心と心』を再評価する「『心と心』――「あらくれ」の陰画」も、創作と代作の間に横たわっているものをめぐって、大きな刺戟をうけた。  しかし何といっても、本書の真骨頂は、そうした手堅い調査と資料の博捜によってのみ可能となった、目の醒めるようなテクストの分析にある。なぜ『縮図』という物語は、三村均平と銀子が銀座の資生堂パーラーの二階で夕食をとる場面から始まらなければならないのか、また銀子の父親が靴職人であることにどのような意味があったのか。関東大震災直後の世相を描いた「フアイヤ・ガン」論もそうだが、ただ「注釈的な読み」というのに留まらず、それがテクストの構造を開示していく読解の過程が、実にスリリングで、文字通り目から鱗が落ちる思いがした。本書に不満があるとすれば、むしろこうした作品の分析をもっと読みたい、という点に尽きる。  著者は「あとがき」で、「もとより秋聲を体系的に論じたものではなく、鬱然たる秋聲文学の森を散策し、枝葉を考察したものに過ぎない」と語っているが、枝葉を考察することなしに木や森を知ることはできない。全集の刊行によって、私たちはようやく、秋聲文学の全体像を見渡せるところまで辿り着いたと思っていたけれども、むしろ秋聲文学は私たちが理解していたよりも遥かに深く、鬱蒼とした森であり続けていることを、本書は私たちに教えてくれる。そしてその森に分け入るためには、丹念に枝葉を凝視する以外にないことも。  創作というのが独立した個人によるオリジナルな営みだという私たちの理解自体が、むしろ迷妄ではないのか。また、近代的な「場」と「年代記」に支配されない秋聲の独特な話法についても、秋聲が体現している(あるいは秋聲のなかに流れ込んでいる)「場」と「年代記」の「古層」にまで、私たちはまだ足を踏み入れることができないでいるのではないか。――そうした著者の絶えざる問いかけが、本書から聞こえてくるようだ。(むなかた・かずしげ=早稲田大学名誉教授・日本近代文学)  ★こばやし・おさむ=実践女子大学短期大学部名誉教授・日本近代文学。『徳田秋聲全集』(菊池寛賞)編集委員。著書に『南摩羽峰と幕末維新期の文人論考』、立教女学院短期大学図書館編『福田清人・人と文学』(共著)など。一九四六年生。

書籍

書籍名 徳田秋聲探究
ISBN13 9784910714097
ISBN10 491071409X