ヴァンパイア・リヴァンプド
山下 大地著
下楠 昌哉
今後日本におけるヴァンパイア、あるいは吸血鬼に関わる文化的諸相を扱う研究において、本書に言及せずに論を進めることは不可能になるだろう。山下大地『ヴァンパイア・リヴァンプド』は、正しく学術の書である。出版にあたって科研費の助成を受けており、この点について議論の余地はない。その一方、五百頁を越える大著にして百頁以上が注と参考文献一覧と索引にあてられているこの書物が、最近のお値段高めの文庫本二冊分に満たないほどの出費で入手できるところからは、研究目的以外の多くの読者にも届いてほしいという出し手の熱い思いが伝わってくる。実際、著者の明晰にして誠実な筆致のおかげでリーダビリティは高く、各章の冒頭にはその章で取りあげられる主要トピックが列挙されていて、読者は思い思いに自分の興味に沿ってヴァンパイアに関して気になる情報をハントできるようになっている。
ここ数年、夏来健次・平戸懐古編訳『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』(東京創元社)、山口雅也製作総指揮、三浦玲子・森沢くみ子訳『吸血鬼ヴァーニー』第一巻(J・M・ライマー/T・P・ブレスト著、国書刊行会)など、平井呈一の訳業と種村季弘や須永朝彦らの著作によって日本で構築された吸血鬼をめぐる言説空間を、この書評にふさわしい言葉を使うなら「リヴァンプ(刷新)」するような書籍の刊行が相次いでいる。こうした動向をフォローしている読者には、『ヴァンパイア・リヴァンプド』の著者は『ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集』(幻戯書房)の編訳者であるあの大地先生なのだと告げれば、本書の内容の肝の部分を察してもらうには十分だろう。『ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集』収録の七十頁にも及ばんとする訳者解題は、日本におけるヴァンパイア学(ヴァンピロロジー)の立ち上げを宣する歴史的な檄文だった。あの内容が翻訳を補足する文書ではなく純然たる学術書の形で世に問われ直されることは、今後の関連分野の研究の進展に大きな意味を持つだろう。
そう、ヴァンパイア学なのであって吸血鬼学ではない。よって「吸血鬼」という言葉に強く魅かれる読者は、本書を読むにあたって隔靴搔痒たる思いをする場合があるかもしれない。例えば、東欧や南欧の一部に見られた害をなす死者にまつわる民間伝承が起点となっているにもかかわらず、吸血の特性を持つ様々な怪物が十把ひとからげにヴァンパイアと呼ばれるようになっている現状に対して学術的な問題点を強く意識している本書においては、作品名や引用の場合を除いて「吸血鬼」という言葉は使われず、我らが愛する吸血の怪物を呼ぶにあたって「ヴァンパイア」という言葉が、徹頭徹尾使われる。また、そのヴァンパイアという語の語源は定かではないそうだが、決着がついていないその現状に関しても粘り強く詳細な説明がなされる。何をヴァンパイアと呼ぶかが本書においては重要であるので、避けては通れない議論の手続きであるからだ。
様々な呼称で呼ばれていた民間伝承上の害なす死者が、十八世紀のセルビアでの事件の報告書を契機にヴァンパイアという名前で広く受容され、文学諸作においてジョン・ポリドリの『ヴァンパイア』をきっかけとして誘惑者の貴族としての姿を汎ヨーロッパ的に獲得してゆく、本書で描かれる過程はエキサイティングだ。銀幕でボリス・カーロフが演じる怪物の姿を得る前に、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の物語が、死体を継ぎはぎしてできた怪物が創造主に歯向かう神話となってすでに十九世紀の様々な言説や図像に流通していたことを論じたクリス・ボルディックの名著『フランケンシュタインの影の下に』(国書刊行会)が想起される。さらに本書では、その後の欧州ヴァンパイア文学史を、それらの作品においてヴァンパイアが権力によってどのように「封じ込め」られるように描かれたかという観点から、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』までたどっている。その中で、超自然的な存在を出さずに見事に吸血鬼の姿を描き出した日本の現代文学、佐藤亜紀の『吸血鬼』(講談社)が論じられていたのは、評者にとってはうれしい寄り道だった。
ヴァンパイアを扱った文学作品は夥しい数であるためにその全てを扱えないことは、本書において断りがなされている。ただどうしても残念に思えるのが、カール・マルクスの著作におけるヴァンパイアの比喩に関する論の不在である。マルクスは『資本論』で大英帝国の中におけるアイルランドのあり方を論じており、そこで論じられていたのはある種の経済的な階級の「封じ込め」ともみなしうるだろう。ないものねだりとわかってはいるが、本書の射程がどちらもアイルランド作家であるレ・ファニュの「カーミラ」とストーカーの『ドラキュラ』までであるならば、著者がドイツ文学の専門家であるゆえになおさら、マルクスを議論の俎上に乗せてほしかった。
なお、本書が提唱している「ヴァンピロロジー」という言葉は、キャサリン・ハーカップという学者がヴァンパイアにまつわる諸事象に対しての科学的説明を試みた書籍のタイトルに使っており、ヴァンパイアに実際(?)に対処する人々の知識を指すのに用いられたりもしている。この言葉の意味が今後どのような変遷をたどるかは、本書を読んで後につづく者たちが紡ぐ言葉が決めてゆくことだろう。(しもくす・まさや=同志社大学教授・英文学)
★やました・だいち=ヴァンパイア学者(ヴァンピロロジスト)。立命館大学嘱託講師(有期雇用)。森口大地名義での編訳書に、ラウパッハ/シュピンドラー他『ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集』など。
書籍
| 書籍名 | ヴァンパイア・リヴァンプド |
| ISBN13 | 9784336078421 |
| ISBN10 | 4336078424 |
