痛みとケアのスピリチュアリティ
島薗 進著
高橋 原
現代人は、痛みを共有し、それをケアしあうという営みの中で、「宗教」という枠組みにとらわれずに、「痛みとケアのスピリチュアリティ」を経験しているという考察が本書の眼目である。「痛み」に関わる社会現象として取り上げられるのは、日航機墜落事故、水俣病運動、いじめ、自死、アダルトチルドレン、ひきこもり、等々である。
本書のタイトルとなっている「痛みとケアのスピリチュアリティ」は、医学部を志望して大学に入学した著者の学問的歩みの到達点、あるいは現在地を示す言葉として選ばれている。著者は、「いのちの痛み」「いのちの恵み」に注目して新宗教の教祖研究へと進み、やがて、「精神世界」「スピリチュアリティ」という視座を得て、伝統的な救済宗教の枠組みには収まらない、大きな精神史の流れへと目を向けていった。
ヨーガや瞑想に惹きつけられた人々の「新しいスピリチュアリティ」の研究においてキーワードとなったのは、「自己変容」であり、「癒し」であった。しかし、楽観的で前向きな「再生」をクローズアップしがちなその視点からはじゅうぶんに捉えられない半面がある。その物足りなさを補う、「欠けていたピース」が「スピリチュアルペイン」であったという。「死と再生」が語られる時、象徴的な「死」の経験の方に比重が置かれる「痛みとケアのスピリチュアリティ」を視野に収めることで、四〇代に始まった著者の「スピリチュアリティ」の探求に、何とかまとまりがついたとされている(「あとがき」)。著者自身のスピリチュアリティの置き所が見つかったと理解してよいだろうか。
ところで、本書の中で、著者は「一九四八年生まれの私」である。この自己措定のフレーズは、尾崎豊が熱烈に支持され、『完全自殺マニュアル』(一九九三)、『新世紀エヴァンゲリオン』(一九九五)などが世に出た時代に、若者が死に対して感じていた親近感を記述するくだりで現れる。孤立感や痛みを通じて共鳴しあう若者の感性に新しさを感じた著者は、「死と再生」を新しい地平において語り直す試みへと足を踏み出していったわけである。
一方、一九九〇年代に島薗教授の授業に出席していた一九六九年生まれのかつての若者の自分語りをしてみると、西荻窪にプラサード書店というのがあり、精神世界の本が読まれていて……という話を枕に、「新霊性運動」の諸相がしばしば語られていたと記憶する。それは実は、私の父や母がその中にどっぷりつかってきた世界の話であったが、私にとっては遠い世界の出来事のように聞こえていた。「尾崎豊マイベスト」と手書きされたカセットテープや、「エヴァ」のテレビ放送全話が録画されたビデオテープを友達から渡されたのも、この時代のことだった。いま、本書を手にしてみて、私にあまり刺さることはなかったそれらの作品によって、どうにか命をつないでいた友もいたかもしれないと思い当たりもする。
人生の後半にさしかかったがゆえにそんな感慨を抱くのだろうか。スピリチュアリティに対する理解は人生とともに深化していくものだという。著者も、「痛みとケアのスピリチュアリティ」という表現に出会うまでに、半世紀以上の研究の歩みを必要とした。評者は、自分の中にある何ものかを、スピリチュアリティと呼ぶべきかも含めて、まだじゅうぶんに理解しているとは言えないが、著者の的確な案内に従って、目まぐるしく過ぎていったこの三十年あまりを振り返ることとなった。多くの読者にとっても、本書は、自分自身や隣人達の――あるいは親や祖父母たちの――スピリチュアリティのありようや、その未来の落ち着き所に思いを致すきっかけになるだろう。(たかはし・はら=東北大学教授・宗教学・死生学)
★しまぞの・すすむ=東京大学名誉教授・NPO東京自由大学学長・近代日本宗教史・宗教理論・死生学。著書に『日本人の死生観を読む』など。一九四八年生。
書籍
| 書籍名 | 痛みとケアのスピリチュアリティ |
| ISBN13 | 9784022631466 |
| ISBN10 | 4022631465 |
