2026/01/09号 4面

エメ・セゼール

エメ・セゼール 尾立 要子著 大嶋 えり子  マルティニーク出身で、アンティル文学の代表的な詩人・劇作家および政治家のエメ・セゼール(1913―2008)は、1930年代にレオポール・セダール・サンゴールらとともにネグリチュードという文学運動を作り出した作家の一人である。だが、日本ではまだ十分に知られていないのではないか。作品の邦訳や日本語で書かれた研究論文などは出版されてきたが、日本語で読める評伝は本書が初と思われる。多様な読者向けの刊行と、著者が実施したセゼールへのインタビューの収録も本書をより意義あるものにしている。  しかし、本書には見逃しがたい瑕疵が多く、手放しで肯定することできない。まず、一般向け書籍にもかかわらずハイコンテクストな記述には注意が必要となる。セゼールは言う。「普遍とは特殊に満ちて、すべての固有からなり、すべての固有の深化と共存である」(81頁および異なる訳出で119頁)。差異を超えた価値を重視するフランスの普遍主義は、地域語の排除や植民地の先住民に対する差別などにつながった。そのため周辺化されてきたマルティニーク人のセゼールが普遍に「特殊」を含め、倒錯的に「ニグロ」を自称し、マルティニーク人固有のアイデンティティと文化を強調することは、共和政に対する大いなる挑戦だった。本書にはフランスにおける普遍主義の重要性の説明がなく、一部の読者にとってセゼールの挑戦の背景が伝わりにくい可能性がある。  また本書全体の傾向として、多くの出来事がセゼールの成果として描かれているが、論証が不十分である。たとえば、2005年のサルコジ内務大臣のアンティル訪問中止をセゼールの影響力の結果として紹介しているが、実際には地元の独立派や労組による大臣への抗議が予告されており、複合的な要因が訪問中止を引き起こしたと考えられる。  さらにセゼールの考えの先進性を示す記述にも疑問が残る。著者はセゼールの考えがアンティル人に必ずしも支持されなかった原因を「皆がセゼールのような透徹した認識を持てるわけではない」(197頁)ことに見出し、1998年に奴隷だった祖先のための追悼行進に多くのアンティル人が集まったことについて「セゼールの『帰郷ノート』の認識、そこで描かれた心的世界に現実が追いつくのに、実に60年を要した」(239頁)、「人々は、1998年にようやく『憤り』を表明した。(…)セゼールのように注目される作品を生み出すことはなくとも、(…)海外領土の地位をめぐってセゼールが指摘し続けた問題が自分自身の問題であることを(…)実感したのではないだろうか」(266頁)と論じる。市民の後進性を強調し、セゼールを称揚する手法には首をかしげざるを得ない。  他にもエドワード・サイードの論との関係についても説得力に欠ける部分がある。『文化と帝国主義』(1993年)でのサイードによるセゼールの引用について、「サイードが多くの批評家を引用して綿密に論じた〔被征服民のアイデンティティ確立の難しさ〕を、詩人セゼールは直観で理解していた。(…)『帰郷ノート』に導かれてサイードは『ナラティブ』の概念を発見し、『文化と帝国主義』を書くことができたのかもしれない」(161頁)と著者は述べる。セゼールの詩作が綿密でなく、サイードの著作がセゼールの後追いであるように読める上、『帰郷ノート』の影響を十分な根拠なく憶測している。詩作が直観に基づいているという古典的な考えにも首肯しかねる。  最後に詩について付け加えると、詩人と政治家の対比が本書を貫いている。「一見正反対に見える詩人と政治家」(304頁)と著者は述べるが、二つの活動が緊張関係にあろうとも詩人兼政治家は珍しくなく、詩人を「世俗的な職業」(215頁)としての政治家と対置する論は主観的に過ぎないだろうか。「詩人ならばフランスを見限り、独立を声高に叫ぶこともできたであろうが、政治家セゼールはマルティニークの人々に対して心に誓った約束、義務に忠実であった」(301頁)という記述でもこの対比が打ち出されるが、詩人ではない独立派の政治家は存在しており、詩人であれば独立を主張しやすいという見方は自明ではない。収録されたインタビューで著者は「詩人であることと政治家であることは同じですか」と質問している。セゼールの回答は明快だ。「そのように質問してはいけない」(305頁)。  戯曲や詩の分析も含んでいる本書が、難点はあれども、読者をセゼールの邦訳やこれまでのアンティル文学関連の文献へと誘うきっかけを提供することは間違いない。参考文献一覧に邦訳や文献の欠落があるため、追加の書誌情報を出版社のサイトで確認されたい。(おおしま・えりこ=慶應義塾大学准教授・フランス政治)  ★おりゅう・ようこ=尚美学園大学非常勤教員・フランスの海外領土政策。著書に『周辺からの共和主義』など。

書籍

書籍名 エメ・セゼール
ISBN13 9784480018342
ISBN10 4480018344