2026/10/23号 5面

エミール・ゾラの仕事場

エミール・ゾラの仕事場 オリヴィエ・ロンブローゾ著 関 大聡  「一行も書かぬ日はなし」を標語としたエミール・ゾラ(一八〇四〜一九〇二年)は、几帳面で規則的な執筆リズムを自らに課し、それを維持した生真面目な作家と認識されがちだ。しかし、『ゾラの生涯』(一九三七年)という題名の映画が製作されたように、その生はいくつもの事件と波乱に満ちていた。少年時代から続いた画家セザンヌとの稀有な友情。文壇だけでなく世論を巻きこみ毀誉褒貶を招いた〈自然主義〉運動の攻勢。優しい妻との平穏な生活を破綻に追いこみかけた女中ジャンヌとの熱愛。そしてドレフュス事件の渦中に発表された「私は告発する」と、筆禍による投獄を逃れた亡命生活……謀殺の疑いもある一酸化炭素中毒死に至るまで、ゾラの生涯はドラマに事欠かない。  しかし、それらすべてに先立ち、ゾラの生涯を突き動かした最大の事件とは、原稿用紙の上で演じられる〈書くこと〉のドラマにほかならない。そしてそのドラマを暴き出すために本書の著者が選んだのが、作家の各種草稿資料を解読し、作品が創造されるダイナミズムに注目する生成研究のアプローチであった。  吉田城は、いまや古典となった『『失われた時を求めて』草稿研究』(一九九三年)において、本書のタイトルを予告するかのようにこう書いていた。草稿とは、「作家の仕事場(アトリエ)として、創作の秘密のかなりの部分を教えてくれる」のだと。本書『エミール・ゾラの仕事場』が探訪するのも、この草稿という秘密のアトリエである。とはいえ、本書が「仕事場」と呼ぶのはそれだけではないことも言い添えておこう。ゾラがその生涯において転々としたパリ、メダン、ロンドンなどの住宅と書斎は、文字どおりの意味で仕事場と呼ばれるべきであるし(第一章)、ゾラの草稿がどのように保存、解読、解釈されることで、デジタル人文学・AI時代の今日まで継承されてきたかの受容史も語られる(第二章)。もちろんそうした準備資料を駆使して、ゾラの主要作品を実際に読み解く手ほどきも与えられ(第三章)、さらに書簡やインタビューを通じて、こうした個人の仕事場が同業者や弟子たち、読者のいるコミュニティとつながっていることが示される(第四章)。端的に言うと、これらの章は伝記、受容、読解、文学社会学の伝統的アプローチを〈書くこと〉に焦点をあてて再定位する、ユニークな企てと見なせるだろう。私は特に次のような一節にひとり胸を躍らせた。  「仕事場は私的な実験室に限定されるものだろうか。いや実際には、仕事場の壁には通気性がある。仕事場は書斎の外にも開かれているのだ」  個人の仕事場の壁に穿たれた、この通気孔という比喩により、結論部で著者がゾラの「連帯主義」と呼ぶ集団的仕事場の夢を垣間見ることが可能になる。これを読むと、作家の死因が、密閉された寝室に充満した一酸化炭素による窒息死だったことを思い出さずにいられない。密閉された部屋は彼を殺したが、開かれた仕事場は生かしつづける。「ゾラの人生とは、連作を生む仕事場で人類のために情熱的に捧げられた作家人生にほかならない」と著者は締めくくる。けだし至言と言えよう。 *  ところで、八〇年代頃から普及した生成研究に対しては、一握りの研究者向けのマニアックな手法ではないか、という疑念がしばしば呈されてきた。そうした疑念にも理由がないわけではないが、本書の著者はゾラの草稿研究をリードする立場にありながらも、細部に拘泥するあまり読者を議論の森に迷いこませる弊を避け、私のようなゾラ研究の門外漢にも教えるところの多い、一般化可能な議論に導いてくれる。彼が唱える「全体性の生成論」は、個別作家の研究を越えて、「エクリチュールのメカニズムや謎に関する一般的な理論的考察を育むような豊かさを備えたもの」だと言われる。  それでは、ゾラの生成研究が目指してきた目標は何なのか。本書から浮かび上がるのは、ゾラ受容が最初から抱えてきたひとつの困難である。文学史においてゾラの名は「自然主義」という潮流に結びつけられ、その方法は当時の実験医学から借用された「観察は示し、実験は教える」という定式に要約された。つまり、文学を科学的方法に従属させた結果、文芸に固有の美学を犠牲にしてしまった――このような批判が自然主義をめぐる論争のなかで繰り返し提起されてきた。自然主義論争は、文学の自律をめぐる問いの引き金となったのである。  草稿を使った研究は、こうした自然主義=科学偏重という桎梏からゾラの作品を解放する手助けになる。作品執筆のための調査の実態や、最終稿では抑圧され採用されなかった素材や草案の数々は、彼の創作が単なる現実の観察に留まらず、氾濫する想像力の飛翔とともに生起する過程に立ち会わせてくれる。つまり生成研究とは、ゾラにまつわるさまざまな紋切り型的なイメージを削ぎ落とし、〈書くことのドラマ〉に立ち返るための方法なのである。そのことを著者は「フィクションの行間に入り込」むという表現で言い当てた。  「私たちもフィクションの行間に入り込めれば〔…〕、あまり型にはまっていない繊細な方法で仕事場を見ようとすることも不可能ではない」  こうしたゾラ文学への新たなまなざしを用意することは、最近完結した「ゾラ・セレクション」(藤原書店、二〇〇二〜二〇二五年)が目指したところでもある。それを支えた訳者や研究者たちの甲斐もあり、こんにち、かつてないほどゾラの小説世界に日本語でアクセスする環境が整っている。とはいえ、書かれるだけ、訳されるだけでは、足りない。通気孔を反対側からくぐりぬけ、フィクションの行間に入りこむこと、つまり〈読むことのドラマ〉が、もうひとつのドラマを迎えいれなければならない。本書はその良き手引きになるだろう。(小倉孝誠・安達孝信・野田農・實谷総一郎訳)(せき・ひろあき=立教大学特任PD・仏文学・思想)  ★オリヴィエ・ロンブローゾ=ソルボンヌ・ヌーヴェル大学教授。専門はエミール・ゾラとフランス自然主義文学。一九六八年生。

書籍

書籍名 エミール・ゾラの仕事場
ISBN13 9784588011948
ISBN10 4588011944