詩脳講義
野村 喜和夫著
関 大聡
詩がわからない、という人は少なくない。もちろん私もその一人だ。「詩はわかるものじゃない、わかろうとするのがまず間違い」と言われれば、ではと思ってその非意味的な文字の連なりに立ち向ってみるが、呆然としたまま退いてしまう……そんな悩ましい人にもこの本はうってつけである。なにせ「実験的で難解な詩を書く」ことで知られる詩人が、みずからの詩の制作過程をあけすけなほど「わかりやすく」語ってくれるのだから。
野村喜和夫は詩人にして屈指の読みの名手である。このふたつの在りようは分かちがたく結びついていると言うべきだろう。彼の『現代詩作マニュアル』(思潮社、二〇〇五年)の冒頭には、こうある。「詩を読む。詩を書く。それは言葉によってわれわれのこの生を確認し、捉え直し、あるいはさらに更新し、生き直してゆくことにほかなりません。」 ここで詩を読むことは詩を書くことに先立ち、また接続詞もなしに前者は後者へ連なる。読むは書くの先触れなのだ。ひょっとしたら、詩がわからない(読めない)というのは、雷鳴の予兆をなす稲光に身をすくめるように、「詩を書く」の手前に身を置くことへの臆病なのかもしれない。
だからこそ野村喜和夫はしばしば呼びかける。「詩を書きたいあなた、詩人になりたいあなた」――これは『ランボー『地獄の季節』 詩人になりたいあなたへ』(みすず書房、二〇〇七年)に繰り返し読まれる魅惑のフレーズである。本当はみんな詩を書きたいんでしょう、と言わんばかりに。ところで、「理想の教室」シリーズの一冊を飾った同書をはじめ、野村の本は得てして「教室」から生まれる(たとえば水声社刊『シュルレアリスムへの旅』など)。しかし、たとえ最初の言葉が対面で発されたとしても、書籍になる過程で「あなた」は遠くにいる誰か、つまり(伊藤潤一郎の著書名を借りるなら)「誰でもよいあなた」に変わる。講義の書籍化とは、この意味でまさに「投壜通信」化なのだと言ってよいだろう。
本書『詩脳講義』も、東京大学の表象文化論コースで行なわれた詩の講義をまとめたものだが、これもひとつの「投壜通信」だと野村は言う。「詩脳」とは漢語の「詩嚢」をもじった造語で、「詩を生み出す脳、詩作する脳、あるいは詩的な脳」を指す。詩脳の世界は広大な地下茎のネットワークだ。授業では自作の詩「デジャヴュ街道」および「エデンホテル」を題材に、両詩篇がどのように作られたかのメイキングを語ることで、その解明が目指される。もちろん本人が、「ほんとうに私は、究極的には何を書こうとしたのかわかりません」と音を上げる場面もある。けれどそれ以外の場面ではみずからの詩法の要諦を惜しげなく開示している。付録の対談において、授業をコーディネートした桑田光平が「ほとんど詩の破壊、詩の自殺行為のようにも映ります」と言うほどに。
さらに面白いのは、このメイキングで発された言葉に複数の「詩脳リンク」が貼られ、残りの講義はそこから間テクスト的な関係や詩史、現代思想などへ連想的に話題が広がることだ。ハイパーテキスト的な仕掛けで、まさにリゾーム状である。思いつきで発されたように見える言葉にも無数の含蓄があり、言い捨てられるべき言葉などないことを示す、教育的な配慮に満ちた装置だと思う。かくいう私も数年前から大学での教育に身を窶しているが、授業の仕方など誰も教えてくれはしない。昔不真面目に受けていた授業を今こそ受けたいものだねと同僚とたまに話すのだが、まさに本書のような、こんな講義に出られたらと思う。というより、本書を読むことで、私たちは仮想の教室に居合わせることができるのだ。
その教室で野村は大胆にも「詩というのは、本質的にポップだと思うのです」と言い、「いろんなことの局面で、それをうまく説明できなくなる瞬間が訪れたら、とりあえずそれをポエジーと呼んでしまいませんか」と提案する。かなり大盤振る舞いの、鷹揚とも言える提案だが、これが難解をもって鳴る詩人の言であることに当惑する人もいるかもしれない。けれども、そこに解くべき矛盾は存在しない。《知の革命家たち》シリーズの一冊『ルネ・シャール 閃光の詩学』(水声社、二〇二六年)で、野村がフランスの詩人について語っていることは、おそらくそのまま彼自身の詩作に当てはまる。
「そういう〔難解だとされる〕フレーズは何よりも注視を強い、解読を要求する。謎は、まさしく解釈に向けて半ば開かれてもいるのであって、読者には、それに応じるだけの忍耐が必要なのである。忍耐がやがて詩を享受する喜びに変わるのは言うまでもない。いまの時代にまったく合わない非効率的な時間の消費だが、私に言わせれば、それこそが詩を読む醍醐味というものだ。」
したがって本書も、どれほどわかりやすくとも、詩がもつ「謎」を解消するには至らない。それはむしろ、汲めども尽きせぬ詩の謎とともに留まる忍耐と、その先で詩を享受する喜びを教えてくれる。「ポップな少数者のきびしい言語」――軽さと重さ、明快さと晦渋さを併せもつ矛盾態、それこそが詩なのだ、と。(せき・ひろあき=立教大学特任PD・仏文学・思想)
★のむら・きわお=詩人。詩集に『風の配分』(高見順賞)『ヌードな日』(藤村記念歴程賞)『薄明のサウダージ』(現代詩人賞)『美しい人生』(大岡信賞)、小説に『骨なしオデュッセイア』、評論に『移動と律動と眩暈と』(鮎川信夫賞)など。一九五一年生。
書籍
| 書籍名 | 詩脳講義 |
| ISBN13 | 9784865285123 |
| ISBN10 | 4865285121 |
