2026/07/17号 4面

AIという名の鏡

AIという名の鏡 シャノン・ヴァロー著 松浦 和也  機械学習型AIの台頭と社会的な過熱ぶりは、これまでのAIブームとは一線を画している。メディアでその言葉を目にしない日はなく、AIが自然なイントネーションでニュース原稿を読み上げる光景も、すでに日常の一部となった。学術領域においてもAIの積極的利用が叫ばれて久しく、一部の分野では論文執筆の大部分をAIに依存する動きすら定着しつつあると聞く。この技術から距離がある人文学領域においても、AI利用の模索は続いている。未解読の非デジタル化テキストの文字認識、テキストマイニング、偉人の言説の疑似的再現といった試みである。  ただし、人文学に期待されている役割は、AIの活用というよりも、AIに関する倫理的考察であろう。実際に、AIは、チャットを通じた自害・自殺教唆の懸念、司法・人事システムにおける人種バイアスの強化などの現実の社会的問題から、既存の支配権力の強化や人類の破滅などの漠然としたディストピア的危機感まで、さまざまな倫理的問題を引き起こしている。しかしながら、AI倫理の構築は困難である。「AI」と一言で言っても、そこには多種多様なタイプがあり、その目的も多様であることに加え、日進月歩の勢いで研究開発が進んでいるため、議論の出発点である特性の把握すら一筋縄ではいかないからである。  こうした中で、本書は、おそらく二〇二六年現在で最も社会的注目を浴びている大規模言語モデルを念頭に置き、AIの本質を「鏡」として捉えることを提案する。この提案は極めて秀逸だと思われる。たしかに、(一部の)AIは人間のあり様を模倣し、その中には人間と遜色ない文章を出力できるものもある。しかし、それが模倣しているのは人間の見かけの、限定的な一面に過ぎない。そして、模倣対象である人間はその開発に関わる限られた人々である。  本書は鏡の持つ特性を手掛かりに、先述のAIをめぐる諸問題について網羅的に扱い、その問題が何に由来するのかを看破する。さらに、本書の特筆すべき点は、諸問題の由来を単なる心理学的な快・不快でも、功利主義的基準でもなく、哲学的観点、特に徳倫理的観点から論じている点である。この特色を通じ、本書はAIを専ら効率性と有効性から評価する態度から距離を置き、人間の実存や道徳性から評価することに成功している。そのため、本書はELSIの倫理学領域に関する優れた案内書と評しうる。  ただ、それだけに、AIとの未来を展望する第7章は議論の余地を残しているように思われる。AIを統制する意志を各人が持つことの重要性には評者も同意するが、この展望は本書前半で積み上げたAIが誘発するバイアスや権力構造の強化といった論点から見ると楽観的に過ぎるであろう。また、プラトンや孔子といった古代の思想家を引き合いに出す論点は唐突で説明不足感が否めず、古代哲学を齧った評者としてはより丁寧な論証が期待されるところである。さらに、積極的で健全なAI利用として本書が提案した科学コミュニケーターの代用や少数民族の言語保全といった具体例は、たしかに素晴らしいが、大学に籍を置く研究者コミュニティーから発せられた見解であるように見えるし、その実行可能性に疑念を感じさせる。これらの論点と鏡としてのAIという把握との結びつきについても、明瞭な道筋があればなお良かった。  ただし、このような本書の限界は現代のAI倫理とその未来展望の困難さを反映しているのであろう。私たちがAIの社会的課題の解決と、その健全な利用方法を模索するのであれば、明示的にであれ、暗示的にであれ、こうした困難を提示すること自体が、私たちを熟慮に誘う。総じて、本書はAIに関する倫理的諸問題に関心を持つ者が手に取るべき必読の書であり、本書を通じて本邦の倫理的議論は新たな局面を迎えるに違いない。一読者として、本書のタイムリーな翻訳と刊行を担った方々に深謝したい。(西田洋平監訳・石垣賀子訳)(まつうら・かずや=東洋大学教授・哲学)  ★シャノン・ヴァロー=イギリスの哲学者・徳倫理学。エディンバラ大学教授。「人工知能100」常任メンバーや「責任あるAIの格差解消」責任者を務める。

書籍

書籍名 AIという名の鏡
ISBN13 9784807920846
ISBN10 4807920847