六人部屋の十三年間
頭木 弘樹著
北條 一浩
潰瘍性大腸炎という難病を患い、二十歳から十三年間も入院を余儀なくされた著者。退院して多くの人が「普通」と呼ぶような日常に近い生活を送れるようになってからも、その病が完治することは一生ない、と書く著者のこの本に対して、そんな経験と縁のない読者として私はもう何も考えず、迷わず、ただこう書きたい。この本は、とにかく、めっぽうおもしろいと。共感も同情も恐怖も、ある種の厳粛な気持ちも脱落してかまわない、とにかくめっぽうおもしろいということだけを意識しながら私はこの本の読書を走り抜けた。
初めは重症だったため個室だったが、やがて二人部屋になり、その後六人部屋に移る。この差が決定的だ。二人部屋ということはすなわち同じ部屋に一対一で、しかも相手がふんどしと入れ墨のヤクザだったり、固く禁じられていた納豆を食べたせいで大量出血、それを夜中に著者が発見してナースコールを余儀なくされるおじさんだったりするからたまらない。それに比べ、多様な人が他に五人同居する部屋に移る際には、読んでいるだけなのにこちらもため息とともにホッとしてしまう。
親友の借金の保証人になってしまった人や、毎日あれこれ世話を焼いてくれる孫娘に対してひたすら冷淡に接し、人前でけなし続ける老人など、一人ひとりの個性が示されると共に、対医師、対看護師ということで入院患者同士の共闘関係のようなものが自然にできあがっていく様子も興味深い。
入院という、自ら望んでやってくる人はほぼ皆無の環境にあっては、他に選択肢がまったくない状況がしばしば訪れるということも、なるほどと思わせられる。入院患者の家族が見舞いに来れば、どんなに静かに振る舞おうとしても、会話は必ず他の患者に聞こえてしまう。これは同居の他の患者からすれば、聞きたくない話も聞こえてしまうことを意味する。そして半ば強制的なひきこもり状態にある患者とあれこれ面倒を見なければならない家族はいずれもイライラが募り、どんな人でもケンカは避けられない。
なかでも私が最高におもしろく感じたのは、部屋の中で断トツに若い著者が、何組もの夫婦の離婚の危機を救ったというエピソードである。この事実はなによりも著者自身を驚かせたわけだが、なぜそんなことができたのか、詳細はぜひ本書にあたっていただきたい。その成り行きからは、人の話に耳を傾けるとはどういうことなのか、といったことに関する真実が込められているはずである。
本書は、こうした厳しい経験をした人だからこそ、そしてこの入院生活を「空白」と感じていた著者が、編集者との時間をかけた対話を経てようやくできあがったものだが、もう一つ、頭木弘樹氏でなければがこういう本にはならなかった、という特徴を指摘しておきたい。
それは、多くの文学者ならびに落語からの引用である。六人部屋の様子や自らの体調、考えたことを書く際、しばしば、ちなみに作家の誰誰はこれこれの作品でこう書いている、あるいは、こんな落語があって……と続く。文章の流れの中でごく自然に、なめらかに繰り出されるこれら先達の創作物からの引用(長い引用ではなくごく短いのがまた効果的)が絶妙の補助線になって読者の理解を助けてくれるのである。頭木氏の著作のプロフィール冒頭には、どの本でも必ず「文学紹介者」と書いてあるはずだが、書かれている文脈の理解を助けると同時に、こんなことが書いてあるこの作品を読んでみようか、という気にさせるこの心憎いチラ見せこそ、なるほど「紹介」の仕事なのだと感心してしまうのだ。
当然シリアスな場面も多い本書を、私はおもしろい、おもしろいと外野の眼で堪能しながら読み進めたが、後半、退院のあとに何のキャリアもなく仕事もなく途方に暮れたこと、まだまだ通院があり、検査があり……という現状を読んで、さすがに無責任な好奇心の眼を閉じ、頭を垂れることになった。そしてまた眼を開いて思うのはこういう本が書かれ、こういう世界をまったく知らない人が読むことができることへの感謝であり、著者が大事にしている言葉=概念である。それを最後に書いておこう。
その言葉とは「親切」だ。「愛までは求めない。でも、せめて親切にはしてほしいと思う」(頭木弘樹)。「わたしが知る唯一のルールというものはだね――人には親切にしなさいってことだ」(カート・ヴォネガット・ジュニア『これで駄目なら』円城塔訳、飛鳥新社)。
手垢にまみれたように感じていたこの言葉はいま、私の中にはっきりと刻まれた。(ほうじょう・かずひろ=ライター・編集者)
★かしらぎ・ひろき=文学紹介者。著書に『絶望名人カフカの人生論』(編訳)『食べることと出すこと』『口の立つやつが勝つってことでいいのか』、編著のアンソロジーに『絶望図書館』『放課後によむ短篇集』など。
書籍
| 書籍名 | 六人部屋の十三年間 |
| ISBN13 | 9784794980540 |
| ISBN10 | 479498054X |
