- ジャンル:歴史
- 著者/編者: 『日本歴史』編集委員会
- 評者: 石渡英和
日本史のなかの酒
『日本歴史』編集委員会編
石渡 英和
酒は嗜好品であると同時に、統治と社会を映し出す鏡でもある。本書『日本史のなかの酒』は、そのことを改めて気付かせる一冊である。古代から近現代に至るまで、酒が政治、儀礼、流通、そして人々の関係性にいかに関与してきたかを、複数の研究者による論考によって描き出しており、酒を軸に日本社会の構造を立体的に浮かび上がらせている。
本書の特徴は、酒を単なる文化的産物としてではなく、社会に作用するものとして捉えている点にある。なかでも興味深いのが禁酒令に関する指摘である。一般に禁酒令というと、飢饉時の食糧確保を目的とした政策と理解されがちだが、本書が示すように、その本来的な動機はむしろ政治的・社会的な統制にあった。すなわち、集会の抑制や政権批判の封殺、あるいは喧嘩の防止といった、秩序維持のための装置として酒が規制されてきたのである。この視点に立つと、酒は単なる消費物ではなく、人々を結びつけ、時に権力にとって脅威ともなりうる媒介であったことが見えてくる。
そして、浮かび上がるのは、禁酒令という政策の本質である。それは歴史上繰り返し発令されながら、決定的な成功を収めた例がほとんどない。酒の規制は統治のために必要とされ続けてきたが、同時にそれは常に逸脱され、潜り抜けられてきた。酒は人を酔わせる。しかし、それ以上に、人間の欲望を可視化する。本書は、酒をめぐる制度や文化の歴史を丹念に描き出しながら、その背後にある普遍的な人間のあり方をも照らし出している。
また、本書には外部の視線から見た日本人の飲酒習慣に関する興味深い記述もある。十六世紀に来日した宣教師たちは、日本人が互いに無理に酒を勧め合い、酩酊に対して寛容であり、女性も頻繁に飲酒し、さらには吐くまで飲むことすら珍しくない、と記している。西洋においては酩酊が恥辱や不名誉と結びついていたことを踏まえると、この記述は当時の日本社会の特質を鮮やかに浮かび上がらせる。
このような記述に触れるとき、どこか他人事ではない感覚を覚える。酒席での過剰な勧め合いや、酔うことへのある種の寛容さは、形を変えながらも現代にまで引き継がれているようにも思われる。いわば、日本人の身体感覚の深層に刻まれた習慣の連続性を見る思いがするのである。もっとも、現代においてはアルコール・ハラスメントへの批判や若年層の飲酒離れが進み、酒をめぐる価値観は大きく変容しつつある。それは時代の要請であり、当然の流れでもあろう。しかし、酒が人と人とを結びつけてきた歴史を思えば、その変化に対して一抹の寂しさを覚えるのもまた事実である。
一方で、本書を読みながら、酒造の現場に身を置いてきた立場として感じるのは、「造る側」の視点についてである。酒は制度や文化のなかで語られるだけでなく、微生物の働きや発酵管理といった技術的制約の上に成り立っている。かつて政府において鑑定官として酒質評価や製造指導に携わった経験からすれば、歴史のなかで語られる酒もまた、その時代の醸造技術や環境条件に強く規定されていたはずである。
現在、酒蔵の再生や商品開発に関わるなかで実感するのは、酒が「文化」であると同時に「産業」であり、「技術の集積」であるという事実である。本書が主に照射するのは酒の社会的機能であるが、その背後には常に、造り手の試行錯誤と技術革新が存在していた。この点を補助線として読み込むことで、本書の議論はさらに豊かな奥行きを持つだろう。
本書は、酒をめぐる個別の歴史事象を積み重ねることで、日本社会を読み解くための一つの視座を提示していると言えるだろう。本書を手がかりに酒から歴史を見渡すとき、時代ごとの社会の輪郭と、現在にも連なる人間と社会の構造そのものが立ち現れるのである。〔編者=金子拓・佐藤雄介・十川陽一・千葉功・西田友広・林晃弘・松田忍・三谷芳幸〕(いしわた・ひでかず=いくひ合同会社代表・元国税局主任鑑定官)
書籍
| 書籍名 | 日本史のなかの酒 |
| ISBN13 | 9784642084918 |
| ISBN10 | 4642084916 |
