色彩の魔術師 エリック・カールの絵本とアート
エリック・カール画/ペンギン・ランダムハウス編
野上 暁
エリック・カールの代表作でもある絵本『はらぺこあおむし』が偕成社から出版されてから来年は五〇周年を迎える。発行部数は四五〇万部を超え、ボードブックの三二四万部を合わせると、八〇〇万部近くの大ベストセラーになっているという。これだけ長い間、多くの子どもたちを惹きつけた魅力は何処にあるのか。
この本は、二〇二一年に九一歳で亡くなった絵本作家でアーティストのエリック・カールの生涯を「自伝」でたどるとともに、絵本作りのテクニックとたくさんの絵本原画やアート作品を全編カラーのA4判変形サイズの大型本で紹介しながら、カール絵本の魅力の秘密を解き明かす。
一九二九年、ドイツからアメリカに移民した両親の許にニューヨーク州で生まれたカールは、六歳の時に両親とともにドイツへ戻り少年時代をシュトゥットガルトで過ごす。「自伝」には、戦時下の子ども時代の体験がじつに細やかに描写されていて、人生の原風景が後の絵本作りに深く影響することがよくわかる。
ワインとパーティー好きで日曜絵描きのアウグストおじさんは、話をせがむと「お話製造機のねじを巻いて」といい、カールの手をおでこに持って行き、カールはそこにねじがあるかのようにしてグルグルまわすと面白い話が始まる。しかし戦争が始まり、おじさんの自慢の一人息子が戦死し、お話製造機は動かなくなってしまう。
カールの父は、終末になるとカールを連れて森や野原を一緒に歩き、出会った虫や鳥や小動物のことを色々教えてくれる。「人生のなかにある〈色〉のいくつかは、父の筆による」とカールは言う。カールが一〇歳の時に父は応召され、ロシアの捕虜となって一〇年後に帰って来るが、三八キロに瘦せこけ精神も病み回復することなく亡くなる。
ギムナジウムの美術担当のクラウス先生が秘密裏に見せてくれたピカソやクレー、マティス、ブラック、カンディンスキーなど、ナチスが退廃芸術家とした作家の作品。ナチ党員がカールを徴兵に来るが母の機転で辛うじて免れる。
戦争が終わり、美術大学のグラフィック・アート学科在学中からデザインの仕事をするが、一九五二年、二三歳のときに四〇ドルだけを持ってアメリカに渡る。そこでレオ・レオニーの作品に心を惹かれ、彼を訪ねたところからニューヨーク・タイムズ紙での仕事にありつく。フリーのイラストレーターとなり、ビル・マーティンJrの文章による『くまさん くまさん なにみてるの?』が初めての絵本となる。
その後、伝統料理のイラストを頼まれたのがきっかけで、担当編集のアン・ベネデュースに絵本『1,2,3どうぶつえんへ』のダミーを見せると採用され、初めて文と絵を自分で手がける。それから『いもむしウィリーのいっしゅうかん』という小さな芋虫が主人公の本を提案すると、アンが青虫にしたらといい、それを聞いたカールが「最後は蝶だ!」と叫んで『はらぺこあおむし』が誕生する。作家と編集者の関係は本が成功するかどうかを決定するぐらい重要だとカールは述べる。
ところが、複雑な仕掛けのこの本を制作できる会社が当時のアメリカでは見つからない。アンが日本に招待された時、偕成社の今村廣社長(当時)が作品を気に入って、日本での制作の道が見つかったという。なんと、アメリカ版の初版は日本で印刷製本されたのだ。
穴や切り抜きや捲る仕掛けがある自分の絵本は、半分おもちゃで半分が本。触って感じる本であるとともに、読めるおもちゃだとカールはいう。自分の中にいる子どものために、長いあいだ満たされぬままだった欲求を満たすかのように本を作り続けているともいう。そして自分の絵本がどのように生まれるかも明らかにし、『はらぺこあおむし』は穴から始まり、偶然性と遊び心から生まれたというのだ。
バーバラ夫人と東京のちひろ美術館を訪れたのがきっかけで、エリック・カール美術館をつくるエピソードも素晴らしく、二人の夢を込めた美術館に行きたくなる。
「エリック・カールの制作技法」では、色の魔術師の秘技が両観音開きを使って紹介される。コラージュ用の薄紙の作り方から、「あおむし」のキャラクターをコラージュで完成させるまでを写真で丁寧に解説しているから、子どもでも再現できそうだ。世界中で親しまれている絵本原画と、カールが、「アート・アート」と呼ぶ、既成の価値観や秩序を否定したダダイズムの即興性や偶発性に重きを置いたコラージュや立体作品と、全絵本の書影が六〇頁以上にわたって掲載されているのも貴重で有難い。カールの魅力がぎっしり詰まった平易な文章で読みやすく、カールの魅力がぎっしり詰まった豪勢なビジュアル本だ。(前沢明枝訳)(のがみ・あきら=児童文学・文化評論家)
書籍
書籍名 | 色彩の魔術師エリック・カールの絵本とアート |
ISBN13 | 9784030166707 |
ISBN10 | 4030166709 |