2025/05/30号 4面

音楽で「良い子」は育てられるのか

音楽で「良い子」は育てられるのか 山本 耕平著 安川 智子  「音楽の授業」は千差万別だが、大半の日本人の記憶には残っていることだろう。義務教育としての小中学校や、高等学校のカリキュラムにも含められ、文部省(現在の文部科学省)が定める「学習指導要領」によって授業の目的や方法、教材が全国画一的に方向づけられてきた。この情報だけを取り出せば、どこか異様な状況であるように思えるが、この方式は現在も続いている。異様に感じる理由は、我々成人にとって音楽とは娯楽や趣味の領域に属するものであり、強制されて身につけるものではないからだ。一方で「芸術」としての音楽は、専門教育として幼少期から鍛錬を積んだものだけが携わることのできる特異領域と考えられており、義務教育とは無関係である。しかし日本には第三の音楽、すなわち「道徳」や「情操」を育てるための音楽があり、「音楽教育」または「教育音楽」として、子どもの教育に用いられてきた。「芸術音楽」は鑑賞教材として、よき「教育音楽」にもなる。  本書は、大阪府立交野支援学校四條畷校に教諭として勤める著者が、まさに現場を知り尽くした立場から、「情操」という曖昧な概念を手がかりに、客観的な音楽教育史に鋭く切り込んだ意欲作である。「情操」という立派で便利な言葉は、本書が対象とする戦後から一九六〇年代までの学習指導要領(試案を含む)に鎮座しつづけ、その曖昧性ゆえに現場を惑わせてきた。書籍のタイトルにある「良い子」とは、情操教育としての音楽教育が目指す着地点であり、それゆえ雲をつかむような目標であることは明らかである。著者は問いかける。そもそもどのようにして「情操」が高まった、または深まった、あるいは音楽教育のおかげで「良い子」に育った、ということがわかるのか(二三五頁)。そして、学習指導要領のみならず、各時代の音楽雑誌から東京都文京区立柳町小学校の教育実践、大阪音楽教育の会の取り組み、家永教科書裁判の記録に至るまで、音楽教育に携わるさまざまな立場の具体的事例を丹念に検証しながら「情操」概念の変遷を辿ったのちに、こう結論づける。戦後音楽教育は「情操」という曖昧な概念をうまく利用することで存在しえた(二三五〜二三六頁)。  この結論は、今もなお、現場すなわち学校の「内側」では、「音楽教育」「教育音楽」という役割を与えられた、あるいは言葉は悪いが、上から押し付けられていることへの戸惑いが拭いきれていないことの表れであるようにも感じる。本書がこれまでの音楽教育関連書と比べても特に優れている点は、立脚点を学校に置きながら、戦前の唱歌教育からつづく国や官の視点による音楽教育の糸を断ち切らず、諸井三郎、園部三郎、林光、小泉文夫といった、作曲家や音楽評論家、あるいは音楽学者など「専門家」が真摯に子どもの音楽教育に向き合い、熟考と試行を重ねてきたことを浮き彫りにしていることである。さらにいえば、一九六〇年代の「おけいこブーム」にも目を配り、ピアノに代表される西洋文化やおそらくは「良き家庭」への母親たちの憧憬と、それを利用した音楽産業の目論見など、学校の「外側」の動向も、同時期にポピュラー音楽やわらべうた、世界の音楽などを教材に受け入れ始めた校門の「内」側と無関係ではないことをさらりと指摘している点である。本書では触れられていないものの、音楽には「階層づけ」に寄与する側面があることは、歴史的にみて否定できない。「すべての子どもに平等な音楽教育」は、試みた先から崩壊していくことを、現場の教師は嫌というほど味わっているだろう。  この解決不可能に見えた問題に、官と民、校門の「内」と「外」の対立をことさらに煽ることなく、両立場の往復によって正面から向き合った本書は、日本の音楽教育とその構造に問題を感じつつ、見て見ぬふりをしてきた評者自身にとって、嬉しい驚きであった。各地域の学校の音楽教育実践と、全国的な情報交換の仕組みなどは、「音楽教育」の外へと開かれることで、様々な問題解決の糸口となるのではないだろうか。(やすかわ・ともこ=北里大学教授・音楽学)  ★やまもと・こうへい=大阪府立交野支援学校四條畷校教諭・大阪芸術大学非常勤講師。・日本の音楽教育史。共著に『ベートーヴェンと大衆文化』『学校音楽文化論』など。

書籍

書籍名 音楽で「良い子」は育てられるのか
ISBN13 9784393936153
ISBN10 4393936159