2026/10/23号 4面

オーストリア

オーストリア カール・レンナー著 今野 元  カール・レンナーは近代エステルライヒ(英名オーストリア)の代表的政治家の一人である。一八七〇年にハプスブルク帝国のメーレン(英名モラヴィア)に生まれた彼は、ヴィーン大学法学部で法学博士号を取得し、エステルライヒ帝国議会議員(社会民主労働者党)に選出された。一九一八年の帝国崩壊後、レンナーはドイツ系エステルライヒ初代国家宰相となり、新生ドイツ帝国(ヴァイマール共和国)との合邦を志向したが、ドイツ弱体化に固執するフランスに反対され、サン・ジェルマン講和条約で断念した。レンナーは、ドイツ系エステルライヒ社会民主労働者党内では階級闘争を目指すオットー・バウアーらを批判する改良主義者で、キリスト教社会党のイグナッツ・ザイペル、エンゲルベルト・ドルフス、クルト・シュシュニックとも対決した。一九三八年にドイツNS政権がエステルライヒ合邦を強行すると、引退していたレンナーは支持する声明を出した。ドイツ敗戦の一九四五年、レンナーは侵攻したソヴィエト軍の意向でエステルライヒ臨時政府国家宰相、のち連邦大統領に返り咲き、一九五〇年死去した。  本書はこのレンナーが実体験を加味して書いたエステルライヒ史論で、三部からなる。第一部は彼がシュシュニック政権下で蟄居中に執筆し一九三七年で中断したエステルライヒ共和国の歴史(戦後補充の痕跡あり)、第二部は彼が一九四八年に連邦大統領の実務と並行して描写した第一共和国の没落および第二共和国の誕生。第三部は彼が米雑誌『フォーリン・アフェアーズ』一九四八年七月号に掲載したエステルライヒ史概説である。生き証人の歴史叙述は貴重で、戦前版・戦後版の比較も興味深い。  本書でレンナーが訴えたのはエステルライヒの悲劇である。エステルライヒのドイツ人は、帝国ドイツ人と九百年の共同体の伝統を持ち、東方諸民族とも四百年も共生してきた。一八〇四年のエステルライヒ帝国設立、一八六六年の戦いでドイツ人の共同体は動揺し、ビスマルクに東方への重心移動を勧められてできた一八六七年体制は、ハンガリーで南スラヴ人抑圧を引き起こし、エステルライヒでドイツ系ベーメン人の憤激を生み、帝国崩壊の遠因となった。一九一八年初頭、皇帝カール一世は敵国が示したハプスブルク帝国保全の姿勢を生かせず、チェキア人の反帝国煽動で潮流が変った。帝国分裂で生まれたドイツ系エステルライヒは生存の危機に瀕し、ドイツとの合邦を図ったが、ウィルソンの一四か条への信頼は裏切られ、ドイツ人には民族自決が許されなかった。この間エステルライヒは、バイエルンやハンガリーから迫る革命独裁の誘惑を斥けた。エステルライヒは一九二〇年に国際聯盟に庇護を求めたが、これも一九三四年に見捨てられた。ドルフス政権がファシスト・イタリアに同調し、社会民主党やNSDAPを非合法化し、シュシュニック政権が職能階層制に基づくオーストロ・ファシズムを構築したが、イタリアに見捨てられ、一九三八年にヒトラーに併合され、望まぬ戦争に駆り出された。ヴィーンが大規模破壊を免れたのは、ロシアの大軍の迅速な包囲のお陰である。新しいエステルライヒは、世界経済、世界国家を志向する、という。  レンナーの歴史叙述は彼の自己主張でもある。ハプスブルク家(特にカール一世)への評価は低く、一八六七体制(アウスグライヒ)はビスマルクの提案、ハンガリー人の跋扈だったとされる。ブルゲンラント問題でも紛糾したハンガリーへの不信は強い。二大政党連立を頓挫させたザイペル、バウアーの教条主義にも不信感がある。ザイペルについては親ハンガリー姿勢も批判しているが、その政治家資質は評価してもいる。大ドイツ主義民族党、ハイムヴェーア、祖国戦線への批判が目立ち、ドルフスのエステルライヒ・ネイション理念論を疑い、シュシュニックを誠実だが田舎弁護士、「独裁者」と呼ぶ。一九三八年合邦を歓迎した経緯を明言しないが、NSDAPの傲慢さがエステルライヒの独自性意識を生んだとし、敗戦後には合邦がドイツの独断だったかのように述べ、ソヴィエトには甘い。レンナーは自国の悲劇を国内外の政敵の責任に帰し、自国を解放された国であって敗戦国ではないとし、ユダヤ人問題には興味が薄い。読者はレンナーの歴史認識を、バウアー、シュシュニック、ヒトラーなどのそれと比較検討する必要がある。  本書訳者の青山孝德は、名古屋大学大学院経済学研究科を単位取得退学後、エステルライヒ共和国を中心にマルクス主義の歴史を紹介してきた。青山は、レンナーの民族論が属地主義ではなく属人主義をとったとし、またレンナーの一九三八年合邦支持の原因は脅しか取引か保身か確信犯かと諸説を紹介して、現代知識人にもレンナーを受容可能にしようとしている。だが青山は、合邦にエステルライヒ人が不支持だったかのように説く被害者国民説など、レンナーの阿世・誤記に批判的でもある。  独特の訳語には異論の余地もある。「原音の近似片仮名表記」で、「チェインバリン」「クドゥンホーヴェ」のみならず「アードゥラ」「オット・バウア」「ヒムラ」「オーダ」とまでするなら、やはり「レンナ」「ヒトラ」「オーバエスタライヒ」にしないと一貫せず、本書名も『エスタライヒ』がよかっただろう。「ゴットゥヴァルト」は不徹底で、「ゴットゥヴァルトゥ」か「ゴットヴァルト」だろう。「ドイツオーストリア」(Deutsch-österreich)や「ドイツベーメン」(Deutsch-böhmen)などは意味が伝わらないので、「ドイツ系西ハンガリー」(das deutsche Westun-garn)や「ドイツ系南ティロール」(Deutsch-südtirol)などに倣い「ドイツ系エスタライヒ」「ドイツ系ベーメン」とすべきだった。「プッチュ」という日本語はなく、「蜂起」などとしなければ伝わらないだろう。Die nationale Erhebung der Völkerは「人民の民族蜂起」ではなく「諸民族の国民的蜂起」だろう。Er-nüchterungは「覚醒」ではなく「幻滅」か。「西側」は冷戦期以来の表現で、本書のder Westenは「西欧」だろう。Nationalsozia-lismusをいきなり「ナチ」と訳すのも日本の困った習慣である。(青山孝德訳)(こんの・はじめ=愛知県立大学教授・政治学・ヨーロッパ史)  ★カール・レンナー(一八七〇―一九五〇)=ドイツ系エステルライヒ(ドイツ系オーストリア共和国)初代国家宰相。現在のチェコ共和国の地域に生まれる。

書籍

書籍名 オーストリア
ISBN13 9784865200829
ISBN10 4865200827