2025/12/12号 7面

村上陽一郎の〈科学・技術と社会〉論

村上陽一郎の〈科学・技術と社会〉論 柿原 泰・加藤 茂生・萩原 優騎編 愼 蒼健  本書は、2016年に刊行された柿原泰・加藤茂生・川田勝編『村上陽一郎の科学論――批判と応答』(新曜社)の続編である。前著が科学史・科学哲学を中心とする前期村上科学論・論であるとすれば、本書(柿原泰・加藤茂生・萩原優騎編『村上陽一郎の<科学・技術と社会>論――その批判的継承と発展』新曜社)は、1990年代半ば以降の〈科学・技術と社会〉をめぐる議論の検討、つまり後期村上科学論・論である。  本書は編者3名以外にも、東大駒場の科学史・科学哲学研究室で村上の教えを受けた小松美彦、斎藤光、林真理、廣野喜幸の4名が企画立案に参画している。そして、後期村上科学論の重要テーマとして、「医療論」、「安全学」、「寛容論」、「教養論」、「STS(科学・技術と社会)」が抽出され、それぞれのテーマに村上の議論に精通した研究者が配置された。市野川容孝が「安全学という構想」を、藤垣裕子が「背中を見て学んだこと――教養論の実践とSTSの責務」を、企画立案に参画した林が「医師と患者の間――村上陽一郎の現代医学・医療批判」を、萩原が「機能的寛容論の批判的継承に向けて」を執筆し、廣野は前著で十分に展開されなかった科学哲学の再検討を行い、「理論転換の「三肢重層立体構造モデル」(村上モデル)」からさらなる展開の可能性を引き出している。  評者は紙面の都合上、村上に対する敬愛の念と学問的・批判的姿勢の両面を貫いた、五つの論考に対して個別のコメントはできない。本稿では執筆陣の名前と論考タイトル(その一部)の紹介にとどめることをお許しいただき、村上の「あらためて自らの学問を振り返る(インタビュー)」に焦点を絞りたい。村上はすでに前著において「学問的自伝」を執筆しているが、自身の知的・学問的遍歴と彼が生きてきた同時代との関係についてはあまり語らなかった。今回のインタビューは村上の「語られなかった」歴史を「語らせた」内容となっており、入念に練られた「問いかけ」は、次のような項目の中で展開されている。第一部(2021年12月19日に実施)は、「学生時代の社会状況と学問・思想」、「科学史科学哲学教室へ進学して」、「進化論の受容史を研究テーマにして」、「キリスト教信仰と学問」、「1970年代のオルタナティブな科学論」。第二部(同年12月23日の実施)は、「学生時代の社会状況と学問・思想(補)」、「オルタナティブな科学論(補)」、「学会の党派性」、「科哲教室のスタッフとして」、「1980年代末以降のシフト」、「安全学」となっている。  このインタビューでは、数々の興味深いエピソードが紹介され、村上が自身について語っている。評者はその中から、「熱い」村上と「冷めた」村上の両面を挙げておこうと思う。同時代の文化・学問潮流の関係では、特定の人物の作品を深く読むということはあまりなかったと応じた村上であるが、斎藤の執拗な質問に対して、科学史・科学哲学を志す動機として大森荘蔵の名前を挙げ、「大森さんに惚れていた」と「エモーショナル」に応える。学問を志す動機が井の頭線で大森から「面白かった」と言われた経験だと告白する「熱い」村上が、評者には「面白い」。二番目に指摘したいのは、村上が何度か言及する自身の「冷めた態度」である。彼自身の言葉を借りるならば、「みんながみんな、わあっとそちらへ付いていこうとすること」から距離を置こうとする態度である。様々な社会運動や政治運動に「背を向ける」。1970年代ニューエイジ・サイエンスの問いかけから生まれた、「ザ・ベストというものを振りかざすことだけはやめましょう」という思い。村上のこうした「冷めた態度」は前期・村上の科学史・科学哲学研究だけでなく、後期の寛容論にも通底するものであろう。そして、ここで最も気になるのは、村上の態度を支えるキリスト教信仰である。インタビュアーはこの点について評者と同じ問題意識を持って質問をしたと思われるが、村上の学問と宗教の関係は「研究すべき課題」として残された。『科学史家の宗教論ノート』(中公新書ラクレ)を踏まえた、村上との対話が実現することを期待したい。  日本の現代科学論史というものを構想するとすれば、村上陽一郎は欠かせない研究対象であり、歴史研究者は村上の学問だけでなく、その人生に関心を抱く必要がある。本書は前著と並び、『歴史としての村上科学論』(村上陽一郎『歴史としての科学』のオマージュとして)の地平を切り開く端緒となるだろう。(しん・ちゃんごん=科学史・東アジア医学史)  ★かきはら・やすし=東京海洋大学教授・科学史・科学技術論。共著に『工部省とその時代』など。  ★かとう・しげお=早稲田大学准教授・科学史。共著に『科学予測は8割り外れる』など。  ★はぎわら・ゆうき=東京海洋大学教授・生命倫理学・科学技術社会論。共著に『リベラルアーツは〈震災・復興〉とどう向き合うか』など。

書籍

書籍名 村上陽一郎の〈科学・技術と社会〉論
ISBN13 9784788518766
ISBN10 4788518767