2026/09/04号 4面

接続された脳とへーゲル

接続された脳とへーゲル スラヴォイ・ジジェク著 荒谷 大輔  評者は「シンギュラリティ」という言葉を聞くとウンザリする。普段は「エビデンス、エビデンス」とうるさい人々が、取り立てた根拠がない未来予測に悲喜こもごもな感情をのせ、放埒な信仰をあけすけに語り出すことが多いからだ。「大勢に乗ることが正義」という資本主義経済の構造そのもののように思われるが、ジジェクとしてはそうした流れに乗りながらハックすることが重要と考えるのだろう。『接続された脳とヘーゲル』は、シンギュラリティという概念を内在的に折り曲げることを目指す著作に見受けられた。  数学の「特異点」を技術進化予測に転用したのはフォン・ノイマンだが、今日一般的に理解されるのは、カーツワイルが提唱したものであろう。AGIの達成をメルクマールとしつつ、脳の高速化、老化の制御などによって人間が生物種としての限界を超え、人間がAIと融合する未来が訪れると予言した。イーロン・マスクのニューラリンクによる「ブレイン・マシン・インターフェイス」も、現状の単なる身体拡張を超えて、個々の脳が直接交信し、意思疎通し合えるようなシステムを実現すべく開発が進められている。ジジェクは、そうした科学技術の「夢」が現実化することを前提に、その状況で人間はどうなるのかということを議論するのである。  こうした「夢」に乗って話をすることがジジェクの企図であったとしても、評者の義務は同じく無批判にその前提を引き受けることではないだろう。イーロン・マスクの話が哲学的に見て疑わしいものであることは、指摘しておかねばなるまい。私たちの認識が「差異」によって成立するのであれば、自他の脳をつなげて電気信号を伝えたとしても、その内容を〝直接〟伝えることはできない。「伝達内容を言語によって圧縮するのは非効率だ」とマスクはいうが、何らかの差異を示す信号が「どんな差異を示しているのか」をデコードすることは不可欠である。ある特定の電気信号が個体差を超えて〝普遍的に〟特定の内容を指示するように正規化するためには、「サイボーグ」なるものを非常に暴力的に均一化して作る必要があるだろう。あるいはイーロン・マスクが企図しているのは、そういうこと、つまり、個々の人間がみな同じ規格に準拠した「サイボーグ」として、特定の電気信号の体系を学習しなければ生きていけない世界を作ることかもしれないが、それは技術というよりも政治の問題として別途議論されるべきだと思われる。  しかし、こんな「当たり前」の批判をしたところで、誰も喜びはしないのが資本主義経済である。「哲学者がわかったことをいうんじゃない、やってみないとわからないじゃないか」と大勢の声にかき消されるのがオチだろう。おそらくはそれゆえにジジェクは、加速主義者たちの「夢」をあえて肯定し、それが実現したとしても個々の主体性は残されると議論を展開するのだと思われる。  脳が相互接続される状況では「近代的主体」として私たちが前提にするものが成立しなくなる。「プライベート/パブリック」という区別は廃棄され、「私」という概念の外延も大きく侵食されることになるだろう。「自/他」という枠組み自体が、「接続された脳」のひとつのネットワークの中に霧散することになる。資本主義経済がもたらす「疎外」は解消され、それを梃子にした資本主義経済体制の転覆の可能性は絶たれるとジジェクはいう。  それゆえに、「逆に、主体性を構成するものとしての〈他者〉において、疎外を再確立する」ことが必要だといわれる。それはシンギュラリティによって脅かされる「無意識」の領域、ラカンでいえば「S/」と呼ばれるものを確保することにほかならない。こうして、ラカンの理論を様々に援用しながらジジェクは、無意識の主体としてのコギトをシンギュラリティ的な統合の外におき、もって唯一残された変革の根とするのである。  デジタルな黙示録をひとつの理論的冒険として、ジジェク的なラカン理論の変奏をスリリングに味わえる一冊である。(池松辰男・佐藤愛・高橋一行・野尻英一・原和之訳)(あらや・だいすけ=慶應義塾大学教授・精神分析・社会実践)  ★スラヴォイ・ジジェク=哲学者。スロベニア出身。著書に『イデオロギーの崇高な対象』など。

書籍

書籍名 接続された脳とへーゲル
ISBN13 9784414120554
ISBN10 4414120551