2026/03/13号 5面

『人間失格』の「のです」をどう翻訳するか

『人間失格』の「のです」をどう翻訳するか 宮内 伸子著 斎藤 佑史  異文化理解にとって言語と言語をつなぐ翻訳の役割の重要性には計り知れないものがある。翻訳を通じて我々は外国の文化を知ることが多いからである。その意味で異文化理解の架け橋となる翻訳者はかけがえのない存在といえる。本書はその翻訳の問題を、日本文学の作品がドイツ語でどう翻訳されているかを比較検討することによって日独の言語文化の違いに光を当てようと書かれたものである。具体的には昭和以降の独訳された文学作品を取り上げ、原作と翻訳を比較対照することによって、日本語とドイツ語の表現法の違いを明らかにし、両言語の表現法の違いだけでなく、さらにその奥にある文化の違いまで深く問題を掘り下げ、追究している点に本書の特徴がある。  取り上げられた作家の作品は、本書のタイトルになっている太宰治の『人間失格』を含め、八名の作家の小説である。最終章では散文ではなく、時期も遡って日本の伝統的詩歌である俳句の翻訳の問題が取り上げられている。一見して驚かされるのは、昭和以降の日本の小説が、英訳ならまだしも独訳されて多く出版されているということである。それだけドイツ語圏文化の中で日本文化が現在、紹介され受け入れられていることを物語るものであるが、本書では日本の小説、俳句に独訳ばかりでなく、英訳も併記されていて、その訳の違いから、独英の言語の違い、表現法の違いから両言語文化の違いまで検討されていて実に興味深い。  しかし本書の主なるねらいは独英の言語の違いではなく、独英を含む西洋語と日本語の表現法の違いの解明にある。わかりやすい例を挙げれば、日本の小説は、主語がない文に一つの特徴があるが、日本の読者なら何の抵抗もなく読めるのに、西洋語に訳された小説には必ずといっていいほど主語が入っている。それはなぜかと問いかけて著者は論を進めていく。例えばそれが顕著に表れている川端康成の小説『山の音』を取り上げる。川端は本書で取り上げられた作家の中で最も日本の伝統美を意識した作家で、著者の言葉を借りれば「省筆の美・曖昧さの魅力」がこの小説の肝であるという。この極めて日本的な川端の小説は、論理的で明晰さを必要とする西洋語では他の日本の作家たちよりも翻訳が一層困難に見えるが、本書ではこの問題をドイツ人の翻訳者がいかに工夫して独訳しているか、実例を示しながら丹念に比較検討されている。そのことで逆に日本語の持つ特性、つまり非論理的で曖昧な表現法が浮き彫りにされる。この西洋語、特にドイツ語と日本語の表現法の違いを明らかにし、それを読者に提示することこそ、本書の目的の一つである。そのために近現代の小説家の作品が取り上げられるのであるが、たとえば今挙げた川端と対照的な、西洋文学の影響を強く受けた三島由紀夫の明晰で理知的な小説の文体の独訳にとって何が必要なのかを初め、個性の違う作家たちの文体と独訳の問題が次々と提起され具体例で検討されているところがまさに本書のハイライトである。  最終章ではすでに指摘しておいたように最も日本的な文芸である俳句の問題が取り上げられる。翻訳にとって厄介なのは、散文より韻文である。なかでも十七文字で構成される世界で最も短い詩といわれる俳句の独訳は特に厄介で、近代以降いかに多くのドイツ人訳者たちが苦心してきたかの歴史がまず紹介され、次に俳句の独訳の具体例が示される。そこでとりわけ興味深いのは、松尾芭蕉の有名な七句の俳句が取り上げられ、一句につき訳の違う七人の独訳が披露され検討されていることである。その訳の微妙な違いによって、時代により訳者の俳句観の推移が見えてくることが、ドイツ語文化圏での俳句受容という点で注目される。  以上、本書の概要を紹介してきたが、著者が日独言語の表現法の違いを解明するにあたって、多くの日本語学者の日本語についての知見を援用し、また独訳者自身の声を披露するなど、様々な角度から立体的にこの問題に取り組んでいる姿勢が随所にみられるのも本書の特色である。本書は翻訳を通して日独言語の表現法の違い、そこから日独言語文化の違いを明らかにしようとする地道な作業から生まれたユニークな研究書であるが、日本語の表現法、日本語の魅力を改めて見直すという意味でも、日本語、日本文化に関心のある人にもぜひお薦めしたい本である。(さいとう・ゆうし=東洋大学名誉教授・ドイツ文学)  ★みやうち・のぶこ=元富山大学教授・ドイツ語・ドイツ文学。一九五六年生。

書籍

書籍名 『人間失格』の「のです」をどう翻訳するか
ISBN13 9784823412844
ISBN10 4823412842